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【文豪メランコリア 外伝】※3045文字


登場人物

斑鳩 透水(いかるが とうすい) – 文士
美と狂気に取り憑かれた文士。
鬼になりたいと願いながらも、鬼になりきれず、人の痛みを切り捨てることができない。
彼の冷徹な言葉の裏には、誰よりも深い苦悩と、抑えきれぬ情が隠されている。
詩人・篠宮篠宮の最期を見届け、彼の詩を受け継ぐことで何を得るのか——。

 

 

篠宮 斗真(しのみや とうま) – 歌人
病に侵され、死を目前にしながらも、最後まで筆を握り続ける男。
生と死の境を見つめながら、恋の美しさを歌に託し、それが永遠となることを願う。
だが、彼自身は本当に恋を知っていたのか——。
彼の最後の詩が、残された者たちに何をもたらすのか。

 

 

羽純 凌(はすみ りょう) – 老練の文士(40代)
かつて名を馳せたが、時代に取り残され、今は静かに酒を嗜みながら筆を持つ老文士。
彼の言葉には厳しさと冷徹さがありながらも、透水や篠宮を見つめるまなざしにはどこか温かさがある。
人はなぜ書くのか、詩は何を遺すのか——彼は静かに問い続ける。

にいな – 高級青楼 伽羅館の伽羅女
祇園の高級青楼・伽羅館に身を置く女。
彼女の眼差しは冷静で鋭く、言葉は刃のように鋭く、甘美な毒のように苦い。
時に冷たく突き放しながらも、彼らの心の奥底を見抜き、寄り添う。
彼女は夢を捨てた女として、何を見つめ、何を語るのか——。

 


斑鳩:祇園、高級青楼(こうきゅうせいろう) 伽羅館(きゃらかん)。紫雲(しうん)の間。 

   部屋は仄暗(ほのぐら)く、灯された行燈(あんどん)が四人の影を揺らしている。
   室内には香の匂いが微かに漂い、畳の上には硯(すずり)と筆、数枚の和紙が散らばっている。

 

   にいなは鏡台の前に座り、紅を引きながら己の顔をじっと見つめている。
   彼女の指先がゆっくりと唇の端をなぞる。


   篠宮(しのみや)は衰弱した身体を横たえ、時折激しく咳き込みながらも筆を握り続けている。


   羽純(はすみ)は静かに酒を口に運びながら筆を取るが、書くことなくまた置く。

   私は煙草を咥え、宙(ちゅう)に目を彷徨(ただよ)わせた。


篠宮:——恋のうたよ、死よりも永くあれ。
   それが叶うのならば、我が命は惜しからず。


斑鳩:(煙を吐きながら、低く笑う)
   お前の詠む愛は、果たして真の恋か?

   それとも、美しい死への装飾(かざり)か。


篠宮:ならば、君はどうだ。
   鬼になりたいと言いながら、鬼になりきれぬ男よ。

斑鳩:人の痛みを知らねば鬼にはなれぬ。だが、知ってしまえば鬼ではなくなる。

 

羽純:鬼とは何だろうな。
   人の情を棄てた者か、それとも人の業(ごう)を極めた者か。

 

(にいなが鏡から視線を外し、紅筆を置く。静かに振り返り、三人を見つめる。)

 

にいな:どいつもこいつも愚かなだな。
    恋の美しさを信じる男と、鬼になりきれぬ男。
    そして、死を目前にしながら筆を手放せぬ老文士(ろうぶんし)。

羽純:老文士、か。なるほど、的確な論(あげつら)えだ。
   ならば、月虹渚(げっこうなぎさ)よ…お前は何者だ?

 

にいな:私は、ただの「にいな」だ。
    時に人を転がし、時には転がされる、ただの「にいな」…

 

斑鳩:——君がため 命を削ることすらも なお惜しからず 夢に咲くまで
   ……お前は本当に恋を知っていたのか?

篠宮:さあ…けれど、恋を知らぬまま死ぬのは惜しい。

 

羽純:人は恋を知ることで美しくなり、同時に醜くもなる。

 

にいな:知ってどうする?叶わぬ恋ほど、美しく散るものだろう。

 

篠宮:それでも、私は恋を詠み続ける。

 

斑鳩:(微かに笑いながら)鬼になりたいものだな。

 

にいな:鬼にはなれない。貴方は、人の温もりを知りすぎている。

 

羽純:温もりとは、罪なものだ。

 

篠宮:春惜しむ 風に舞い散る 梅の花
   落つる先こそ 我が墓標(ぼひょう)なれ。

 

斑鳩:春を惜しむか、死を惜しむか。

 

羽純:どちらも変わらん。

 

篠宮:君たちは何も惜しまないのかい?

 

斑鳩:惜しむものなどないさ。

   何も得ていないのだから。

羽純:何も得ていない男は、何も書けぬ。
   お前は何を失うのが怖い?

 

斑鳩:さあな。

 

にいな:何かを得ることと、何かを捨てることは同じだよ。
    恋に生きる男、鬼になりたい男、そして過去に縛られる男。
    皆、何かを求めながら何かを捨てる。

羽純:(低く笑う)ならば、お前は何を捨てた?

 

にいな:夢…だろうか。

 

篠宮:夢を捨てた女は、何を夢に見る?

 

にいな:(一瞬、目を伏せるが、すぐにまた笑う)
    何も。夢を見ないことが、夢なのだよ。

(透水は篠宮の詠んだ和歌を手に取る。)

 

斑鳩:——落つる先こそ 我が墓標(ぼひょう)なれ
   お前は本当に、そこに落ちるつもりか?

 

篠宮:(微笑みながら)……もう、そう遠くはない。

 

斑鳩:(沈黙し、ゆっくりと紙を折り畳む)鬼になりたいものだな。

 

羽純:お前が鬼になれぬのは、まだ人の痛みを捨てていないからだ。

 

斑鳩:人の痛み? 笑わせるな。

 

にいな:本当に笑っているのかな?

 

(篠宮がまた咳き込む。)

 

篠宮:(静かに)君たちと会えるのも今夜が最後だ。

 

羽純:ならば、最後の歌を詠め。

 

(篠宮は震える手で筆を執る。しかし、途中で筆が滑り、紙の上に黒い滲みが広がる。)

 

篠宮:(苦笑しながら)詩すら、うまく書けぬとはな。

 

にいな:(そっと篠宮の手に触れる)代わりに、詠んであげようか?

 

篠宮:(微笑みながら首を振る)いい。これは、私の詩だ。

 

(彼は再び筆を執る。)

 

篠宮:——終焉(しゅうえん)の 影に揺れるは 恋の灯(あかり)か
   消えゆく命 なお燃え尽きる

(にいなが目を閉じる。)

にいな:美しいな。
    だが、それはあなたが生きているからこそ、そう思えるのだろう。

 

羽純:ならば、生(せい)に乾杯しようか。

 

斑鳩:いや、死に。

 

篠宮:…いや、恋に。

 

(三人は盃を交わし、にいなは笑みを浮かべている)

 

 


【間】


 

 

羽純:いくつか夜が明け、篠宮(しのみや)は静かに逝った。

   言葉通り、あの夜が生きた彼に会った最後となった。

   外はしとしとと小雨が降っている。

   篠宮のいた部屋はすでに静寂に包まれており、筆は硯(すずり)の傍らに置かれたまま、和紙には彼の最期の歌が刻まれている。

   斑鳩(いかるが)は篠宮の詩を握りしめたまま、奥座敷の縁側に座り、じっと雨を眺めている。
   私は煙管(きせる)を吹かし、にいなは静かに私たちを眺めいた。

斑鳩:終焉(しゅうえん)の 影に揺れるは 恋の灯(あかり)か 消えゆく命 なお燃え尽きる

(彼は手にした和紙をじっと見つめる。その指先が無意識に震える。)

羽純:詩は残った。だが、それが何になる?

斑鳩:(無言で紙を握りしめる)……何にもならない。

 

にいな:そう…どんなに美しい詩でも、詠み手が消えたら、ただの言葉だ。

 

羽純:だが、言葉だけが残るのもまた事実だ。
   篠宮は恋を詠み続け、詠み終えた。
   それがお前には何に見える?

斑鳩:(目を伏せ)……俺には、ただの遺言だ。

 

(彼は静かに和紙を握りつぶし、手のひらで血が滲むほど強く握りしめる。)

(雨の音が強くなる。透水は煙草を取り出そうとするが、指が震えてうまく火をつけられない。羽純はそれを眺めながら、微かに笑う。)

 

羽純:鬼になりたいと願った男が、人の涙を隠すのに手を震わせるとはな。

 

斑鳩:(苛立ちを隠すように)……鬼になりきれぬことは、最初からわかっていた。

 

にいな:なら、どうして鬼になりたいだなんて?

 

斑鳩:(目を逸らす)人の痛みを捨てたかった。
   情なんてものがなければ、もっと楽に生きられると思った。

 

羽純:(ゆっくりと煙管を置き)それができるなら、とっくにしているだろうよ。
   お前は人の痛みを捨てることも、完全に抱きしめることもできぬ。
   だから苦しむのだ。

 

斑鳩:(苦笑する)哀れなものだな。

 

にいな:哀れなものほど、美しい。

 

(雨が止む。朝の光が障子の隙間から射し込み、部屋を薄く照らす。)

(透水はゆっくりと立ち上がり、篠宮の詩を手に取る。彼の目の奥に、何かが決まったような光が宿る。)

 

斑鳩:(静かに)俺が、この詩を持っていく。

 

羽純:(目を細める)持っていって、どうする?

 

斑鳩:詩は、詠まれなければ意味がない。

   あいつの詠んだ恋が、ただの遺言になるか、それとも生きた詩になるかは、読む者次第だ。

にいな:(微笑む)鬼になりたいと言っていた男が、人の言葉を継ぐのかね?

斑鳩:そうだな。
   鬼になれぬなら、人の言葉の中で生きるしかない。

 

羽純:(盃を持ち上げる)ならば、それに乾杯しようか。

 

(透水は盃を受け取り、静かに酒を飲む。)

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