祇園×エンヴィ
祇園×エンヴィ
#Flexion LOVE.(フレクション ラブ)
こちらの台本は不倫を題材にしており、性的表現もあるためR15とさせていただきます。
時間60分(演者者様の間のとり方によって時間が変動します)
比率(♂:♀)2:0
登場人物
井上実琉(いのうえ みのる)/祇園の花街を少し外れたところで髪結い師をしている。
沢城蓮(さわしろ れん)/ラジオDJ、妻帯者。
蓮:祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。おごれる人も久しからず。
ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。
実琉:(M)春の香りがする体育館の舞台にスポットライトが差し込む。
舞台に立つ彼が平家物語の冒頭を語り…こう締めくくる。
蓮:この世に永久不変なものはない。
【タイトルコール】
実琉:祇園×エンヴィ(ギオンエンヴィ)
蓮:flexion LOVE.(フレクション ラブ)
実琉:『黒髪は女の命』といわれ、“長く艶めいた黒髪”は、古くから日本美人の絶対条件だった。
それを芸術の域にまで高めた「唐輪髷(からわまげ)」は日本髪の原型であり、遊女や女歌舞伎役者の間で好まれたという。
今時、そんなオーダーはこない。
けれど以前、映画の撮影でこの髷(まげ)を結う機会を得た僕は、その野性味溢れる美しさの虜になった。
日々、舞妓や芸妓(げいこ)の髪を結うのが僕の生業。
京都の結髪師(けっぱつし)は年々数を減らしていて、僕の師範も3年前に他界し、今、この『結び屋‐艶や(あでや)‐』も僕独りとなった。
髪をすくいあげ、櫛に糊をつけて丁寧に撫で付ける。
束ねて、結って、ひとつの形にしていく。
指を器用に使って、僕は…自分の心も整えていく。
髪を結う事で、この“ひどく乱れた心”を整えるのだ。
蓮:さて、今夜も始まりました、KYOTO FM 『Midnight Ren Connection(ミッドナイト レン コネクション)』。
実琉:(M)ラジオから聴こえる彼の声に、櫛を持つ手が震える。
蓮:みなさん、こんばんは。沢城蓮です。
今夜も“祇園α(ぎおんアルファ)ステーション”よりお送りしていきます。
さて、今日から7月。随分暑くなりましたねえ。
今日は湿度も高いし、過ごしにくい一日だったんじゃないでしょうか?
あ、そうそう、いよいよ祇園祭(ぎおんまつり)が始まりましたね…
実琉:っ…(ラジオを切る)
実琉: (ため息)寝よ…(突然、携帯の着信音が鳴り響く)…っ!?
実琉:(M)寝室に向かう僕の背中越しに着信音が鳴り響く。
画面には彼の名前が表示されている。
数年前に再会した…あの人の―――
【数年前 祇園α(アルファ)ステーション応接室】
蓮:はじめまして、沢城です(名刺を差し出す)。
実琉:井上実琉です…。
蓮:今回は打ち合わせして頂いた通りラジオと雑誌のコラボ企画で、今、話題の結髪師(けっぱつし)である井上さんの特集になります。
担当された映画のお話だけでなく、井上さんご自身についても伺っていきます。
実琉:はい…。
蓮:(微笑)緊張されてますね。
東京で何度かこういった経験もされたと伺ってたんですが、まだ慣れませんか?
実琉:いえ…
蓮:インタビューは録音しますが編集できますのでリラックスしてください。
実琉:……。
蓮:ご質問やご不安があればなんでも言ってくださいね?
実琉:あ、違うんです。
蓮:違う?
実琉:実は僕…沢城さんに何度かお会いしてます。
蓮:え?
実琉:あの、東山青龍高校ご出身ですよね?
蓮:はい、そうですが…。
実琉:僕、そこの中等部にいたんです。
蓮:え、本当に?
実琉:はい。演劇部の年4回の舞台、毎シーズン観てて…。
いつも主役されてて素敵だなぁって。
蓮:いやいや、そんな…。
実琉:卒業して、東京に行かれた時も本当にすごいなって…。
蓮:…。
実琉:数年前にラジオ番組でお声聴いた時は嬉しくて。
毎晩聴いてるんです。レンコネクション。
仕事がうまくいかない時は何度も励まして頂いて…。
こうやってまたご本人にお会いできるとは思っていませんでした。
蓮:あはは…がっかりしたでしょう?
随分おじさんになったから。
実琉:そんな、とんでもないです。
蓮:でも自慢できるな。
今をときめくイケメン結髪師の井上実琉さんが、俺の後輩で、しかもラジオのリスナーさんだったなんて。
実琉:今を…ときめく。
蓮:あれ?これ死語ですか?
実琉:(微笑)死語って言葉も…もしかしたら?
蓮:あはは。やっぱり歳取ったなぁ、俺。
実琉:そんなことないです。
蓮:え…。
実琉:素敵です。
昔も…今も。
蓮:優しいんですね。
実琉:あの…。
蓮:ん?
実琉:先輩に敬語使って頂くのなんとなく慣れなくて。
蓮:ああ…なるほど。
実琉:よかったら普通にお話してもらえませんか?
蓮:(微笑)わかった。
実琉:ありがとうございます。
蓮:とんでもない。
少しは緊張とけた?
実琉:はい。
蓮:じゃあ、そろそろインタビュー始めるね?
実琉:よろしくお願いします。
蓮:よろしくお願いします。
まず最初に、月並みな質問だけど『結髪師になろう』と思ったのはどうして?
実琉:祇園祭(ぎおんまつり)で師範の結っていた“勝山(かつやま)”に出逢ったのがきっかけです。
蓮:勝山?
実琉:普段「おふく」の舞妓さんが祇園祭の時期だけに結う特別な髷(まげ)なんですけど…。
蓮:へえ。
実琉:元々「勝山」という名の遊女が好んで武家風に結っていたものから発展したんです。
蓮:なるほど。
そういえば井上君が注目を集めるきっかけになった、あの映画の主人公の日本髪も確か元々遊女が結ってたんだよね?
実琉:はい、唐輪髷(からわまげ)も遊女や女歌舞伎役者が結っていた髷です。
蓮:彼女は女歌舞伎役者。
舞台は江戸時代の祇園。
京都四条の川原に小屋がけをして、女歌舞伎役者たちは舞を踊る。
舞が終わると彼女たちは見物客と一緒に別室へ行き、一夜を共にする。
見物客同士で贔屓(ひいき)の女性をめぐっての刃傷沙汰は当たり前で、当然、死者も出る。
そんな世界で…彼女は恋をしてしまった。
実琉:ええ…不毛な恋を。
蓮:不毛?
実琉:不毛じゃないですか?
プライドを持って芸と女を売っていながら、恋に溺れて…最期は死を選ぶなんて…。
蓮:理解できなかった?
実琉:恋に落ちて盲目的に溺れるなんて、馬鹿な人間のする事なんだろうなって…。
蓮:(微笑)辛辣。
実琉:ごめんなさい、そんなつもりじゃ。
蓮:ううん。そういう意外性、俺は好きだよ。
実琉:……。
蓮:…ねえ?興味本位で、ひとつ質問していい?
実琉:え?
蓮:無理に答えなくてもいいから。
実琉:その前置き、なんだか怖いです。
蓮:あ、ごめん。
実琉:(笑って)いえ、ご質問って?
蓮:…井上君ってさ?
実琉:はい。
蓮:人を本気で好きになったことある?
実琉:っ…。
蓮:…あれ、なんか変な事聞いちゃ―――
実琉 (被せて)好きって…なんだと思います?
蓮:そうだな…。
実琉:沢城さんはあるんですか?
蓮:……。
実琉:人を本気で好きになったこと。
蓮:質問返しか…。
いつのまにか俺がインタビューされてる?
実琉:あ…
蓮:俺の質問には答えてくれないのかな?
実琉:…僕、よくわからなくって。
蓮:わからない?
実琉:母が…(ハッとして)。
蓮:井上君?
実琉:あ…なんでもありません。
蓮:…。
実琉:…。
蓮:(気まずい空気を打ち消すように明るく)よし、閑話休題。
祇園での仕事の話、詳しく聞かせてもらえる?
実琉:はい。
【間】
蓮:よし、この辺りでいいかな。
お疲れ様、ありがとう。
実琉:こちらこそ、ありがとうございました。
蓮:いい話たくさん聞けたよ。
実琉:沢城さん…こういうお仕事もされるんですね。
蓮:ああ、うちの会社なんでもやるんだよね。
社長も『少数精鋭だ』って言って、俺にラジオの仕事だけじゃなくてコラムとか、こういう取材とか振ってくんの。
実琉:そうなんですか。
蓮:食ってくためには色々しないとね。
選り好みしてられないよ。
実琉:なるほど。
蓮:だから…眩しいよ。井上君が。
好きな仕事をして認められて、すごく輝いてる。
実琉:そう…見えますか?
蓮:うん。
実琉:…。
蓮:(ノック音がして)あ、ごめん、ちょっと待ってて。
実琉:はい。
蓮:――お待たせ。井上君この後時間ある?
スタッフがみんなで飯行かないかって。
実琉:ええ、大丈夫です。
蓮:良かった。じゃあ行こ。
【間】
蓮:(少し酔って気持ちがよさそうに)はぁ…。
実琉:(微笑)大丈夫ですか?
蓮:うん、大丈夫。楽しくって飲みすぎたなぁと思って。
実琉:そうなんですね。
蓮:井上君はめちゃくちゃ強いね。
結構飲んでたのに顔色一つ変わってない。
実琉:不思議とワインなら酔わないんです。
特に赤は。
蓮:へぇ…そうなんだ。赤ワイン好きなの?
実琉:はい。
蓮:俺も好き。
実琉:あ、よかったら頂き物のワインがあるんですけど飲んでいきませんか?
もうすぐうちのお店着きますし。
蓮:いいの?
実琉:ええ、送って頂いたお礼に。
蓮:男同士だからって大丈夫?
井上君って本当に綺麗な顔してるし変な気、起こすやついなかった?
実琉:え…?
蓮:(慌てて)あ、俺は何もしないよ?もちろん。
実琉:…試してみますか?
蓮:え?
実琉:男同士も案外悪くないですよ。
蓮:っ…。
実琉:着きました…。
蓮:ああ…。
実琉:(ドアの鍵を開ける)どうぞ。
蓮:お邪魔します。
…わぁ、和モダンな良い造り。住居も兼ねてるんだっけ?
実琉:ええ、奥がプライベートルームです。
そこのソファ座っててください。ワイン持ってきますね。
蓮:待って。
実琉:?
蓮:あの…さ、俺、言ってなかったんだけど…。
実琉:…はい。
蓮:実は…結婚してるんだ。子どもも…いる。
実琉:…。
蓮:なんか楽しくてついここまで来ちゃったけど、もし井上君がその…なんていうか…
実琉:知ってます。
蓮:え?
実琉:知ってます。奥さんとお子さんがいるの。
蓮:どうして…
実琉:ワイン持ってきますね?
蓮:……。
実琉:(赤ワインをそそぐ)どうぞ。
蓮:ありがとう…。
実琉:乾杯。
(ワイングラスの重なる音が響く)…本当はワイングラスって重ねちゃ駄目なんですよね。
蓮:そうだね…。
実琉:でも、なんとなく…いつも乾杯したくなっちゃうんです。
蓮:…うん。
実琉:困らせてしまってすみません。
蓮:……。
実琉:強引でしたね。
憧れの先輩にお会いできて嬉しくて。
なんて、言い訳にならないかな。
蓮:いや、俺も楽しかったし…。
実琉:それ飲み終わった頃にタクシー呼びますから。
蓮:うん…。
実琉:…。
蓮:…。
実琉:…。
蓮:(沈黙に耐え切れず)ああ、ねえ、そういえばあの時。
実琉:え?
蓮:インタビューの時、言いかけてやめたのって…。
実琉:ああ…つまらない話です。
蓮:そう。
実琉:はい。
蓮:でも、言いかけてやめる心理には、本音が隠れている場合もある。
実琉:……。
蓮:そんなに言いたくないことだった?
実琉:"本気で人を好きになったことある?"
蓮:俺がした質問?
実琉:あの瞬間、色んな感情が溢れたはずなのに…頭が真っ白になりました。
蓮:……。
実琉:そうなったのは…母が愛を知らない人だったからなのかなって。
蓮:愛を知らないって…。
実琉:お恥ずかしい話なんですけど、母を産んだ人は男にだらしのない人でね?
若くで未亡人になったその日から、いつも違う男を家に連れ込んでいました。
母は彼女に愛情をもらうどころか邪魔者扱いされて…。
その頃に出逢った父と…家出するように結婚しました。
十七歳。当時すでに僕がお腹の中にいて…小さい頃は家族3人で楽しく過ごしていた記憶もあるんです。
だけど長くは続かなかった。
ずっと愛してくれると信じていた父が知らない女の人と突然消えてしまったから。
あの人が居なくなってから、母は毎晩お酒を飲んで幼い僕を殴るようになりました。
何度も何度も殴りながら過去の恨み言を吐露して。
子どもみたいに泣きじゃくって。
痛いくらい抱きしめながら言うんです。
"お母さんには実琉だけなのよ。愛してる"って。
壊れて…いたんだと思います。
母が愛を語る度、いつもカラダが痛くて…口の中は血と涙の味でいっぱいで。
普通じゃないでしょ?
だから…あの質問にどう答えたらいいのかわからなくなってしまって…。
蓮:……。
実琉:(苦笑)すみません。やっぱりこんな話つまらないですよね。
蓮:どうして笑うの。
実琉:え…
蓮:そんな事、笑って言うことじゃない。
ごめん俺が無理に聞いたから…
実琉:変わらないですね。
変な所に敏感で、変な所で真面目なの。
蓮:そうかな。
実琉:苦しかった中学時代。
支えだったのは沢城さんの舞台でした。
蓮:俺の?
実琉:祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…でしたっけ?
蓮:それ…。
実琉:この世に永久不変なものはない。
蓮:……。
実琉:あのセリフ忘れられないな。
蓮:そう…。
実琉:僕達、何度か話したこともあるんですよ?
蓮:え…
実琉:(笑って)覚えてないですよね。
あの時の純粋な気持ちをもし言葉にあらわすなら…(何かに気づく)。
蓮:どうしたの?
実琉:いえ…。
あの…沢城さんはもうお芝居しないんですか?
蓮:芝居?
実琉:僕、本当に好きだったから。
沢城さんのよく通った声と観客を魅了するお芝居が。
蓮:……。
実琉:タクシー呼びますね。
蓮:ねえ…さっき言ったこと、取り消していいかな?
実琉:さっき言ったことって…?
蓮:“何もしない”って言ったこと。
実琉:…沢城さんの好きなようにしてください。
蓮:好きなように?
実琉:はい…。
蓮:じゃあ、お願い。
実琉:え…
蓮:俺を…見ないで。
実琉:(M)そう言って彼は僕の瞼を自分のネクタイで覆い隠す。
蓮:触れるのもダメ。
実琉:(M)冷たく言い放ってベルトできつく手首を縛る。
"どうしてそんなことをするの"か聞くのが怖くて。
この瞬間(とき)が終わってしまうのが怖くて。
蓮:こういうの…嫌?
実琉:僕、言いましたよね。
好きなようにして下さいって。
蓮:ああ…。
実琉:(M)虚勢を張ったカラダが少し震えている。
"どうか気づかれませんように"
"初めての痛みを悟られませんように"
そう心で呟き、僕はあの頃へと思いを馳せた。
あの頃…僕の日々は曇り空のようだった。
濁っていて。
空虚で。
沢城先輩の舞台を見ている瞬間だけが救いだった。
彼が立つ舞台はいつも明るい光が差し込んでいた。
温かくて、胸が締め付けられて、高揚して…嫌な事を全部忘れることができた。
【間】
実琉:ん…痛っ…。
はぁ…寝ちゃってたんだ。
メモ?
“鍵はポストにいれておく、また連絡する”か…嘘つき。
実琉:(M)これでいい。
もう会えなくていい。
会えない方がいい。
数ヶ月、彼から連絡が無いことにどこか安心している自分がいた。
【数か月後、結び屋 艶や】
(夜。ノック音が響き、実琉が扉を開ける)
実琉:はい……っ!?
蓮:こんばんはぁ。
実琉:こんばんは…どうしたんですか?
蓮:お店の明かりがついてたから、これ差し入れぇ。
実琉:赤ワイン…。
蓮:好きだって言ってたから。
飲まない?ちょっと休憩しようよ。
実琉:…はい。
グラス、これでいいですか?
蓮:ありがとう。
(自分のグラスにワインをそそぎ)ふふ、かんぱーい。
実琉:…酔ってます?
蓮:うん。酔ってる。
実琉:お水も飲んだ方がいいですよ?
ちょっと待っててください
蓮:(実琉の腕を引っ張って)…酔っ払いは嫌い?
実琉:そういうわけじゃないですけど…。
蓮:ごめんね。
実琉:…?
蓮:あの日は声かけずに帰って…ごめん。
実琉:……。
蓮:あと随分連絡しなかった事も。
実琉:いえ…。
蓮:ねぇ…どうしてあの夜、俺をここに呼んだの?
昔、憧れてた先輩と思い出作りでもしたかった?
実琉:…。
蓮:思い出したよ。
キラキラした瞳で俺を観る、なぜかひっかき傷の絶えない綺麗な男の子。
あの頃の俺は無鉄砲で勘違い甚だしい奴だったからさ…。
恥ずかしくて過去に蓋してた。
自分には才能があるって思い込んで、将来を疑ってなかった。
…随分変わったよな。
実琉:……。
蓮:そんな目で見ないでよ。
実琉:え…
蓮:可哀想なモノ見るような目。
なにかくすぐれられるものでもあるの?
実琉:っ…僕そういうつもりじゃ―――
蓮:井上君てさ、いつ気づいたの?
実琉:何にですか?
蓮:男が好きだって。
実琉:そうですね…いつだったかは、はっきり覚えてません。
蓮:そう。でも、こんな駄目な男がよかったわけじゃないだろ?
実琉:そんなこと…
蓮:俺さ、役者として成功したくて東京行ったんだ。
実琉:知ってます。
蓮:一応デビューもしたし、作品にも何本かでた。
実琉:ええ。
蓮:でも…俺よりすごいやつは数えきれないほどいた。
自信も無くなって。
仕事も無くなって。
年収十万越えない年もあった。
年収だよ?月収じゃなくて、年収。
バイト代で食ってくのも辛くなって、自分が何したいのか全然わかんなくなって。
で、いつのまにか十年経って…。
なんとなく区切りもついた気がしてね。
"そろそろ京都に帰るか"って思った時に、今の嫁さんに子どもができた。
…潮時だと思ったよ。
実琉:はい…。
蓮:会社も昔のツテで入れてもらって『沢城くん良い声してるね』なんて言われて嬉しくなってさ?
成り行きでラジオの仕事はじめて。
でも給料なんてしれてるし、色んな仕事して…気がついたらこの歳になってた。
実琉:……。
蓮:人生のピークっていつだと思う?
実琉:それは…。
蓮:俺のピークは君の言ってる“あの頃”。
今は余生を粛々と送ってるだけ…はは、自分で言ってて悲しくなってきた。
実琉:…。
蓮:嫁ともうまくいってないし。
あいつ以外の女と寝るのも…男を抱くのだって…君が初めてじゃない。
実琉:……。
蓮:ね…駄目な男でしょ?
実琉:駄目じゃないです。
蓮:え?
実琉: 駄目なんかじゃない。
蓮:なに言ってるんだよ。
じゃあ本当の事、教えてあげる。
実琉:本当の事…?
蓮:俺が君を抱いた理由。
実琉:……。
蓮:わかる?
実琉:いいえ…。
蓮:"明るくて眩しい、キレイなモノを汚したかった"…ただそれだけ。
実琉:そう…ですか。
蓮:なのに…初めてだったなんて。
実琉:っ…。
蓮:どうして…なにやってるんだよ。
実琉:やっぱり、気づいてたんですね。
蓮:俺は、君が震えてるのをわかってて“わざと”気遣わなかった。
自分の事もっと大切にしなよ。
俺みたいな男なんか早く忘れて、ちゃんとした恋愛してさ…。
責任取れないよ。
実琉:ちゃんとした恋愛って何ですか?
蓮:それは…
実琉:僕の事を明るくて眩しいって言いますけど、学生の頃は僕がそう思ってた。
沢城先輩の舞台を見て、自分も何か夢を持とうって、あなたがいる明るいところに行きたいって。
先輩との思い出がずっと僕を支えてくれたんです。
あの時の気持ちが僕のちゃんとした恋なんだ。
それを大切にしたくて、誰とも一線を越えられないままこんな歳になって…
僕はきっと一生独りで生きていくんだろうなって思っていた時…あなたにまた逢えた。
沢城先輩は僕にとって“唯一”なんです。
あなたになら何をされても、どんな事をされても、嫌いになんてなれない。
蓮:…ごめん。
実琉:謝らないで下さい。
蓮:……。
実琉:別に、どうにかしたいわけじゃないんです。
僕…迷惑ですか?
蓮:迷惑じゃ…ない。でも俺はずるい男だ。
傷つくのは君だよ?
実琉:それでもいい。
蓮:君とお母さんを不幸にした女と同じ所まで堕ちるとしても?
実琉:覚悟してます。
蓮:どうして?俺の何がいいの?顔?声?芝居?今の俺の事なんか何も知らないのに。
俺は…あの頃とは違うんだ。
実琉:違わない。今でも素敵です。
蓮:盲目的すぎるよ、ちゃんと俺の事を見て、ただのおっさんだろ?
実琉:恋に落ちて盲目的に溺れるのは馬鹿な人間がする事だと思ってました。
だけど、本当はあの映画の主人公を馬鹿になんてできなかった。
彼女の気持ち…よくわかってた。
蓮:やめてくれ。
実琉:嫌です。
蓮:どうしたいんだ俺を――
実琉:どうにかしたいわけじゃないんです。
ただ、理由とか理性とか色んなしがらみとか…もうどうでもいいくらい、どうしようもないくらい…
あなたが…好きなんです。
蓮:…っ。(強引に実琉に口づけする)
実琉:…んっ。
蓮:っ?!(体を引き離して)ごめん…。
実琉:だから…謝らないでって言ってるじゃないですか。
蓮:後悔する。
実琉:僕はそれでも…。
蓮:君じゃなくて俺が。
駄目なんだよ…。
優しくできない。
…君を壊してしまいそうで嫌なんだ。
実琉:壊れてもいい。
あなたになら、なにをされてもいいんです。
蓮:君はどうしてそんなにっ…。(強く抱きしめる)
実琉:沢城…さん?でも…でも僕…。
蓮:わかったから…もう、今は何も言わないでくれ。
実琉:…はい。
【間】
蓮:…大丈夫?
実琉:大丈夫です。
そんなに心配そうな顔しないで下さい。
蓮:うん…。じゃあ、帰るよ。
実琉:(M)彼の背中を見送りながらふと我に返る。
会えない方がいいと思っていたのに。
彼の顔を見ているだけで、彼の声を聴いているだけで…思考が上手く回らない。
何をされてもいいなんて。
盲目的に溺れたいだなんて。
どうかしてる。
そんな事はわかってる。
纏まらない。
整えたい。
こんな日、決まって僕は唐輪髷を結う。
気持ち悪い自分を抑え込む為に。
実琉:(溜息)…っ痛…(手首に残った傷跡をなめて)…血と涙の味がする…なんてね。
【数週間後、祇園αステーション】
実琉:(M)会いたくない。会えない方がいい。
会わない日を指折り数えて、本心を抑え込む。
あなたの後姿を見て涙が出そうになっても…。
蓮:あれ?井上君…井上君!
実琉: 沢城さん。
蓮:久しぶり。
実琉:お久しぶりです。
蓮:こっち来てたんだね。
実琉:ええ、打ち合わせに。
蓮:そうなんだ、あ、よかったら、お茶でもどう?
実琉:ごめんなさい、まだ帰って終わらせないといけない仕事があって。
蓮:そっか、じゃあ送ってくよ。
実琉:そんな、申し訳ないです。
蓮:いいのいいの。
俺これから休憩だし、隣のカフェでコーヒー買って行こ?
実琉:(微笑)はい。
【間】
蓮:いい天気だね。
実琉:本当ですね。
もうすぐ夏になるかと思うと憂鬱ですけど…。
蓮:夏嫌い?
実琉:暑いの苦手で。
蓮:そっか。
ねぇ…最近、仕事忙しい?
実琉:そうですね、なんだかバタバタしちゃって。
蓮:うん、スタッフからも聞いた。
忙しいはずなのに、うちの会社の小さな仕事も快く引き受けてくれてるって。
東京でも仕事してるのに無理させてるよね。
実琉:そんな、無理なんてしてませんよ。
蓮:ありがとう。
そう言ってもらえると助かる。
実琉:本当に…必要として頂けるのが有難いんです。
蓮:そっか…。あ、でもカラダには気を付けてね?
実琉:ありがとうございます。
…先生が亡くなってからの一年は途方に暮れるくらい仕事がなくて。
馴染みのお茶屋さんにも切られて…。
今日をどう乗り越えようって必死だったから。
今こうやって忙しくしてるの、幸せです。
蓮:凄いな…。
実琉:え?
蓮:尊敬するよ。
実琉:どうしたんですか急に?
蓮:本心だよ。
…なのに変に嫉妬して、感情をぶつけて…俺カッコ悪いよな。
実琉:そんなことな―――
蓮:(被せて)あるよ。この前だってそう…。
実琉:……。
蓮:…これじゃ嫌われても仕方ないよね。
実琉:なに言って…
蓮:最近、連絡来なかったし。
お店にも居ない事が多かったから。
俺、とうとう愛想つかされたのかなって。
実琉:違うんです。
また新しい映画のお仕事頂いて。
蓮:そうなの?
実琉:はい。現場への移動に時間を取られてしまって。
蓮:そっか。なんだ…(笑って)よかった。
実琉:ごめんなさい。
蓮:ううん。撮影現場にはもう慣れた?
実琉:はい。現場の雰囲気もすごく良いです。
蓮:そう。
実琉:あ、そうだ…是枝(これえだ)監督ってお知り合いなんですよね?
蓮:え、是枝修司?
実琉:そうです。今回の映画、是枝さんが監督で。
僕の資料に沢城さんとのお仕事が載っているのを見て「あいつ元気にしてるか?また連絡しろって伝えてくれ」って。
蓮:そっか。
実琉:ごめんなさい。
早く伝えなきゃいけなかったのに今になっちゃって…。
蓮:ううん、ありがとう。
修司か…懐かしいな。
他に何か言ってた?俺の事。
実琉:あ…えっと。
蓮:なに?あ、もしかしてあいつから俺の恥ずかしい話でも聞いた?
実琉:いえ…そうじゃなくて。
蓮:ん?
実琉:嫌じゃないんですか?昔の話やお芝居の事、言われるの…。
蓮:どうして?
実琉:あの夜、お芝居しないんですか?って聞いた僕を見る沢城さんの目が、すごく冷たかったから…。
それに“ずっと蓋してた”って…。
蓮:そっか…うん、そうだね。
でも俺やめたんだ蓋するの。
実琉:やめた?
蓮:そう思えたのも君のおかげ。
実琉:僕の?
蓮:うん。だから昔の話でもなんでもさ、知りたいことがあったら聞いて?
井上君には知ってて欲しい。
実琉:…。
蓮:で、俺も君の事がもっと知りたい。
実琉:っ。
蓮:ね、手つないでいい?
実琉:…急にどうしたんですか。
蓮:つなぎたいから。ダメ?
実琉:い、いえ。
蓮:(微笑)なんか…こうやって普通に手つなぐのっていいよね。
実琉:…。
蓮:最近ずっと井上君の事考えてた。
会いたくて…会えたから…こういうのいいな。
実琉:…。
蓮:井上君?
実琉:…。
蓮:どうかした?
実琉:どうして急に優しくするんですか。
蓮:え?
実琉:なんでそんなに優しく笑うんですか…?
どうしてもっと、身勝手でいてくれないんですか?
蓮:井上く―――
実琉:急に僕を見るな…。
認めたり、気遣ったりするなよ。
蓮:ちょっと、待ってよ落ち着いて…
実琉:(手を振り払って)なんで急に手なんか…。
蓮:っ…
実琉:僕が触れるのが嫌だから縛るんですよね?
蓮:それは…
実琉:(矢継ぎ早に)僕に見られたくないから目隠しするんですよね?
蓮:……。
実琉:征服欲?それとも支配欲ですか?
好きじゃないから。
汚したいから。
だから…優しくできないんじゃないんですか?
蓮:……。
実琉:僕の事、怖いですよね?
蓮:怖くなんて―――
実琉: 嘘だ。
蓮:っ…
実琉: だって僕も自分の事が怖くて、気持ち悪くて仕方ない。
こんな自分、嫌なのに…。
やめたいのに…。
蓮:ごめん。
実琉:それ、なんの謝罪ですか?
蓮:今までの事、全部…でも俺は心の底から君に優しくしたいって思ってる。
実琉:"優しくしたい"……今更?
僕の事どうするつもりもない癖に、そんな言葉聞かせるなよ!
あなたの一言一言が、あなたの行動が…何もかもが、僕を揺らしてぐちゃぐちゃにするのにっ…
今さら……そんな…っ…やめてくれよ…。
蓮:俺は…。
実琉:そんなの優しさじゃない!
ただのエゴだろ?!
本当に優しくしたいなら、最後まで酷い奴でいろよ!
出来もしないのに、中途半端に優しくするな!
蓮:っ…。
実琉:優しくされて嬉しくないわけない。
でも、それに甘える事なんてできない。
蓮:どうして…。
実琉:沢城さん…本気で人を好きになった事、ありますか?
蓮:……。
実琉:やっぱりそうですよね…。
あなたは…人を好きになるのを怖がってる。
そんな人が気まぐれに優しくなんてするなよ。
蓮:…何がわかるっていうんだよ。
俺の、何をわかって言ってるんだよ。
怖がってるって…それってそんなにいけない事?
怖いけど優しくしたいって思いは伝わらない?
君こそ急に怖くなったんじゃないのか?
実琉:っ…。
蓮:そもそも怖がらない人間なんているの?
ずるくない人間なんているのかよ。
今まで酷い事をして来たのはわかってる。
俺が君をかき乱してるんだってわかってるよ。
だけど…それでも構わないから、君は俺に抱かれてきたんじゃないのか?
俺になら何をされてもいいって言ったのは君だろ?
優しくしたいからして、何がいけない。
エゴを押し付けてるのは君も一緒じゃないか。
……なのに何で急にそんな事。
実琉:…。
蓮:自分の事を棚に上げて俺を攻めたてるな…。
(しばらく沈黙)
実琉:もう…やめます。
蓮:え…?
実琉:今まで迷惑かけてごめんなさい。
でも僕……本当に好きなだけでよかったんです。
蓮:井上君…。
実琉:もう連絡しません。さよなら。(そう言って走りさる)
蓮:井上く…っ。
なんで俺あんな事……っ(実琉の後を追いかける)…はぁ、はぁっ…待って!
実琉:離せよっ…もう…いい(んだ)――
蓮:(遮って)よくない!さよならなんて、したくないんだ!
実琉:っ…。
蓮:怒鳴って…ごめん。
実琉:いえ…。
蓮:…何をしても許してくれる君が怖かったよ。
いつかその思いが風化したらと思うともっと…。
ずるくて自分勝手だってわかってる。
どう転んでも君を不幸にしかしない。
俺は何も捨てられない駄目なやつなのに…これ以上は駄目になるもんかって思ってるのに…。
君にどんどん惹かれていく。
実琉:…。
蓮:やっと気づいた。
実琉:何に…?
蓮:もう謝らない。
君を失わなくてすむなら、俺はもっとひどい男になる。
実琉:え…?
蓮:泣かせてばかりだな…。(頬にふれる)
実琉:やだ…やめ…
蓮:やめない。
実琉:やめて…。そんなに優しく触れないで。
蓮:優しくしたいんだ。ずるいってわかってても、君を優しく…っ。(抱き寄せる)
実琉:っ…。
蓮:抱きしめたい。
実琉:だめ…。
蓮:…好きだ。
実琉:残酷…。
蓮:うん、わかってる。
でももう…この気持ちを止められないんだ。
実琉:沢城さん…
蓮:蓮。
実琉:れ…ん。
蓮:そう…もっと呼んで?
実琉:…蓮。
蓮:実琉…もう一つ酷い事、言ってもいい?
実琉:や…だ。
蓮:聞いて、ねえ、こっち見て…実琉?
実琉:蓮…っん。
(ふたりは唇を重ねる。深く、何度も…)
蓮:…愛してる。
実琉:(M)名前を呼ぶ度、唇をふさがれる。
蓮:(M)名前を呼ばれる度、唇をふさぐ。
実琉:(M)唇から首筋に…鎖骨に…優しく彼の舌が這う。
蓮:(M)舌で愛撫する度、震える姿に高揚する。
実琉:(M)漏れる吐息に熱がこもる。
蓮:(M)細い腰を抱き寄せ、硬くなった突起に吸い付く。
実琉:(M)刺激にあわせて肌があわだつ。
蓮:(M)濡れた瞳に挑発される。
実琉:(M)頭が朦朧として、何も考えられなくなる。
蓮:(M)このまま溶け合って…
実琉:(M)このまま繋がって…
蓮:(M)淫靡な音色が混ざり合う。
【数か月もしくは数年後かもしれない 実琉の部屋】
実琉:ん…行くの?
蓮:あ、起こしてごめん、仕事行くね。
実琉:うん…。
蓮:どうした?
実琉:夢、見てた。
蓮:夢?
実琉:初めて愛してるって言ってくれた日の夢…。
蓮:そう…もう、行かなきゃ。
実琉:次、いつ会える?
蓮:どうかな、また連絡する。
実琉:そうやってすぐはぐらかす。
蓮:淋しい?
実琉:そういうわけじゃない。
蓮:好きだよ。
実琉:ずるい。
蓮:そんな俺が好きでしょ?
実琉:すごい自信…。
蓮:ねえ、こっち向いて。
実琉:何?
蓮:好きだよ?
実琉:早く仕事行きなよ。
蓮:(苦笑)冷たいなあ。じゃあ“もう一つ酷い事、言ってもいい?”
実琉:…。
蓮:愛してる。
実琉:不思議。
蓮:何が?
実琉:言ってもわからない。
蓮:言わなきゃわからない。
実琉:言ったところで話し合う時間もないじゃない、話し合ったところでどうにかなる関係でもない。
蓮:人間ってどうしてこう欲張りになるんだろうな。
実琉:それをあなたが言う?
蓮:そうだな。(時計を見て)そろそろ行くよ。また連絡する。
実琉:(蓮が出ていく扉の音を聞いて)…永久不変なものって本当にないんだな。
実琉:(M)彼が残した痕、匂い…。
次に会うまでには跡形もなく消えてしまう。
僕は一時の甘い快楽に酔いしれて、包まれて、まどろんで。
会えば会うほど欲しくなり、重なれば重なるほど断ち切れなくなる。
扉が閉まる音を聞く度、空虚感に襲われるのに…。
蓮:KYOTO FM 『Midnight Ren Connection(ミッドナイト レン コネクション)』。
みなさん、こんばんは。沢城蓮です。今夜も“祇園α(ぎおんアルファ)ステーション”よりお送りしていきます。
今日は宵々山(よいよいやま)、朝から随分雨が降ってますね。
祇園祭は山鉾巡行(やまほこじゅんこう)も基本的に雨天決行で中止はしません。
去年に至っては、台風だったのに強行決行しましたからねえ。京都人の意地を感じます。
さて、今夜最初のナンバーは…
(ラジオを切る実琉)
実琉:(M)今夜も眠れそうにない。
僕はおもむろにカツラと道具を取り出して、唐輪髷(からわまげ)を結う。
髪を結う時が一番落ち着く、自分らしくなる。
雄の…乱れる本能を抑えこめる。
断ち切りたい。
そう…しなければ。
頭の中で警鐘がなっている。
実琉:愛って…どんな味がしてたっけ…?
【現在】
(鳴り響く着信音)
実琉:(M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。おごれる人も久しからず。
ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。
蓮:(M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。
実琉:(M)この街に僕は縛りつけられて…
蓮:絶対に離さない。
実琉:(M)…堕ちていく。
【エピローグ】
蓮:(M)あれから…どれくらいの時間が過ぎたのか。
いつの間にか彼は手の届かない存在になり、俺は焦燥感に包まれていた。
かからない電話。
既読のつかないメッセージ。
スマートフォンの液晶画面を眺めていると、突然コール音が響く。
それに驚いたと同時に俺は目を見張った。
蓮:実琉…(少し戸惑いながら、電話をとる)もしもし?
蓮:(M)乾燥した声が漏れた。
動揺しているのをきっと彼は気づいている。
実琉:久しぶり、元気?
蓮:ああ……久しぶり。
君が元気そうなのは見てるよ。
この間もテレビ出てたろ。
実琉:珍しい仕事だからパンダ扱いされてるだけだよ。
こうやってチヤホヤされるのもそろそろおしまい。
蓮:そう…か。それで、今日はどうした?何かあったのか?
実琉:……。
蓮:実琉?
実琉:祇園に戻ろうと思ってる。
蓮:こっちに?そう、いつ?
実琉:月末に、一度帰る。
来月中にはこっちのマンションも引き払うつもり。
蓮:そうか……。
実琉:会えない?
蓮:ああ、いいよ。
実琉:新幹線の時間が分かったら連絡する。
蓮:ああ、迎えに行く。
実琉:じゃあね。
蓮:(M)冷たく聴こえた彼の声。
どうして今、連絡をして来たのか。
俺に何を求めているのか。
彼が何をしたいのか…考えても仕方ない事が、心を…頭を満たす。
何年も彼を振りまわした罰なのか。
蓮:堕ちたのは俺の方か…
完