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#宵に燃ゆる、堕天の焔


【無印】瑠璃・良馬京都弁
【回転木馬】良馬標準語
【瑠璃観音】瑠璃標準語
【光焰万丈】瑠璃・良馬標準語

所要時間 60分

比率 3:1(♂:♀)

 

葛城 瑠璃(かつらぎ るり)
茶道家

 

村瀬(むらせ)
茶道家(現在は引退)


如月 良馬(きさらぎ りょうま)※蠱惑的アディクト 常盤小太郎の実父
料理人(割烹如月の料理長)


葛城 世那(かつらぎ せな)
高校生(17歳)

 

 

 

 

 

 

 



瑠璃:なあ、世那…

   あんたは私を殺してしまったって思い悩むかもしれん。
   それとも清々しい気持ちでおるかもしらん。
   それはもう、私には分からへんけど。
   せやけど、最期に伝えておきたかった。

   私は自分の意志で、この人と一緒に逝くことにしたんよ。

 

(比叡山の峠。雨上がりの湿った風景が広がる中、事故現場を映すニュース映像)

 

アナウンサー:次のニュースです。昨夜未明、比叡山の峠で車が崖下に転落し、運転していた、茶道家の葛城瑠璃さんが死亡しました。
       警察の調べによりますと、現場にブレーキ痕はなく、事故原因は調査中です。


(瑠璃の茶室で世那が遺品を整理している)

 

世那:(M)母さん、あなたが最後に何を考えていたか、私にはわからない。
   ただ、一つだけ確かなのは――あなたが自分の道を選んだということだけ。

 

(静かに茶道具を扱う音。風の音が微かに聞こえる)

 

世那:(M)幼少の頃から母の茶室には入ってはいけないと言われていた。
   高価な茶器があるからだと聞かされていたが、歳を重ねていけば察しもつく。
   茶室で若い男をついばみ、パトロンと戯れ、そして“あの人”と忍び逢う。


   『魅力的な人だった』と他人(ひと)は言う。
   …が、母は決して器量の良い女ではなかった。

   けれど男心を擽る魅力と色香を放ち、彼女は数多の男達を翻弄する。


   それは父も例外ではない。
   母と随分歳の離れていた彼は、彼女を玉のように可愛がり、盲目に溺愛していた。
   けれど、私が物心ついた時から笑顔を向けられることも無く、抱き上げられることも無く、中学に上がる前に突然死んだ。

 

   母は一度も泣かなかった。
   嘘でも…泣いて欲しかった。

 

 


【タイトルコール】

瑠璃:祇園×エンヴィ


世那:戯れ


村瀬:宵に燃ゆる


良馬:堕天の焔

 

【祇園 裏千家茶道教室 禅那庵(ぜんなあん)】
※禅那とは仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指す。

(夜。古びた茶室。月明かりが障子越しに差し込む中、瑠璃が茶を点てている)

 

瑠璃:先生、この香り、覚えてはる?
   あの夜、初めて私に点ててくれたお茶。


(村瀬がじっと茶碗を見つめる)


村瀬:覚えているとも。
   おまえもまだあの頃は、無垢な娘だった。


瑠璃:(微笑みながら)無垢やなんて…先生、それ、嘘やろ?
   私、最初から先生を手に入れたいだけやったんよ。


村瀬:瑠璃は自分の欲望に正直だね。


瑠璃:せやから、今夜もこうしてる。


村瀬:おまえは自分だけが可愛いんだ。
   人を愛しているようで、結局は自分を愛している。


瑠璃:また、そうやって意地悪なこと言うて…。


村瀬:瑠璃、その燃えたぎる炎がいつかおまえを焼き尽くしてしまうよ。

 

(瑠璃が近づき、村瀬の腕を掴む)


瑠璃:かまへん。
   先生がそばにいてくれるなら、私は、全部失ってもええんやって言うてるやない。


(村瀬が瑠璃の手をそっと振り払う)


村瀬:手に入れば要らなくなるよ。
   私はあの一度の過ちだけで十分だ。


瑠璃:すぐ、意地悪なこと言う。


村瀬:謝らないよ。


瑠璃:…帰る。


村瀬:ああ…気をつけておかえり。

 

 

【祇園、四条大橋】

良馬:(M)満月の光が石畳を照らし、花街の提灯が揺れる。
   黒地に金糸の彼岸花をあしらった着物をまとい、深紅の帯を締めた女が一人、四条大橋のふもとに立っていた。
   その姿は、静寂の中で燃え上がる炎のように妖艶で、けれど手を触れることを許さない冷たさを漂わせていた。


良馬:こんな夜に、えらい見ごたえあるな。


(瑠璃がわずかに振り返り、唇に軽い微笑を浮かべる。その笑みは挑発にも似て、相手の出方を試していた)


瑠璃:面白いことを言わはるんやね。


良馬:俺は嘘つけへんからな。


瑠璃:この辺じゃ珍しい無遠慮な男やこと。
   (笑って)さてはあんた、嫌われもんやろ。


良馬:さあな。せやけど気になったもんには、つい手ぇ出しとうなる。
   それが俺の悪い癖や。


瑠璃:手を…ねぇ?


良馬:そんな簡単や思てへんよ。
   でも、それが男の性や。


瑠璃:面白い子やな。
   せやけど追いかけられるんはあんまり得意やないんよ。


良馬:そんなん、追いかけてみなわからんやろ。


瑠璃:(ため息をついて)今夜はそんな気分やない。


(瑠璃は小さく首を振り、踵を返す。その背中はまるで炎が揺れるような余韻を残す)


良馬:なぁ、また会える?


瑠璃:(瑠璃は振り返らず、肩越しに)それはあんた次第やで。如月の旦那?


良馬:っ…!なんで?


瑠璃:この街は、狭いんよ。


(瑠璃が去った後、四条大橋のたもとに一人佇む良馬。祇園の灯りが川面に揺れている)


良馬:(M)炎やった。あの女は確かに燃えとった。
   赤々と…ただ暖を取れるような火やない。
   近づけば燃やされる。それでも、俺はあの熱を求めてしまう。
   自分を焼き尽くしてでも……そう思わせる女が、この世におるなんて信じられへんかった。


(良馬はタバコを一本取り出し、手に持ったまま吸わずにいる)

(祇園の路地を一人歩く瑠璃。月明かりに映える金糸の彼岸花が、風になびく)


世那:(M)炎は燃えれば消える運命にある。
   けれど、その燃え殻には、次の何かが宿ることがある。
   この夜に出会った炎は、一体何を変えていくのだろうか

 

 

 

 

 


【数日後、祇園 裏千家茶道教室 禅那庵(ぜんなあん)】

瑠璃:先生、この間、おもろい子に出会(でお)たんよ。
   若くて、野心家で、でも不器用な人。


村瀬:おもしろい子?


瑠璃:せやねん。料理人らしいわ。


村瀬:(眉をひそめて)そうか。


瑠璃:(悪戯っぽく微笑みながら)珍しいことが好きなんよ。
   料理だけやのうて、自分の本能に忠実でなあ。


村瀬:本能に忠実…ねえ。


瑠璃:…(妖艶に笑って)粗茶ですが。


(村瀬は茶碗を手に取るが、その仕草に微かな苛立ちが滲む)


村瀬:瑠璃、この間のことで怒っているんだね?


瑠璃:さあ?なんのこと?


村瀬:私の反応を見て楽しんでいるのか。


瑠璃:せやったらどないする?


村瀬:野良犬などに興味はないよ。
   おまえがどうしたいかが問題だ。


瑠璃:私もようわからん。


(村瀬が茶を飲み干し、静かに茶碗を置く)


村瀬:この茶の味、おまえの心がよく映っている。


瑠璃:どんなふうに見えてるん?


(村瀬が一瞬考え込むように目を伏せる)


村瀬:…烈火のようだ。
   燃えれば周りを巻き込み、やがて灰になる運命の炎。


瑠璃:その炎に、先生も焼かれたいんやない?


村瀬:もしそうなら、私もまた愚か者だ。


瑠璃:愚か者が一人増えたくらいで、世の中何も変わらんよ。


村瀬:瑠璃……私は罪をもう重ねる気はない。


瑠璃:それはもう手遅れやわ。


村瀬:おまえは私を縛る炎の鎖だね。


瑠璃:(唇に笑みを浮かべながら)先生はその鎖を切らんかった。
   私を選んだのは…先生自身やろ?


村瀬:あの時、私は自分の立場を捨てるべきだったのかもしれない。


瑠璃:どんなことをしても、私は先生を離さへんよ?


(村瀬が瑠璃を見つめる。その瞳には後悔と欲望が交差している)


村瀬:それでも、私はおまえに触れるたび、罰を受ける覚悟をしていたんだ。


瑠璃:覚悟したかいはあったやろ?


(瑠璃がゆっくりと彼に近づく。距離が縮まり、村瀬は目を閉じる)


村瀬:…おまえは私の最後の炎だな。


瑠璃:(そっと耳元で囁く)その炎で傷つくんが怖い?


(緊張が高まる中、茶釜の湯の音だけが響く)


村瀬:いいや…。


瑠璃:ほな今夜は一緒に燃え尽き…


村瀬:すまない。


瑠璃:なによ、女に恥かかせるつもり?


村瀬:私はおまえに悦びを与えてやれないんだ。


瑠璃:それって……


村瀬:今日はもう帰ってくれ。

 

 

【祇園、四条大橋】
(良馬が仕事帰りに四条大橋を渡る夜。ふと橋のたもとに立つ瑠璃の姿が目に入る。
 彼女は今日もまた金糸の彼岸花をあしらった着物をまとい、妖艶な微笑みを浮かべている)


良馬:また会(お)うたな。


瑠璃:こんな夜にまた会うなんて、何かの縁かもしれへんね。


良馬:なぁ、なんかあった?


瑠璃:なんで?


良馬:痛そうな顔してる。


瑠璃:ふふ……知ったようなことを。


良馬:ああ、すまん。
   俺みたいな男にこんなこと言われとうないな。


瑠璃:……。


良馬:ほな、気ぃつけて帰りや?


瑠璃:待って。


良馬:……。


瑠璃:私の家、この近くなんよ。


良馬:…らしいな。あんた有名なお茶の先生なんやろ。


瑠璃:ほな話が早いわ。お茶でも飲んでって。


良馬:いや…それは……


瑠璃:なに?


良馬:どう考えても不釣り合いや。


瑠璃:不釣り合いかどうか決めるんは、あんたちゃうで。


(瑠璃はふっと微笑み、良馬を挑発するように視線を送る)


瑠璃:不器用な人ほど、心に深い皺が刻まれとる。
   私なあ、そういう人を見るんが好きなんよ。


良馬:…え?


瑠璃:ええから黙って、着いて来よし。


良馬:…わかった。

 

 

【ある日の深夜 葛城邸】
世那(M):深夜の庭先。
      夜気が湿り、白檀とアンバーウッドの香りが微かに残る。
      障子が滑る音が響き目が覚める。
      見るとあの男が母の部屋の奥から出てくる。


世那:あいつ…また…(布団から飛び起きる)


世那(M):父が死んだ日、母は泣かなかった。
      その日から、何かが変わった。
      母は妙に静かになり、それと同時に、家の中の空気も変わった。
      茶会や稽古だと出かける日が増え、帰りが遅くなることも多くなった。

      そしてある日、あの男…如月良馬が母の茶室だけでなく、この家にまで入り込むようになった。

      最初は、客人だった。
      台所に立ち、「母親業と茶道を両立するのは大変だろう」とでも言うように、母と私に手料理を振る舞った。
      それは一見、優しさにも見えた。
      だが、母がその腰に手を回し、彼が母を引き寄せた瞬間、その優しさの裏にある別の何かを悟った。

      夜になると、獣のような……悲鳴にも似た悦びの声が襖越しに響き渡る。
      私は耳を塞いだ。それで消えるはずがないとわかっていても…

      朝になれば、家中に料理人には不相応なアンバーウッドの香りが残る。

      そして、あの男は夜明け前には消えていた。
      まるで最初から、何もなかったかのように——。


(玄関を出てきた良馬。庭先で待ち構えていた世那と目が合う。)


世那:……あなた、いつまで母の呼び出しに応じるつもりですか。


(良馬は足を止め、ポケットに手を突っ込む。眉をひそめて小さく笑う。)


良馬:俺の勝手やろ。


世那:そうですね、母さんも忙(せわ)しない人だ。
   いろんな男に“特別”だとふれまわって。


良馬:……何が言いたい。


世那:ただの事実を言っただけですよ。
   あなたも“特別”扱いされてると思ってるんでしょう?
   でも、それは全部“作りもの”。


良馬:ほぉ……おまえ、言うようになったな。
   けどな、作りものでも、その瞬間に感じたもんは本物かもしれへんで?


世那:それを言うなら、錯覚ですよ。
   “自分だけが特別”だと錯覚させるのが、母さんのやり方です。


(良馬の眉がわずかに動く。彼は煙草を取り出し、火をつける。)


良馬:……ガキのくせに、偉そうにほざくな。


世那:ガキでも、母さんのことは見てきました。
   あなたなんかより、ずっと永く。


良馬:おまえが何を知っとるっちゅうねん。
   “母親”としての顔しか見てへんおまえに、何がわかる?


世那:“母親”としての顔すら、俺は見たことがない。


(良馬が動きを止め、世那をじっと見つめる。)


良馬:なんやと?


世那:母さんは、俺を愛してなんかない。
   ただ、所有していただけだ。
   家にいる間は“母親”という役割を演じ、外では“女”になっていただけ。


良馬:…似とるな、おまえと瑠璃。


世那:(瞬間的に表情を曇らせ)似てない。


良馬:(静かに)似とる。
   そうやなかったら、おまえ、ここでこんな話せんやろ?
   俺のことなんか放っとけばええ話や。
   それでもおまえはこうして俺を見張るように立っとる。


世那:ただの監視ですよ。
   母さんが次にどんな男を招くのか、興味があっただけです。


良馬:クソガキが。


世那:あなたは母さんに利用されてるだけだよ。
   それに気づかないなんて哀れな人だ……。


(良馬が睨みつける。だが、その目には怒りとともに、わずかな迷いが滲んでいる。)


世那:(静かに)さっさと目を覚ませばいいのに。


良馬:おまえに何がわかる。


世那:…できないなら、壊せばいい。


良馬:なにを壊すっちゅうねん。


世那:壊してしまえば、楽になれる。


良馬:冗談で言うとるんか?


世那:冗談に聞こえます?


良馬:…おまえも壊れかけとるやろ。


世那:あなたも、ですよ。


良馬:人間、壊れる時ってのは、なにかを失う時や。
   誰かを失うか、なにかを諦めるか、そのどっちかや。


世那:じゃあ、あなたは何を失ったんですか?


良馬:全部、やな。


世那:なら、いっそ…壊れつくしてしまえばいいじゃないですか。


良馬:ああ…それも悪くないかもな。(去っていく)


世那(M):母さんも、あの人も、私も。
      みんな、どこかが壊れていた。


(朧月が雲に隠れる。闇が深まり、風の音だけが響いていた。)

 

世那:(呟くように) …できないなら殺して…ね。

 

 


【数日後、祇園 裏千家茶道教室 禅那庵(ぜんなあん)】
(茶室。白檀の香が漂う中、静かに釜の湯が鳴る。瑠璃と村瀬が向き合っている。)

村瀬:如月良馬……あの野良犬は、おまえに何を与えた。


瑠璃:与えた?そんな大層なことしてもろてへんよ。
   ただ、壊れたいっていう言うから、面白そうやなって。


村瀬:壊すことでしか、人を惹きつけられないおまえが、私は憎い。


瑠璃:先生、それを言うんは、今さらちゃう?
   私がそうやってしか人を繋ぎ止められへんこと、先生が一番よぉ知ってるやろ。


(村瀬が苦しげに茶碗を見つめ、指で軽く撫でる。その仕草に、かつての迷いが滲む。)


村瀬:(独り言のように)最後の炎が消えたら…。
   私はどうなるんだろうな……。


瑠璃:先生?


村瀬:いや、なんでもない。
   おまえの好きにするといい。
   あの犬とどんな遊びをしようが、私はもう意見しない。


瑠璃:ふふ、珍しいな。妬いてはるん?


村瀬:瑠璃、いいか?私は本気だ。


瑠璃:(柔らかく微笑みながら)本気って、どんな?


村瀬:おまえが、これ以上何かを壊す前に、手を引けと言っている。


瑠璃:それは先生の願い?それとも呪い?


村瀬:願いだよ。


瑠璃:願いなんて、叶うもんやないのに。


村瀬:知っているさ……。


瑠璃:それは先生の優しさ?
   それとも…言うことが聞けへんのやったら、もう私のこと捨てるってこと?


村瀬:おまえはすぐ、私をそうやって試す。


瑠璃:試してるんやない。
   ただ、確かめたいだけ。


村瀬:私は、おまえを愛してはいけなかった。


瑠璃:でも、愛したんやろ?


(村瀬は答えない。ただ、長く息を吐き出し、背を向けたまま動かない。)

 

瑠璃(M):先生はずるい。
      誰よりも私を知って、誰よりも私を形作った人やのに。
      それやのに一番肝心なところでは、手を伸ばそうとせん。

      あの人は「壊すことしかできない」と言うたけど、違う。
      壊すんやなくて、壊れるしかなかっただけや。

      そして私も、先生も、あの人も。
      みんな、どこかを壊しながら、もがき続けるしかないんやろね……。

 

 

 

 

 

 

 


【そして数日後、または数か月後。祇園 裏千家茶道教室 禅那庵(ぜんなあん)】

(良馬が瑠璃の茶室に招かれる。障子越しに滲む月影。
 白檀の香が微かに漂う。瑠璃は静かに茶を点てている。
 良馬は無造作に座り込み、床の一点を見つめている。)

瑠璃:あんた、ほんま不器用やね。


良馬:なんや、突然。


瑠璃:座り方ひとつ見てもわかる。居場所の作り方が下手やねん。


良馬:あんたに言われたない。


瑠璃:ふふ、せやな。私もおんなじ。


良馬:あんたはちゃう。好きなように生きとるだけや。


瑠璃:好きなように生きとるように見える?


良馬:……。


瑠璃:“ほんまに”好きなように生きとる人間は、こんな茶室に引きこもらへんよ。


良馬:……。


瑠璃:あんたの目、ええな。


良馬:また突然やな。


瑠璃:濁っとるけど、まだ底が見えへん。


良馬:褒めてんのか?


瑠璃:興味があるって言うてるんよ。


良馬:へえ?


瑠璃:あんたは、私が惹かれるもん持ってる。


良馬:どんな?


瑠璃:まともになりきれへんとこ。


良馬:……。


瑠璃:中途半端にまともで、中途半端に壊れとる。
   どっちにも行かれへん。
   …粗茶ですが。


(瑠璃が茶碗を差し出す。良馬は少しだけ逡巡し、受け取る。)


良馬:苦いな。


瑠璃:苦いもんは嫌い?


良馬:……。


瑠璃:今まで、“苦いもん”から逃げてきたんちゃう?


良馬:どういう意味や。


瑠璃:家族、仕事、人間関係、全部や。
   …そのくせ、ここからは逃げへん。


(良馬が黙る。瑠璃は静かに湯を注ぐ。)


瑠璃:なんで?:安心する?


良馬:かもな。


瑠璃:そう、私もおんなじ。


良馬:なにが?


瑠璃:どこにおっても、誰とおっても、ひとり。自分が“なにもん”なのかぼやけてわからん。
   せやけど、不思議なもんで…あんたとおるときだけは、ちょっとだけ“人間”になれる気がする。


良馬:人間って、なんやろな。


瑠璃:さあな。


(茶釜の湯がふつふつと沸き立つ音が、静寂の中に満ちる。)


瑠璃:せやけど獣の目ぇしてるくせに、ときどき妙に人間くさい顔する。
   そんなあんたの顔が、私、好きなんやわ。


(良馬は何かを言いかけるが、瑠璃の視線がそれを封じる。)


瑠璃:あんたは、私をどう思う?


(良馬が茶碗を置き、ゆっくりと口を開く。)


良馬:めんどくさい女やと思う。


瑠璃:せやろな。


良馬:せやけど、目ぇ離せへん。


瑠璃:せやろ。


(茶釜の湯の音だけが、静かに響いていた。)


良馬:…俺はもう、前のようには戻れん。
   家族の元にも戻れんし…戻らへんって決めた。
   どう足掻いても、どう取り繕っても、俺は俺のままで生きられへん。


瑠璃:不器用やね。


良馬:何度も言うてくれるなよ…こちとら器用なんが唯一の取り柄やって信じてたんやさかい。


瑠璃:ふ…


(ふたり見つめ合って、それから笑う。子供のように、ただ楽し気に)


瑠璃:なぁ、今夜から泊まっていき。


良馬:いや…


瑠璃:居(お)りたいだけ居ったらええ。


良馬:せやけど…


瑠璃:あんたに居って欲しい。


良馬:…わかった。

 

 


【数日後。祇園 裏千家茶道教室 禅那庵(ぜんなあん)】

(夜の茶室。月明かりが障子越しに差し込む。白檀の香が仄かに漂う中、湯の立つ音だけが響く。)

瑠璃:先生、この間ようやくわかったんよ。
   私、ずっとこれを求めてたんやって。


村瀬:そうか。


瑠璃:…それだけ?


村瀬:おまえが何を求めたか、それを知ったところで私は何も変わらない。


瑠璃:ほんまに?


村瀬:ああ。


瑠璃:嘘。


村瀬:瑠璃、おまえは私を縛る、美しい鎖だった。


瑠璃:なんで過去形なん?


村瀬:その鎖には、もう手垢がつきすぎた。


瑠璃:…そんなこと言うんや。


(沈黙が落ちる。湯の音がやけに耳に響く。)


瑠璃:先生、私、先生のそばにおらな息もできんのに。


(村瀬はゆっくりと立ち上がり、障子の向こうに広がる闇を見つめる。)


村瀬:ならばなぜ、一線を踏み越えた。


瑠璃:(くすりと笑う)野良犬、買(こ)うたくらいでそんなに怒らんといて。


村瀬:馬鹿にするな。


瑠璃:先生もそんな顔するんや。
   …なんや、可愛いなぁ。


村瀬:(微かに眉を寄せ)瑠璃、おまえは……。


瑠璃:私がどれだけ先生を思うとるか、ようわかるやろ?


(村瀬は静かに目を閉じ、口を閉ざしたまま動かない。)


瑠璃:(声が震える)なぁ、なんで黙るん。


村瀬:やめろ。おまえは、自分のためにしか人を求めていない。


瑠璃:そやろな。せやけど、それでええんよ。


村瀬:…私の最後の炎は、もう消えた。


瑠璃:……嘘や。


(村瀬は何も言わない。)


瑠璃:(涙を滲ませながら)先生、ほんまにそれでええん?


村瀬:おまえが選んだ道だ。


瑠璃:…私は、先生が必要なんよ。


村瀬:私を憎みたいだけ憎めばいい。それが、おまえが生きるための道だ。


瑠璃:(叫ぶように)そんなん、嫌や!


(茶釜の横にあった鉄の柄杓を握る。村瀬が振り返る瞬間、鈍い音が響く。
 村瀬の体が揺れ、ゆっくりと畳に崩れ落ちる。けれで瑠璃はその手を止めない

 打って、打って…打つ…)


瑠璃:あかんな、先生。ほんま、あかん人やわ……。


(わずかに目を開らいたまま絶命する村瀬。)


瑠璃:(そっと村瀬の髪を撫でながら)…これで私ら、ずっと一緒やで。


(静寂が訪れる。障子越しの月光が二人を照らし、茶室には湯の沸く音だけが響いていた。)

 

 


(茶室の裏庭。夜気が湿り気を帯び、白檀の香が微かに残る。
 瑠璃が村瀬の車のトランクをゆっくりと閉じる。湿った土の匂いが静寂の中に広がる。
 そこへ、世那が足音を忍ばせるように現れる。)

世那:母さん……何してるんだ。


瑠璃:(動きを止めるが、振り向いた時には穏やかな微笑を浮かべている)なんでもないよ、世那。


世那:……何が入ってる?


瑠璃:…あんたには関係ない。


世那:開けて。


瑠璃:開けてどうするん?


世那:確認する。


瑠璃:そんなに知りたいん?


世那:(苦々しく)知りたくなんかない。
   でも……もう知らないふりなんて、できない。


瑠璃:あんた、最初から見とったやろ?この家のことも、私のことも。


世那:(唇を噛む)そんなの見たくなかった。
   知らない男を家に招くのも、誰かと夜を過ごすのも。
   母親が、そんなふうに生きるなんて……


瑠璃:母親、ねぇ。


世那:何が楽しいんだよ。


瑠璃:(静かに)楽しいわけ、ないやろ。


世那:じゃあ、なんで。


瑠璃:ただ、そうするしかなかっただけ。


世那:ふざけるなよ…そんな言葉で、全部誤魔化す気か。


瑠璃:誤魔化したいんかもしれんね。


世那:何を……?


瑠璃:人の心って、あんたが思うよりずっと浅はかで、ずっと深い。


世那:母さん、ほんとになにを隠してるんだ。


瑠璃:(世那の顔をゆっくりと見つめる)あんたの目、ほんまに似てる。


世那:誰に…


瑠璃:さあな?


世那:なんだよ。


瑠璃:なんも言うてへんよ。


世那:…俺の父親のこと、どう思ってた?


瑠璃:(一瞬、静寂が流れる)優しい人やった。


世那:それだけ?


瑠璃:それだけや。
   あんたには、なんも関係ない話や。


世那:俺がこの家の息子である限り、関係ないわけないだろ……!


瑠璃:息子やからこそ、関係ないこともある。


世那:ふざけるなよ。


瑠璃:世那、あんたはもっと自由に生きたらええ。


世那:そんなこと言う資格あるのか。


瑠璃:(小さく笑い)資格なんか、最初から誰にもない。


世那:俺は、母さんをまともな人間だと思いたかった。


瑠璃:まともな母親になれるような女やと思う?


世那:…俺にとって、母親って、なんだったんだろうな。


瑠璃:それはあんたが決めたらええ。


世那:もう、何もかもめちゃくちゃだよ。


瑠璃:(小さく微笑みながら)だから?


世那:母さん、いい加減にしてくれ…


瑠璃:世那……


世那:本当に気でもおかしくなったのか?
   そこになにが入ってるんだよ。


瑠璃:そんなんどうでもええやん。


世那:なんだって?


瑠璃:どうでもええよ。
   放っといて。


世那:俺がどんな目で見られてるか、わかってるのか?!


瑠璃:それは、世那の問題やろ?
   あんたの周りがどうかなんて知ったことやない。
   子供やないんやから自分のことくらい自分でしよし。


世那:俺の問題じゃない!あんたの問題を俺に押し付けるな!
   なんだよ…ほんと……どんどんおかしくなって…
   そんなに壊れたいなら、勝手に一人で壊れろ!

   いっそ、死ねよ!

 

瑠璃:世那……ありがとう。それが私の答えや。


世那:馬鹿にしやがって。


瑠璃:…お父さんそっくりやな。


世那:え?


瑠璃:なんでもない。


世那:……?


瑠璃:少し出てくるわ。


世那:やめときなよ。


瑠璃:なんで?


世那:これから、雨が降るらしい…ひどくなるってさ。


瑠璃:おあつらえ向きやない。


世那:は?


瑠璃:世那…


世那:なに?


瑠璃:……。


世那:なんだよ。


瑠璃:ううん……いってくるわ。


世那:勝手にしろ。


(世那は踵を返して去っていく)


瑠璃:はぁ…


良馬:(瑠璃の背中越しに声をかける)なんや……どないした?
   こんな時間にどこ行くねん。


瑠璃:起きてたんや。


良馬:あんたが帰って来るんを待ってた。


瑠璃:ふ…あは、あははははははは。


良馬:っ…


瑠璃:ほんまに犬みたいやね。


良馬:……それでもええよ。


瑠璃:(深くため息をつく)


良馬:なんかあった?


瑠璃:私、ここまで壊れてしもたんやねぇ。


良馬:なら、俺も一緒に壊れ尽くしたる。


瑠璃:…ええの?


良馬:ああ。俺は、もうどこにも場所なんてあらへん。


(瑠璃が小さく微笑むが、その笑みには哀しみが滲む)

 

 

【比叡山の峠に向かう車内】
(夜。雨が窓を激しく、ワイパーが限りなく動き続ける。
 瑠璃がハンドルを握り、良馬は助手席でじっと前を見つめている)


良馬:(ぼそりと)雨……ひどいな。


瑠璃:ほんま…烈火も消え失せるほどに…


良馬:烈火…?


瑠璃:(ぽつりと)なぁ、あんたは誰かのことを憎んだことある?


良馬:……義理の兄貴が心底憎かった。
   優秀で、なんでも出来て、嫁も子どもらも頼り切り。


瑠璃:そう……


良馬:あんたは?


瑠璃:(遠く見ながら)もちろん…あるよ。


良馬:トランクの中にいる、あの男か?


瑠璃:(うなずきながら)お茶の先生やねん。
   私が茶道を習い始めた頃、あの人は、私に茶道の何たるかを教えてくれた。
   …そして私のすべてを奪っていったんよ。


良馬:……。


瑠璃:初めて点ててもろたあの香り、今でも忘れられへん。
   せやけどあの人が私に教えたんは、茶道だけなやい。

   ……狂おしいほど燃え上がる甘美。


良馬:あんたの色んな表情(かお)見てきたつもりやったけど……


瑠璃:なに?


良馬:いや……


瑠璃:おまえは烈火やって…私を縛りつける炎の鎖なんやって…。
   その言葉が逆に、どれほど私を縛り付けたか……あの人は最期までわからんかったんやろね。


(雨が一瞬だけ静かになる)


瑠璃:せやけど、不思議なもんやわ。
   憎んでるはずやのに、恋しい。
   あの人が私にくれたもの、奪われたもの、その全部が…。


良馬:……その先生が羨ましいな。


瑠璃:(小さく笑う)嫉妬?


良馬:そんな資格ないやろ。


瑠璃:それは、あんたが決めることやないよ。


良馬:ああ……せやな。


(車がカーブを曲がるが、タイヤが滑る。車内に短い悲鳴とタイヤの緩み聞こえる)


良馬:なぁ、ひとつだけ教えて。
   この先になにがある?

 

 

 

 

村瀬:(M) 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
   沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
   おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。
   たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。

 


世那:京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
   しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
   「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
   表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。

 

 

 

 


瑠璃:この街を出た先には……なんにもない。


(車が宙に浮くように感じられる一瞬那、良馬の胸に突き刺さる一瞬の感情)


良馬:ああ……死にたないな。


瑠璃:ふふ…もう遅い。


(鮮烈な雨音とともに、車が崖下まで転落する。激しい衝撃音。)


瑠璃:(M)なあ、世那…

   あんたは私を殺してしまったって思い悩むかもしれん。
   それとも清々しい気持ちでおるかもしらん。
   それはもう、私には分からへんけど。
   せやけど、最期に伝えておきたかった。

   私は自分の意志で、この人と一緒に逝くことにしたんよ。

   この身勝手で憎くて愛しくて堪らないあの人やなく。
   この選択が間違いやって、世間は言うやろな。
   それでも、私は私の道を選んでん。

   いつまでも我儘な母親で、ほんま堪忍な…
   世那…信じてもらえへんかもしれんけど、私は…ほんまにあんたを…


瑠璃:あ…


(さらに激しくなる爆音)

 

 

 

 

 

 

【エピローグ】
(ニュース映像が流れる。比叡山の事故現場と瑠璃の死について報じる。)

 

アナウンサー:引き続き、比叡山の峠で発生した葛城瑠璃さんの転落事故についてお伝えします。
       警察の調べによりますと、事故車両の助手席側に不可解な痕跡が見つかっており、当時、瑠璃さんがひとりではなかった可能性が浮上しています。
       また、車内から未送信のメッセージが発見されており、これが事故の背景を示す重要な手がかりとなる可能性もあります。

       警察は、瑠璃さんの周辺人物への聞き取りを進め、事故と事件の両面から慎重に捜査を続けています。

 

(瑠璃の茶室。静寂の中、世那が茶釜に水を注ぎ、茶を点てている。茶釜の湯の音が響き渡る。)


世那:(M)母さん……私があんなことを言わなければ、こんな結末にはならなかったんだろうか。
   それとも……あなたは最初からこの道を選んでいたんだろうか。


世那:(M)あなたはいつも炎のような人だった。
   燃えれば消える運命にあると知りながら、誰よりも激しく、誰よりも眩しく生きた。

   私はその炎が怖かった。
   けれど、いまようやく気づいたよ。

   その炎が…私にほんの少しだけ…。


(世那が点てた茶を静かに見つめる。)


世那:(M)すべてを燃やし尽くす炎。
   けれど、燃えた後の灰には、新しい何かが宿るという。


(世那が茶碗を口に運び、静かに飲む。ふっと小さな笑みを浮かべる。)


世那:(低く、静かに)ありがとう、母さん……。


(茶室の障子越しに朝日が差し込む。湯の音が微かに続く)

 

 

 

 

 


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