祇園×エンヴィ
祇園×エンヴィ
#かりそめ兎の子守唄(ララバイ)BL版
時間 50分(演者様の間のとり方によって時間が変動します)
比率(♂:♀)2:0
玉兎(たまうさぎ)/為政者専門の男娼、幼いころから蜻蛉茶屋で育った。
旭陽(あさひ)/老舗銘菓の御曹司。彼の父親の代から玉兎を贔屓にしている。
蜻蛉茶屋(かげろうぢゃや)/江戸時代から続く、為政者専門の青楼(せいろう)。
蜻蛉(かげろう)/蜻蛉茶屋で働く娼婦の呼び名、芸事に秀でているものが多い。
蜻蛉言葉(かげろうことば)/舞妓ことばに似た独特の話し方。
※登場人物の年齢について
あえて年齢は明記しませんが、アラサー(25~34歳)あたりで演じやすいように演じてください。
旭陽 (M)祇園白川に架かる巽橋を渡ると、すぐ傍に“祇園のお稲荷さん”と呼ばれる小さな神社がある。
その神社の脇の小道をすりぬけると古い骨董屋の暖簾が見えてくる。
暖簾をくぐると白髪の老婆が無愛想に『おこしやす』と声をかけてくる。
ここで決まって私は『ガラス細工を探している』と尋ねる。
するとすかさず老婆は『どんな種類の細工どすか?』と聞いてくるので、
その問いには必ずこう答えなくてはいけない….
『蜻蛉玉(とんぼだま)』だと。
その答えを聞くと老婆は地下へと続く扉を開け、案内してくれる。
そう…選ばれた者しか入ることのできない高級青楼(せいろう)『蜻蛉茶屋(かげろうぢゃや)』へと…。
【祇園白川・高級青楼“蜻蛉茶屋”―金色の間―】
旭陽 薄暗い明りが灯る室内、壁や装飾品が金色に光っているのが薄っすらと見える。
床の間のそばに客である私の席が用意してあり、そこへ腰かけると程なく襖の外から声がした
たま 失礼いたします。
旭陽 どうぞ。
たま (襖を開け室内に入り、三つ指をつく)ようこそ、おこしやす。
金色(こんじき)の蜻蛉(かげろう)、玉兎(たまうさぎ)どす。
旭陽 あなたが…
たま どうぞ“たま”と呼んどくれやす。
旭陽 (M)これが彼との最初の出逢い。
着物に似た、それでいて肌の露出の多い衣装を纏い、それにそぐわない上品なしぐさで三つ指をつきながら、柔らかく首を傾げて私を見る。
今まで会ったどんな人よりも…彼は美しかった。
(タイトルコール)
たま 祇園×エンヴィ
旭陽 かりそめ兎の子守唄(ララバイ)
旭陽 …。
たま そんな風に見つめんといとくれやす、穴が開いてしもたらどないしますのん?
旭陽 ああ、これは申し訳ない。
こんな浮世離れした所があるなんて…いやあ、驚いたな…。
たま ふふ…可愛らしいお方、初心な素振りがお上手どすな。
旭陽 そんな素振りをしているつもりはないよ。こういった所は本当に初めてで。
たま ほんでも、舞妓や芸姑遊びはしはりますやろ?
旭陽 それは付き合いで、たまにはそういう所にも行く機会はあるが…。
たま 失礼どすけどお客はんは、おとうはんどすか? おにいさんどすか?
旭陽 え…?
たま すんまへん。ちょっと真似事しただけどす。
旭陽 (軽く笑って)なるほど…君にそう呼ばれたくはないが、私はいわゆる“おとうはん”なのだろうね。
たま さすが老舗銘菓の旦那はんどすな。
旭陽 ただの七光りのボンボンですよ。
たま そんな風には見えまへんえ?
旭陽 そう…じゃあ私の事、どんな風に見える?
たま 物腰が柔らこうて、紳士的…うちの冗談に笑ろて付きおうてくれはる懐の深い方…。
旭陽 …。
たま せやけど。その瞳は自信に満ち溢れていて…負けるのが嫌いな…勝負のお強い怖い方。
旭陽 そんな事、初めて言われましたよ。
たま ふふふ。ポーカーフェイスが崩れましたなあ。
旭陽 からかわないで下さい。
たま そんな事してまへんえ。
旭陽 …。
たま さあ、まずは一献(いっこん)…。(銚子をかたむける)
旭陽 あ…ありがとう(盃を差し出し、注がれるのほ確認すると一気に飲み干す)…ふう。
たま 良い飲みっぷりどすなあ、さあ…もう一献。
旭陽 ああ…。
たま 旦那はん、お名前は?
旭陽 旭陽といいます。
たま まあ…うちら金烏玉兎(きんうぎょくと)どすなあ。
旭陽 君の名を聞いたときに、私もそう思ったよ。
たま 奇遇どすなあ。ほな、今宵は太陽と月の出会いを祝して、一献…。(銚子をかたむける)
旭陽 (その銚子に手をかけて)たまも飲んで。ほら、注いで上げるから…。
たま まあ、おおきに。(盃に注がれた酒を一口飲んで)美味しゅうございますなあ。
旦那はんも、どうぞ…。
旭陽 旭陽…そう呼んでくれないか?
たま お望みどしたら、喜んで。旭陽はん…(酒を注ぐ)。ふふふ、なんや嬉しそうなお顔どすなあ。
旭陽 ああ…いいね。とてもいい気持ちだ。
たま お身体ぬくもらはりましたか?
旭陽 そうだね。
たま 今宵はお泊り頂けるとお伺いしとります。
旭陽 ああ。
たま お食事は京懐石で良うどすな。もうお持ちしても?
旭陽 構わない。
たま ほな、ご用意させていただきます。(入り口付近に据え置いてある鈴を鳴らす)
旭陽 鈴の音が食事の合図かい?古風だね。
たま そうどっしゃろ?
旭陽 京懐石か…プライベートで食べるのは久しぶりだな。君も一緒に食べてくれるの?
たま うちらはお酒だけで結構どす。
旭陽 そういう決まり?
たま そうどす。
旭陽 お酒を一緒に飲む以外は何をしてくれるんだい?
たま 舞でも琴でも…もちろん伽(とぎ)でも…お食事の後は、旭陽はんのお好きな事を。
旭陽 そう。…ねえ、たま。食事の後は風呂につかって…
たま お背中流しましょか?
旭陽 ああ、いや…一人で入れるよ。風呂に私が入った後は、一緒に話をして…眠ってくれないか?
たま …それは伽ではなく?
旭陽 しなくていい。私はただ君と話をして、君を知って、そして君を抱きしめて眠りたい。
たま …それが、旭陽はんのお望みなら。
旭陽 (M)彼は戸惑いながらも私の望みを叶えようと尽した。
彼の細い身体を抱きしめ、艶やかな黒髪を撫でる…甘く優しい香りは、どこか懐かしさを感じた。
たま (M)こんな事は初めてだった、彼は父親の代から俺を贔屓にしてくれる、京都でも有名な老舗銘菓の御曹司。
彼の父も紳士的で不思議な人ではあったけれど…こんな風に客に扱われるのは初めてだった。
普通に話をして、一緒にお酒を飲んで、そして眠る…。
最初は戸惑っていたはずの自分が、数週間…数ヶ月とそんな日を繰り返すうちに、彼の来訪を心待ちにするようになっていた。
【数か月後 蜻蛉茶屋―金色の間―】
旭陽 私の父は…君にとってどんな人だった?
たま …おとうはんと、呼ばせて頂いとりました。
旭陽 彼がそう呼んで欲しいと?
たま へえ…それだけやのうて、うちの一番のお得意様やったさかい、色々とお世話になりました。
ほんまに、ええ方どした。…ここには色んなお方が遊びに来てくれはりますけど…。
おとうはんとのひと時は、いつも…なんやほっこりと安心できて…幸せな時間どした。
旭陽 …金色の蜻蛉はこの店では三番手、ここに登りつめるまできっと色んな事があったのだろうね。
たま それを言葉にしては野暮というもの、すべては芸のこやしになりますさかい。
旭陽 ここでどこかの社長や政治家のお眼鏡にかなって、夢を叶える子たちがいるというのは本当の話のようだね。
たま そんな蜻蛉もおりますえ。努力して信じるんをやめへんかった子らは、強運掴んでここを出ていきますさかい。
旭陽 さみしいかい?
たま え?
旭陽 そんな顔をしているから…さあ、もう少し傍に来てくれないか。君の温もりを感じたい。
たま へえ…。
旭陽 戸惑っているね…。
たま こんなん初めてやったさかい…おとうはんも変わったお人でしたけど…旭陽さんもおんなじやわ。
旭陽 父もこうして君を抱きしめて眠ったの?
たま いいえ。おとうはんは、一度もうちに触れはったことはありまへん…いつもその日にお帰りに。
旭陽 そうか…。ねえ、たま…何か歌ってくれないか?
たま 歌…どすか?
旭陽 そう、子守り唄を聴かせて欲しい。
たま へえ…ほな…(少し戸惑いながら歌い始める)
揺籃(ゆりかご)のゆめに
黄色い月がかかるよ
ねんねこ
ねんねこ
ねんねこよ
旭陽 (微笑んで)どうして最初から歌わないの?
たま …これが最初やないんどすか?
旭陽 それは最後の歌詞だって知らなかった?最初は揺籃(ゆりかご)のうたをカナリヤが歌うっていうんだ。
たま 小さい頃に聴いたんが、この歌やったんどす。
旭陽 そうか…きっと君のお母さんがその最後の歌詞が好きだったんだね…。
たま さあ。うちは物心ついた時からここで暮らしとりますさかい、母の事はよう覚えてまへん。
ただ…この子守唄だけは…。
旭陽 もう一度…もう一度歌って?
たま 旭陽はんがそう言わはるんなら…
旭陽 (M)そう言って彼はまた静かに歌う。同じ歌詞を何度も…私が眠りにつくまで…。
たま (M)俺の子守唄を聴きながら、静かに寝息をたてる彼。
その顔を見ていると、胸の奥があたたかくなった。
“愛おしい”という感情は今まで知らなかったけれど、もしかしたらこれがそうなのかもしれない。
そんなひと時の幸せに思いを巡らせ、灯りを落とすと俺は彼の布団へと潜り込みその温もりを感じた。
眠っている彼が無意識に俺を抱きよせてくる瞬間がお気に入りだった。
【また数か月後、蜻蛉茶屋―金色の間―】
旭陽 (M)彼と出逢ってから、もうどれくらい経ったのか…いつしか私は彼に対して欲を持つようになった。
旭陽 もっと…本当の君が見たい
たま え?(恥ずかしそうに笑って)あきまへん。
旭陽 どうして?
たま そんなん、恥ずかしゅうて、よう見せまへん。
旭陽 そう…でもきっと今の笑顔は本物だね。
たま もう…すぐそうやって見透かしたような事言わはるんやから。ほんま、かなんお人どすな。
旭陽 (M)そう言うと彼はまた恥ずかしそうに笑う。
作りものではないその表情(かお)が愛おしくて…抱きしめても抱きしめても足りない。
いっその事、君を攫ってしまうことが叶うなら、私はどんなに幸せだろうか…。
たま 旭陽はん…?
旭陽 ねえ、たま…この仕事、辞めたいと思ったことはない?
たま ないとは…言えまへん。でも、うちには他にできる事があらへんさかい。
旭陽 …たま、私といる時は普通に話すって約束忘れた?
たま 忘れてまへん。
旭陽 (笑って)ほら、また。
たま こんなん沁みついてんのに、急に普通に話せやなんて無茶やわ。
旭陽 だめ?
たま ずるい…。そんなお顔せんといとくれやす。
旭陽 ずるくてごめん…ほら、おいで。(そう言って腕を広げる)
たま …。(広げられた腕に素直に飛び込み、旭陽は優しく抱きしめる)
旭陽 あはは、素直でかわいいなあ。最初出逢った時はとても妖艶な大人の人に見えたけれど…。
今の君がきっと本当の顔なんだと、私は信じたい。
たま それもこれも全部、手練手管かもしれまへんえ?
旭陽 それでも構わない…君になら騙されても…例え殺されても。
たま 物騒な事、言わんといとくれやす。
旭陽 すまない…。
たま なんぞ…あらはったんどすか?
旭陽 いや、何でもないよ。…心配かけたね。
たま 心配くらいさせとくれやす。
旭陽 それは、嬉しいな。
たま (M)彼は優しく、けれど淋し気に微笑むと、俺にいつもの子守り唄をねだる。
旭陽 たまの歌声を聴いていると…母を思い出すよ。
たま どんなお方やったんどすか?
旭陽 元々身体の弱い人でね…別宅で静養していることが多かったから、あまり一緒に過ごす事はなかったんだ。
だけど美しくて心優しい人だったよ。……優しすぎるくらいに。
たま そうどすか…。
旭陽 ああ…そうだね。ねえ、たま…今日は君が私を抱きしめて眠ってくれないか?
たま (微笑んで)甘えん坊さんどすなあ。
旭陽 どう言ってくれても構わない、ね?お願いだから。
たま へえ。ほな、もう少しこっちへ来とくれやす。
旭陽 ああ…。
たま (M)彼をそっと抱きしめる…柔らかい髪を撫でるとくすぐったそうに笑う声が胸にかかる。
吐息がやけに熱く感じるのは、きっと自分の煩悩なのだと…どうか心臓の鼓動よ早くなるなと願った…。
そんな俺の緊張をよそに、彼は静かに寝息をたて始める…愛おしい…本当に心からそう思う。
安心して眠る彼…長いまつげ…綺麗に整った眉…思わず俺はおでこに口づけ落とした。
たま ああ…切ない…。
たま (M)そう漏れた声に驚いて、俺は心を決めた。次に彼が来てくれた時は…必ず。
【数日後、蜻蛉茶屋―金色の間―】
たま ようこそおこしやす。旭陽はん…。
旭陽 やあ、たま。今日は一段と美しいね。
たま …今宵はたまのお願いを聞いとくれやす。
旭陽 お願い?
たま 伽を…夜伽をさせとくれやす。
旭陽 たま…
たま 旭陽はんがここに通うてくれはるようになってもう一年…伽はうちらの大切な仕事の一つどす。
それをこんなに長い間とりあげるやなんて、いつになったら一人前やと認めてくれはるんどすか?
旭陽 私は君の事を、一人前の蜻蛉だと認めているよ?
たま ほんなら、なんで?
旭陽 君の事は…抱けない。君がどんなに美しく魅力的な人だとしても。
たま …っ。なんでなんどすか…うちはこんなに…こんなにっ。
旭陽 本当にすまない。
たま ……小娘みたいなわがまま言うて、堪忍して下さい。
旭陽 君が謝る事じゃないよ。
たま …(我慢していたが泣きそうになる)っ…。せやけど…このまま伽もさせてもらえへんかったら…
うちはほんまに旭陽はんを…っ。お客はんやなんてもう…思えまへん…。
旭陽 (困ったように笑って)たま…そんな顔を他のお客の前でしてはいけないよ?
たま え?
旭陽 私が嫉妬で死んでしまうから…(そう言って抱きしめる)
たま あ…
旭陽 たま、私の頭の中はね…いつも君の事でいっぱいなんだ。
たま …旭陽はん。
旭陽 君の事を本当に愛おしく思っている。
たま 嬉しい…。
旭陽 そんな君をこうやって抱きしめるだけで…私は満たされるんだよ。
たま …。
旭陽 不満そうだね?
たま せめて…お背中だけでも流さしてもろたらあきまへんか?
旭陽 それはまた…随分大胆なお願いだ。
たま うちは蜻蛉どす。
旭陽 そうだね。わかった…お願いしよう。
たま (自分で服を脱ごうとする旭陽を制して)あかん。うちにさせとくれやす…
旭陽 ああ…なんだか、緊張するね。
たま (M)緊張すると彼は言うけれど、俺も同じ気持ちだった。
いつも綺麗にアイロンのかかったシャツに、趣味の良いネクタイ。
それに手をかける自分の指が震えているのがわかった。
心臓の音が激しく高鳴る。
ボタンを一つずつ外すこの時が…やけに長く感じた。
ようやく外し終え、彼のシャツに手をかけて、俺は驚いた。
彼の胸に…ひどく深い術痕があったから。
たま …っ、この胸の傷。
旭陽 ああ…怖がらせてすまない。私はね、生まれつき心臓が悪いんだ。
子供のころから何度もココを開いていてね、その傷だよ…。
医者にも三十まで生きられるかわからないと言われていた。
たま え…。
旭陽 心配しないで、もう数年前に三十は過ぎたよ。どうやら医者の見立て違いだったようだ。
たま ……(心臓付近にある傷に口づけする)。もう…痛くない?
旭陽 たま…
たま 生きててくれて…ありがと。あなたに逢えて…良かった。
旭陽 っ…本当に君は…私の理性を試すような事をするね。
たま 理性って…なに?
旭陽 っ…。
たま (M)彼は少し顔を歪めると、俺をまた強く抱きしめた。
俺が強引に彼のシャツを脱がせると、彼も帯を解こうと手をかける。
蜻蛉の衣装は、帯を解いてしまえばすぐに白い肌がむき出しになる。
彼の温もりを直に感じる…ああ、やっと…やっとあなたと…。
そう、思ったのもつかの間、彼は俺の身体を離すと「ごめん」と小さく囁いた。
旭陽 乱暴にして…すまなかったね。
たま え…。
旭陽 さあ、これを羽織って…冷えてしまうよ。
たま 旭陽さん…?
旭陽 ……。
たま なんで…どうして?俺…俺のこと…やっぱり汚いって思ってるの?
『為政者の』って枕詞が付いたって、自分たちの事、蜻蛉と呼んだって…
俺が体を売る男娼だって事には変わりないから?
だから、そんな奴は抱けないの?
旭陽 違う…。
たま じゃあ、どうして…。
旭陽 …すまない。今夜はもう、帰るよ。
たま 行かないで。
旭陽 今は冷静に話ができないから…今度ちゃんと話そう。
たま ……。
旭陽 たま…?
旭陽 (M)うつむき、こぼれた涙をぬぐう彼…。
静かに呼吸を整えると、悠然とこちらに向き直り微笑みかける。
もうそこに、先ほど垣間見た本当の彼の姿はなかった。
たま …醜態さらしてしもて、ほんま、かんにんえ。ほなお車の準備してまいりますさかい。
旭陽 そんな風に言わないでくれ…。ねえ、たま…。
たま 今夜のお見送りは下のもんがさせてもらいますよって、よろしゅうおたのもうします。
うちはこれで…。
旭陽 たま…!
たま おおきに、またおこしやす。
旭陽 (M)取り付く島もなく彼は部屋を後にした。
この時の彼の表情(かお)を私は最期まで忘れることができなかった。
【数か月後、蜻蛉茶屋―金色の間―】
たま (M)あの日を境に、彼がここへ来ることはなかった。
『今度ちゃんと話そう』という言葉にすがって落ち込むのにも飽きて、俺はいつもの日常へと戻る。
旭陽 ねえ、たま、祇園精舎って京都の事じゃないって知ってた?
たま (M)平家物語を読んでいた彼が、ふと俺にそんなことを言ったのを思い出す…俺が首をゆっくりふると、
彼は俺の頭を撫でながらこう言う…
旭陽 インドにあるんだ、今度みんなで行きたいね。
たま …みんな…って誰…?
たま (M)俺の思いを掻き消すように鈴の音が鳴ると、店主が部屋へ入ってきた。そっと俺に手紙を差し出す。
それは…旭陽さんからの手紙だった。受け取ると…俺は少し震えながら、便せんを取り出す。
あの人に似合う美しい字が目に入ってきて、不覚にも口元がほころぶ。
そこには数か月前の謝罪と…ここへ来れなかった理由と…そして…そして…
たま っ…これ、ほんまなんどすか?あの人は…あの人は…?!
たま (M)手紙を読み終えて気が動転する俺に、店主は『すぐに召し物を変えなさい』と優しく言った。
震える手でなかなか着なれない洋服に着替えると、用意してくれていた車に飛び乗る。
たま 早く…っお願い急いで…っ。
たま (M)祈るように叫ぶ俺を乗せ、車は走り出した。彼が入院する…大学病院へと。
【京都府立医大 心臓外科】
たま 旭陽さん…っ。
旭陽 …たま。来て…くれたんだね。
たま (M)大学病院の心臓外科、特別治療室…彼はそこにいた。
沢山の管に繋がれているのを想像していたが、以外にも繋がれていたのは心電図だけ…。
それが何を意味しているのかはすぐにわかった…。
衰弱して、少し痩せたその顔を見て…さらに涙がこぼれる。
旭陽 すまない、こんな格好で…。
旭陽 (M)病院のベットに横たわる私に泣きながら縋り付く彼。
その彼に病院スタッフや仕事の関係者も驚きを隠せないようだったが、
この数ヶ月準備をしていたおかげで、彼が私にとって何者なのかを悟り、気を効かせて部屋を出て行った。
たま なんで…こんなことに…。あの手紙も……っ。
旭陽 驚かせて…しまったね。
たま …全然、俺…頭が追いつかなくて。
旭陽 大丈夫…君は何も心配しなくていい。だから今は…そばに……
たま うん……いる。ずっといる……俺…どうしてもあなたに会いたかった。会いたくて…仕方なかった。
旭陽 私も…たまに会いたかった。あれが最期だなんて…とても…死にきれなくて……どうか…許してほしい。
たま 許してる…最初からずっと…許してるから…だから…行かないで…嫌だ……嫌だよ。
旭陽 …君と過ごした日々は……本当に幸せだった。
たま 俺も…幸せだった…。
旭陽 嬉しい…な。私だけがそう…思ってるんじゃないかって…。
たま そんなわけない…。
旭陽 君は本当に…優しい子だね。
たま あなただっていつも優しかった。
旭陽 …心残りが…あるとすれば…
たま なに?何でも言って…っ。
旭陽 …君の願いを何一つ叶えてやれず…すまない。
たま っ…謝らないで……最期みたいに…言わないでよ。
旭陽 …お願いがあるんだ。手を…握ってくれないか…
たま うん…
旭陽 冷たい…私のせいだね。
たま 旭陽さんは…あったかい…今も…いつも……俺…俺そんなあなたが―――
旭陽 (言葉を遮って)たま…歌って…くれないか……子守唄を。私は君の歌が好きなんだ。
たま …旭陽さんがそう望むなら。
旭陽 ああ…ありがとう…。
たま …揺籃(ゆりかご)のゆめに…黄色い月がかかるよ…ねんねこ……ねんねこ……ねんねこよ。
旭陽 ……。
たま 旭陽…さん?ねえ…やだ……ねえ…嫌だってば…なんで……なんでだよ。なん…で……
旭陽 (M)たま へ
突然こんな手紙を送ったことを許してほしい。
そして数か月前のあの日…ひどく君を傷つけてしまったことを…。
君に初めて出逢ったあの日から、私は本当に君でいっぱいだった。
ずっと惹かれていた…君を本当に愛していた。
今となってこの感情がどういったものだったのか、私には上手く説明できない。
けれど、愛おしいと思ったこの気持ちに嘘はない。
それが弟への愛情だったとしても…。
たま (M)彼は手紙に、俺の産まれた時の事や蜻蛉茶屋に預けられた経緯を丁寧に書いてくれたけれど…。
それは俺にとってあまり重要ではなかった。
異父兄弟…それがなんとなく信じることができなかったからなのかもしれない。
母と俺が一緒にいた最後の日、彼女は俺を抱えて巽橋のほとりで泣いていたそうだ。
あまりにもひどい鳴き声で、それを心配して声をかけたのが蜻蛉茶屋の店主だった。
『このままではこの子を殺してしまう』と言って泣いていたと『だから数時間だけ預かって欲しい』と。
まさかそれが何十年にもなるなんて、想像もしていなかったと、店主は優しく笑ってくれた。
旭陽 (M)君がいなくなっても世間が静かだったのは、父が何かしたからだと子供心に悟った。
私は君が死んだと聞かされていたし、疑いもしなかった。
君の存在を知ったのは父が死ぬ直前。
驚いたけれど…嬉しかった。
だからすぐ君に逢いに行ったんだ。
君は私が想像する以上に美しくなっていた。
本当に美しく…。
弟だとわかっているのに、君への思いがどんどん募っていった。
あの日、君の思いに答えることが出来たのなら…どんなに良かっただろう。
けれど私は先に死に逝く身。
君にそんな罪を残すことが、とても怖くて出来なかった。
だからこの思いは、あちらまで持っていくよ。
たま それを…俺は欲しかった…。
旭陽 (M)願わくば私の死が、君の心に影を落とさないことを祈っている。
どうか、どうか幸せに。
たま (M)あの時、俺が病院で追い出されなかったのは、彼が俺を弟として迎える準備をしてくれたからだと彼の秘書から聞いた。
そして、俺の将来についても彼は酷く心配していたと…。
俺の手に余りすぎるモノを残して、あの人は逝ってしまった。
本当に欲しかったものをくれないまま…。
いつもお願いばかりする…ずるい兄。
旭陽 (M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。
ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。
たま (M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。
うちは、この街で生きていきますよって…せやから堪忍え…おにいさん。
【エピローグ】
たま (M)あなたが逝ってしまったあの日から数週間後…
遺品の整理をして欲しいと頼まれた俺は、あなたのマンションへと脚を運んだ。
京都の景観条例ギリギリの高層マンションの最上階。
このワンフロアが彼の持ち物だという。
たま 「さすが老舗銘菓だな…」
たま (M)そう呟いた声がフロアに響いた。
部屋の扉を開けると、彼のつける香水の香りがふわりと鼻をかすめる。
懐かしい…彼との優しい記憶が蘇り胸に込み上げるものを感じる。
彼の部屋は死を予期していたのか…生活感を感じなかった。
彼の寝室にあるウォークインクローゼットを開けるように指示されていた事を思い出し、寝室のクローゼットの扉をあけた…。
そこにあったのは…彼と彼の家族と…俺の思い出の品々。
赤ちゃんの頃の俺の写真。
血の繋がりのない父が優しく俺を抱いている。
微かな記憶しかない母が幸せそうに笑っている。
本を読む兄に、俺が一生懸命抱きついている…。
写真の裏には見た事の無い字でこう書かれていた。
たま 「血が繋がっていなくとも、おまえを愛していた。本当にすまない……息子よ。
……っ…この、名前は…もしかして」
たま (M)そこには父のメッセージと共に男の子の名前が添えてあった。
きっと…俺の本当の名前。これが…俺の…。
気がつくと俺は、彼の寝室で子供のように泣いていた。
完