祇園×エンヴィ
祇園×エンヴィ
#死にたがりの譚詩曲(バラッド)-雅-
時間40分
比率(♂:♀)3:0
冨樫千里(とがし せんり)/冨樫万里(とがし ばんり):♂
オリヴィエ・マルティネス:♂
花雅(はなみやび):♂
みやび (M)京都祇園にある老舗ホテルの最上階の一室。
肌触りのいいガウンを羽織り、シャンパンを片手に窓辺に腰掛けるのが俺の朝の日課だ。
祇園の朝は今日も早い。
早朝の澄んだ空気が漂うこの街並みも、今は緊張と恐怖に包まれている。
それもそのはず“祇園の街に般若が出る”と言われ始めて数ヶ月が経とうとしているからだ。
般若はある組織…いわゆる『極道』と名の付く輩を襲い、拷問し、口内に刃物を突き立てる。
それはきっと、あの悪趣味な動画サイトで流れている映像に関係しているのだろう…。
そんな事を考えながら窓を見下ろす俺を、けたたましいコール音が現実に引きもどす。
(電話にでる)…はい?
オリヴィエ Bonjour(ボンジュール)朝早くにごめんなさいね。
みやび、元気にしてる?
みやび あれ、めずらしい人からかかってきた。
どうしたのオリヴィエ、京都観光にでも来た?
オリヴィエ だったらよかったんだけどね…あんたに頼みがあるのよ。
もちろん…タダでとは言わないわ。
みやび そう…それで?頼みって?
オリヴィエ 調べて欲しい男がいるの。
みやび へえ、昔の恋人?
オリヴィエ (笑って)馬鹿ね、今朝はそんなジョークを言う元気はないの。
みやび ごめん、悪かったよ。で、対象者の名前は?
オリヴィエ 風間組若頭…冨樫万里(とがし ばんり)。データはあんたのアドレスに送るわ。
みやび …わかった。じゃあ、調べがついたら連絡する。
オリヴィエ 悪いわね…よろしく。
みやび (M)電話を切って、ふと彼の顔を思い浮かべる。
フランス人のくせに綺麗な日本語を使うあの男。
俺の上司とは旧知の仲で、時折こっちへ来ては俺に仕事を依頼してくる。
見た目が見た目だけに、諜報活動に向いていないのは納得だ。
風間組…まさか、祇園の般若と関りがあるのだろうか…それともあの映像と…
【間】
千里 (M)その映像は、視力を無くした俺のもう片方をも抉るようなほど残虐だった。
若い男も…女も、玩具(がんぐ)のように弄ばれ…ブリキ人形を解体するように壊されていく。
悲鳴が耳から離れない…こんなものが、この祇園の街に横行しているなんて…。
そこで俺は見つけてしまったんだ。
赤く染まりながら壊されていくアイツを…
みやび (M)祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
千里 (M)この諸行無常の世の中で、人は産まれて、生きて、そして死ぬ。
その事に一体なんの意味があるのだろうか。
透明な血をたくさん流して…なんの為に、俺はここにいるのだろうか。
みやび (M)沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす
千里 (M)俺をこの世界に堕としたのは誰なんだろう…。
みやび (M)おごれる人も久しがらず、ただ春の夜の夢のごとし
千里 (ため息をつきながら空を見上げる)…儚く散ればいい、俺ごとすべて。
オリヴィエ なら…アタシが散らしてあげましょうか?
(タイトルコール)
千里 祇園×エンヴィ
オリヴィエ 死にたがりの譚詩曲(バラッド)
千里 (M)なら…アタシが散らしてあげましょうか?
そう言って男は俺に拳銃を向けた。
この祇園の町には不釣り合いな風貌。
鍛え上げられた肉体。
いたる所に入っている不思議なタトゥー。
美しいブルーとゴールドブラウンのオッドアイ。
艶々(つやづや)と光るシルバーヘア。
オリヴィエ なんて顔してるのよ。
千里 あんたみたいな奴に殺されるなら、俺の人生も悪くなかったなって…
オリヴィエ そう…
千里 男は艶(なま)めかしく微笑むと拳銃を俺の頭に押し付けた。
オリヴィエ 言い残すことはない?
千里 ない。
オリヴィエ この世界に言いたいことは…?
千里 っ…
オリヴィエ やっと人間らしい顔したわね。
千里 あったら…なんだっていうんだよ。
オリヴィエ 興味あるわ。
千里 うるせえな…殺せ…さっさと殺せよ。
オリヴィエ ふふ…それを決めるのはアタシ。
千里 …。
オリヴィエ (M)この男にアタシは逢いたかった。
拳銃を突き付けられても、眉一つ動かさずこちらを見つめる眼差し。
美しい瞳は左目の視力を無くし、不思議な色を放っている。
その瞳の色が好きだったことを思い出して、感傷的になりそうになったアタシはそっと銃を下ろす。
千里 …撃たないのか?
オリヴィエ そうね、今夜はまだその時じゃないみたい。
千里 あんた…一体何者なんだよ?
オリヴィエ アタシ?アタシはただのオリヴィエ。
オリヴィエ・マルティネス
それ以外の何者でもないわ。
あんたはどうなの?
冨樫千里さん?
千里 …どうして名前を?
オリヴィエ 風間組若頭…冨樫万里の弟だから…といえばわかるわね?
千里 また…それか。
オリヴィエ …なるほどね。
千里 なんだよ…。
オリヴィエ そうね…あんたには色々聞きたいこともあるし…場所を変えましょ。
千里 は?どこ行くんだよ…
オリヴィエ あんた、死んでもいいって顔して歩いてたんだから、この後、予定なんてないでしょう?
千里 ……。
オリヴィエ なによ?
千里 寝ないぞ?
オリヴィエ は?(鼻で笑って)その顔は好みだけどね?ガキを抱く趣味はないわよ。
千里 なっ…俺はガキじゃ―――
オリヴィエ (被せて)そうやって食ってかかってくるところがガキだってのよ。
いいから、さっさと付いてきて。
千里 (M)そう言って男は祇園の街を歩きだした。
わけもわからず、奴の背中を俺は追いかける。
数分歩いた頃、巽橋(たつみばし)を越えて神社の横をすり抜けると、男は骨董屋の前で止まった。
オリヴィエ 入るわよ。
千里 ここに…?なんでこんな骨董屋に…
オリヴィエ すぐにわかるわ。
千里 (M)そう言って暖簾をくぐると、白髪(はくはつ)の老婆が無愛想に『おこしやす』と声をかけてきた。
オリヴィエ 『ガラス細工を探している』の。
千里 (M)男がそう言うとすかさず老婆は『どんな種類の細工どすか?』と返してくる。
ふっと不敵に微笑むと彼はこう言った。
オリヴィエ 『蜻蛉玉(とんぼだま)』…よ。
千里 (M)その答えを聞くと老婆は重たそうな扉を開けて『どうぞ』と促した。
どうやら地下へと続いているようだ。
オリヴィエ 急に来て悪いんだけど“花雅(はなみやび)”は空いている?
…そう、よかったわ。ええ、お願い。
千里 …。
オリヴィエ さ、行くわよ。
千里 あ…ああ。
【祇園白川・高級青楼“蜻蛉茶屋”―黒壇の間―】
千里 (M)その部屋は壁や装飾品に至るまで重く硬い漆黒色をしていた。
薄く灯された光が反射して妖しさを増している。
オリヴィエ そこ、座って。
千里 言われるまま、床の間(とこのま)のそばにある席へ腰かけると程なく襖の外から声がした。
みやび 失礼いたします。
オリヴィエ どうぞ。
みやび (襖を開け室内に入り、三つ指をつく)ようこそ、おこしやす。
黒檀(こくたん)の蜻蛉(かげろう)、花雅(はなみやび)どす。
どうぞ“みやび”と呼んどくれやす。
オリヴィエ 久しぶりね、みやび。
みやび へぇ…随分お顔を見せてくれはらへんから、とうとう亡くなりはったんかと思うてましたえ?
オリヴィエ ふふ、言うわね。
みやび 今宵はお二人でお泊りで?
オリヴィエ ええ、人目を避けたくてね。
みやび それはそれは…(ぼうっと見つめる千里に向かって)突然こないな所に連れて来られて驚かはったでしょう?
千里 いや…確かに驚きはしたが…ここは一体。
オリヴィエ ここは知る人ぞ知る高級青楼(せいろう)“蜻蛉茶屋(かげろうぢゃや)”。
千里 青楼…?
みやび うちら蜻蛉(かげろう)は、舞や琴…そして夜伽で、旦那はん方に楽しんで…癒されてもろてます。
千里 なるほど。こんな場所があったなんて…。
みやび 狐につままれたようなお顔をして、見た目よりも可愛らしいお方なんどすなぁ。
千里 男が可愛いと言われても、どう…答えたらいいものか。
みやび (妖しく微笑んで)言葉を選ぶ必要なんてありまへん。
ここでは自由に…思うままにしてくれはったらええんどす。
千里 ああ…
みやび 旦那はん…お名前は?
千里 千里。
みやび 千里はん…本来、お食事を先に召し上がっていただくんがここの流れどす。
せやけど、先にお湯へご案内させて頂いてもよろしおすか?
千里 え?
オリヴィエ 悪いわね、みやびと積もる話もあるから先にすませて来てくれる?
千里 …わかった。
みやび ほな、お背中流させますよって、こちらへ。
千里 あ、いや。
みやび …それにしても夏やのにこんな長い袖のお召し物着てはったら、汗もひきませんえ?
なにか用意させますよって…(そっと千里に触れようとする)
千里 (その手をさっとよけて)待ってくれ。大丈夫だ…一人で入れる。
着替えもいらいない。
みやび …そうどすか、ほな、こちらへ…。
【祇園白川・高級青楼“蜻蛉茶屋”―黒壇の間・墨湯―】
みやび どうぞ。
千里 湯ぶねが黒い…?
みやび 墨湯(すみゆ)でございます…ごゆっくり。
千里 ああ…
みやび あ…千里はん?…うちら、どこぞでお会いしたことはございませんか…?
千里 え?
みやび そのお顔に…なんや見覚えが…ふふふ、他人の空似どっしゃろか…ほな、うちはこれで…
千里 (M)妖しげな微笑みを浮かべ、彼は踵(きびす)を返し風呂場を出て行った。
この状況は一体どういう事なんだろうか…
死にたい気持ちで歩いていたはずが、こんな所で…風呂につかろうとしているなんて。
千里 アイツが見たら笑うんだろうな…。
千里 (M)服を脱いで、自分の姿を鏡に映す…消したくても消えない跡が目に入る。
長袖を着ている理由…俺の秘密…あの二人はもう勘づいているかもしれない。
それでも抵抗しない俺は…何かを期待してるんだろうか…だとしたら、何を?
似合いもしないメガネを付けたままだという事に気づき、それをおもむろに外した。
黒い湯ぶねに身を沈める。
湯の温度は心地よく、癒されていくのを感じた。
千里 本当になにをやってるんだ俺は…
千里 (M)必死にこの状況を整理したい自分と、
この空気に呑まれることを望んでいる自分の間で俺は揺れていた。
【祇園白川・高級青楼“蜻蛉茶屋”―黒壇の間―】
(風呂へ千里を案内したみやびが戻って来る)
オリヴィエ おかえり。お酒頂いてるわよ。
みやび (雰囲気が変わって)オリヴィエ、あれがそうなの?
オリヴィエ さすがね?
みやび さすがね?じゃないよ。ちゃんと説明して。
オリヴィエ (M)そう言って赤い唇を尖らせながら、花雅はアタシの隣に腰かけてくる。
怒って普段の口調に戻っていても、その所作は美しい。
そっと彼が差し出すお猪口に酒を注いでやる。
みやび (酒を一口飲んで)ふぅ…。それで?
オリヴィエ 公安の刑事が潜入捜査として為政者(いせいしゃ)専門の男娼をやってる割には板についてるわね。
みやび 話をそらさないで。
オリヴィエ そらしてるわけじゃないわ。
ねぇ黒檀の蜻蛉って二番手じゃない。そんなに頑張って大丈夫なの?
(M)ふと彼の顔が曇る。
色んな感情を一瞬見せて、残りの酒を煽りながらこちらを一瞥(いちべつ)した。
みやび …このポジションにいなきゃ入ってこない情報もあるんだ。
お客もまともな人間が多いし、下層にいた頃より随分マシ。
オリヴィエ そう…まあ、何か困ったことがあったら連絡して。
みやび そんな過保護にしてくれなくてもいいよ。
なに…あの人があんたに頼んだの?
オリヴィエ 頼まれたから心配してるわけじゃないわ。
でも…そうね。あんたの上司はここにあんたを入れた事を“後悔してる”って。
みやび …そう(なんとも言えない表情で笑って)後悔して、一生…俺を忘れないでいてくれるならそれでいい。
オリヴィエ ふふ…怖い子ね
みやび そのくらいが、ちょうどいいでしょう?
それで?あんたみたいな人が関わる案件って一体なに?
オリヴィエ アタシみたいなって?
みやび とぼけないで?フランス国家警察、対テロ組織特別諜報部員“Cirque du Obscurite(シルク ド オプスキュリテ)の一人”。
通称“Chevalier sanglant(シュバリエ サングラント)”のオリヴィエ・マルティネスさん?
オリヴィエ 血塗られた騎士(ナイト)…ね。
みやび そう呼ばれるのは嫌い?
オリヴィエ 同僚ほど気に入ってないだけよ。
みやび …あんたが関わってるってことはあの組織がらみってこと?
オリヴィエ ええ…臓器売買と人体実験、それに桐生組が関係してる。
それもあってここへ来たの。
みやび そういうこと…桐生組の組長が撮ってる、あの悪趣味な動画の件だね。
オリヴィエ そうよ。ここの蜻蛉(かげろう)も二人、被害にあったんだったわね。
みやび 可愛がってた子たちだったんだ…絶対に許せない。
オリヴィエ そりゃ…男を犯してるところをただ撮ってる動画じゃないからね…
みやび ねえ、祇園の般若の話、知ってる?
オリヴィエ 極道ばかりを狙う殺人鬼の話でしょう
みやび そう…それも特定のね…
オリヴィエ 桐生組の組員がまた殺されたの?
みやび これで十人以上被害者が出たことになる。
手口は全員一緒。
拷問を受けて、最後は口内に刃物を突き立てられてる。
悪趣味なあの動画に撮られた子たちの身内がやったんだろうけど…随分過激だよ。
桐生組の組長も流石に怖くなって雲隠れを決め込んでる。
オリヴィエ そう…
みやび まあ、ここでなにを言っても仕方ないよね“神のみぞ知る”だよ。
オリヴィエ あら、他人事みたいに言うじゃない。
みやび 管轄外だからね、命令があれば動けるけど、それが無かったら俺はただの男娼だよ。
オリヴィエ その言い方やめなさい?
みやび 事実でしょう?
オリヴィエ まったく…。
みやび 俺だって、あの子たちの為になにかしたい…(悔しそうにため息をついて)だけど。
オリヴィエ あんたの気持ちもわかるわ。
みやび でも情報は集めてる。
まだ組長の居場所は特定できてないけど、あたりはついてる。
あの人にも報告しておいたから、追ってあんたに連絡が来るはずだよ。
それを聞きに来たんでしょ?
オリヴィエ それ“も”あるわ。
みやび それも…ね?
あ、そういえば…彼、左目見えてないよね?
オリヴィエ ええ、あの子は元々左目の視力が低下していく病気なの。
彼の片割れはその逆だった…
みやび 片割れ?
オリヴィエ 双子なのよ。
みやび (はっとして)待って…。
まさか…あの動画の件に彼が関わってるの?
オリヴィエ いいえ。彼はあの動画には関わっていない。
みやび そう…それにしては気になる表情(かお)してる。
オリヴィエ まだ確信が持てないの…だからよ。それに―――
みやび (千里の気配に気づいて)千里はん、ええお湯どしたか?
千里 ああ、俺の服は…
みやび お洗濯させていただいとります。
袖の長いものでしたらご満足頂けるかと思うて、こちらで勝手にご用意させて頂きました。
オリヴィエ あら、作務衣ね。似合うじゃない。
みやび 余計なお世話やったやもしれまへんが、堪忍してくださいね。
千里 いや、助かる。
みやび ほな、まずは一献(酒を注ぐ)。
千里 ああ…(ぐいっと酒を呑む)。
みやび メガネ…はずさはったんどすな。綺麗なお顔がよう見えますえ。
千里 元々、あれに度は入っていないから…
オリヴィエ 伊達メガネ…ね、それ見せてくれない?
千里 え…ああ。
(M)メガネを渡すとまじまじと男は見つめる。
何かを見つけたのか、哀し気に笑う。
彼のオッドアイが微かに揺れた気がした。
花雅もその意味がわからなかったのか、ふたりで顔を見合わせる。
そして男は向き直り俺を見据えて口を開いた。
オリヴィエ これ…"千里"にもらったのね。
千里 (M)ああ、やっぱり…こいつはわかっていたんだ。
彼もこの状況に動じていない…だからここへ来たのか…
みやび まあ、積もる話もありますやろけど、もう少し…呑まはったらどうどすか?(そう言って酒を注ぐ)
千里 ああ…(一口飲んで、そっと息を吐く)…いつから?
オリヴィエ 最初からよ?…あなたが“冨樫万里”だってことは最初から知ってた。
みやび オリヴィエはんも…お人が悪いどすなぁ。
千里 あんたも俺の正体を?だからあんな試すようなこと?
みやび 堪忍え?
千里 俺は、あんたを覚えてないが?
みやび (妖し気に笑って)それはそうだよ、見つかるような真似しないもの?
千里 …何者なんだおまえたち。
オリヴィエ しがない公務員よ。アタシもこの子もね?
みやび それにしても、随分、雰囲気が変わっていたから、最初はわからなかったよ。
肌を見せたくなかったのは、刺青が入っているからだね。
千里 ああ…。(そういうと上着を脱ぐ)これを見られたら一発で正体がばれるからな。
オリヴィエ 鯉の滝登り…確かに堅気にはみえないわね。
千里 …で?てめぇら、俺が千里じゃないってわかって…なんだってんだ?
オリヴィエ あら、急にお行儀悪くなるじゃない。
千里 取り繕う必要なんてねぇからな。
みやび ふふ…俺は今の顔の方が好きだよ?
さあ、もう少し飲んで、オリヴィエも…こんな夜にはお酒が必要でしょ。
オリヴィエ その前に、アタシもお湯頂くわ。ふたりで話していて。
みやび お背中、流しましょか?
オリヴィエ ばかね。…その子をよろしく。
みやび (悪戯っぽく笑って)はいはい。
オリヴィエ (M)そう言った彼の笑顔を背にアタシは墨湯へと向かう。
あの顔を見ていると…過去の映像が溢れてくる。
最後に見たあの子の顔が鮮明に思い浮かんでくる…。
【一年前 フランス国家警察本部】
千里 俺、行きます。
オリヴィエ 生きて帰ってこれないって…わかってるの?
千里 わかってます。
オリヴィエ こんな作戦、アタシは認めないわよ?
千里 オリヴィエさん、俺ね…こんな日を待ってました。
オリヴィエ 待ってた?
千里 腐ってどうしようもなかった俺のこと拾ってくれて、生きる意味を与えてくた。
オリヴィエ 懐かしい話するじゃない。
千里 あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。
俺、あなたには感謝してもしきれない。
オリヴィエ …千里。
千里 だから…そんなあなたの為に死ねるなら本望なんです。
オリヴィエ アタシが喜ぶって本気で思ってるの?
千里 でも、これで確実に核には近づける。犠牲は必要だっていつも言うじゃないですか。
オリヴィエ それとこれとは…
千里 一緒です。
オリヴィエ 生意気ね。
千里 (笑って)それ、いつも言いますよね。
オリヴィエ だって本当のことでしょう?
千里 ええ。オリヴィエさん…俺はあなたの優秀な駒でいい。
ちゃんと使ってください。
オリヴィエ …わかったわ。
千里 ひとつだけお願いしてもいいですか?
オリヴィエ なぁに?
千里 兄貴のことです。
オリヴィエ 冨樫万里…風間組の若頭ね?
千里 俺、欲張りだから…あなたの為に死ぬだけじゃ足りなくて。
オリヴィエ いいわ、言って。
千里 先月、組同士の抗争であいつも重症を負って…俺、万里を救ってやりたいんです。
オリヴィエ そう…
千里 一度、俺は万里から逃げたから…。
オリヴィエ わかった…どうして欲しいの?
千里 あいつを…助けてやってください。
(間)
オリヴィエ 感傷的に…なったっていいわよね。
(M)そう、昔の思い出にまどろんでいたアタシを叩き起こすようにコール音がなる。
(コール音を聞きながら)嫌になるわね。
しがない公務員は…(電話に出て)はい。
ああ、あんたね…みやびから伝言預かってるわよ。聞く?…ふふ、そう。
それで?なぁに?……そう、わかったわ。
ええ、その手はずでお願い。
(電話を切って)千里……
【祇園白川・高級青楼“蜻蛉茶屋”―黒壇の間―】
千里 (M)二人きりになった黒檀の間で、ゆっくりと酒を呑む。
静かな時間が流れていたが、ふと、彼が口を開いた。
みやび 風間組…一年前、抗争で組長が亡くなってから消滅状態だって聞いてるけど…
千里 ああ。俺もあの抗争で死にかけた…。
みやび 千里との接触はその頃?
千里 そうだ。あいつは…突然俺の前に現れた。
鏡に映った自分を見てるみたいで驚いたよ。刺青までそっくりそのままでな。
みやび …。
千里 そして会うなりろくな挨拶もせずに言うんだ。
“万里…おまえを助けたいから言う事を聞いてくれ”ってな。
みやび 彼とは何年も会っていなかったようだけど…
千里 10年…いや、それ以上か。
あいつが何を言ってるのかもすぐには理解できなかった。
マンションを用意されて、そこで数ヶ月、養生(ようじょう)していろと指示をされた。
親父が死んで、行くあての無くなった俺は、おとなしくアイツの言葉に従った。
傷が癒えてくると、あいつは髪や服装を変えろと言い出した。
冨樫万里はまだ他の組の連中に狙わているからって…。
みやび そう…
千里 俺の傷が完治した頃…千里はマンションに訪れなくなった。
“連絡するまで隠れていろ”それがアイツの最後の言葉だった。
みやび ……。
千里 そんなある日、妙な話を耳にした…“冨樫万里が死んだらしい”と。
俺は耳を疑った…俺が死んだって…どういうことだよって。
調べているうちに、俺はある動画サイトに行きついた。
みやび 桐生組の…
千里 そうだ。そこでアイツの姿を観た…
みやび それで…あなたは般若に?
千里 …祇園の般若と呼ばれているのは知っている。
あんた…刑事なんだろ?俺を逮捕するならすればいい…もう、目的は果たした。
このまま死のうが、捕まろうが一緒だ。
みやび 目的は…果たした?
千里 桐生組の組長は俺が殺した。
みやび な…
オリヴィエ 嘘ね。
みやび (M)湯上りのいい香りをさせ、オリヴィエは俺たちの間に腰かけた。
万里の方を見据えて、冷たく言葉を放つ。
彼は少し…動揺しているように見えた。
千里 嘘じゃない。
オリヴィエ いいえ。あんたは桐生組の組長を殺りそこねた。
これが真実…そうでしょ?
みやび え?
オリヴィエ だからあんな顔で祇園の街を歩いてた。
千里 っ…
みやび どういうこと?
オリヴィエ ねえ、みやび…“復讐だけを糧に生きてきた人間”がそれをやり遂げたらどうなると思う?
みやび 生きる“目的”を失う…?
オリヴィエ そう…そして生きることが虚しくなったあげく…愚かにも“自分で自分の命を絶つ”の。
千里 馬鹿にすんじゃねぇよ、極道(この)世界は殺るか殺られるか、弱い者が死に強い者が生き残る。
生きることをせめぎ合うこの街で、てめぇで自分の終り決めちまうような情けねぇ人間に…
復讐する権利なんて…ねぇんだよ。
オリヴィエ ふっ…支離滅裂。
千里 なっ…
オリヴィエ “目的を果たす前に目的を失った”…だからあんたはそんな顔をしてる。
みやび、あんたの上司から連絡があった…桐生組の組長が今夜、殺されたって。
みやび 誰に…?
オリヴィエ 千里によ。
みやび え?
オリヴィエ 祇園の般若はあの子なの。
みやび どういう…ことなの?
オリヴィエ あの子が殺されたように見えたあの動画は万里を自由にするためのフェイク動画。
千里に与えられたミッションは桐生組の壊滅・組長の始末。
そしてそれを取り仕切る"あの組織"への糸口をアタシに届けること。
みやび 俺に万里を探させたのはどうして?
オリヴィエ 糸口を持っているのが彼だからよ。
このメガネに細工がしてあってね…ここに情報が随時送られてくるようになってた。
万里、あなたも…気づいていたから、殺害現場に足を運んでいたんじゃないの?
千里がしていること…わかっていたから、止めたかったけど出来なかったから…
死んでもいいなんて顔をして歩いていたんじゃないの?
みやび 捕まってもかまわないって言ったのは…
千里 この諸行無常の世の中で、人は産まれて、生きて、そして死ぬ。
俺は組の為にも、親父の為にも何もできなかった…無力だった。
そんな俺がここに存在していることに一体なんの意味があるのかわからなかった。
透明な血をたくさん流して…なんの為に、俺はここにいるんだろう…
俺をこの世界に堕としたのは誰なんだろう…。
千里も…その答えをくれなかった。
だけどあいつは俺を救おうとした…もう何の為に生きればいいかわからない俺を。
あの動画を見て、違和感を感じた…双子の感覚っていうのが昔からあって…
あいつがまだ生きてるのがわかった。
だからあいつの痕跡を追って、あいつが俺に託したものを調べた。
生きてる…その感覚だけを頼りに。
でも、今日それが消えた。
終わったんだ…あいつが。
だからもう捕まろうが、死のうがどちらでもよかった。
もうすべて…儚く散ればいい、俺ごとすべて…そう思ったんだ。
みやび 生きている可能性は…本当にないの?
オリヴィエ 限りなく低い…誰かが犠牲にならないとこのミッションは成功しなかった。
どちらにしても生死の確認は不可能…千里の遺体はきっと出てこないわ。
あの子が情報を掴んだとわかった組織は、彼もその情報も跡形もなく消す。
それを気づかれないように、あの子は万里を死んだと見せかけたの。
みやび 冨樫万里が生きていると公安が知った今…何か取引材料がないと見逃すことはできない。
だから、俺を経由して組織の情報を共有…逃がす手順を整えようってわけだね。
ねえ…彼を逃がすことを本当に上層部が認めたの?
オリヴィエ ええ、そうよ。
みやび ここに俺が居る理由もそうだけど…理解できないことが多いんだよ。
オリヴィエ ここも、あなたの所属する組織も…そしてアタシも、色んな意味で秘密の花園だからね?
みやび あんたはいつもそうやって言うけど…。
それがどういう意味か、いまいちわからないんだよね。
オリヴィエ ねえ、みやび?
みやび なに?
オリヴィエ 知らない方がいいこともある。アタシを信じて?
みやび …わかった。それで?彼をどうするつもり?
千里 ……。
オリヴィエ 万里…。千里から託されたものがあるの。
みやび (M)そう言うと、オリヴィエは懐から何かを取り出し、俺たちの目の前に置いた。
ガラスのケースに入っていたそれは…
千里 っ…それ、もしかして…
オリヴィエ そう…これは千里の瞳。
千里 なんで…
オリヴィエ あんたの左目…もうほとんど見えてないでしょう?
千里 ああ。
オリヴィエ だけど、あの子の左目はどんどん視力を増していった。
あの子のこの瞳は、アタシたちの仕事にも貢献してた。
これはね…アタシたちの組織にも必要なの。
それをあんたに移植して欲しい。
あんたのカラダの中で生きていきたい…それが千里の最期の願い。
千里 ……。
オリヴィエ 儚く散らせたいその命…アタシに預けてみない?
千里 ……。
オリヴィエ 今すぐ答えを出せないなら、それでもいい。
でもどうか…あの子の意志を繋いでもらえない?
千里 俺は……
みやび (M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。
オリヴィエ (M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
千里 (M)表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。
俺はこの街で…あなたの為に逝きます。
【エピローグ】
千里 (M)無機質な白い部屋に手術台があり俺はその上で横になっている。
手術着を纏ったオリヴィエが俺を見下ろしながら、フランス語で数人のスタッフに指示を出した。
『医療用語は聞き取れないな』と薄れゆく意識の中で思った。
脳裏に先ほどの会話が反芻される。
オリヴィエ アタシたちが相手にしている組織は≪特殊な移植手術≫を受けた者たちで構成されているの。
千里 特殊な移植手術?
オリヴィエ ええ、世界的に危険視されている組織よ。
組織の名は≪バイラヴァ≫。
…彼らは外部に比べ、数十年進んだ高度な科学技術を持っているの。
さらに科学的な移植研究を進め、脳や身体を開発することで特殊能力者を作り出している。
彼らバイラヴァに対抗し、組織の壊滅を目的とする。これがアタシたちの職務。
フランス国家警察、対テロ組織特別諜報部員“Cirque du Obscurite(シルク ドゥ オプスキュリテ)。
千里 (苦笑して)マジか…しがない公務員だってのは嘘かよ。
オリヴィエ 嘘じゃないわよ?アタシはれっきとした国家公務員。
さあ、覚悟はいい?瞳の移植だけにしなかったこと…後悔していないわね?
千里 ああ…この命はおまえに預けた。千里の意志とともに…
オリヴィエ (微笑む)…やっぱり双子ね。
でも万里、これだけは約束して…
千里 なにを?
オリヴィエ 千里のような真似はしないで。だからあんたにこの手術をすすめたの。
千里 (M)その真剣な眼差しで…こいつが弟の事をどれだけ思っていたのか…わかった気がした。
完