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残香幻夢(ざんこうげんむ)

幻影の愛

【登場人物】

久遠 一志(くおん かずし)
文士
京都の夜に囚われる男。名を成した文士でありながら、彼の心は過去に縛られ、現実の女には容易に幻滅する。
愛というものを知りながらも、その実体よりも記憶の中の面影を愛し続ける。
十年前、祇園の夜に別れを告げた一人の女を今も探し続けるが、それが本当に彼女なのか、それとも己が創り出した幻想なのか、次第に境界が曖昧になっていく。

月虹渚(げっこう なぎさ) 
高級青楼 伽羅館の娼婦
夜の祇園に現れる儚き女。
高級青楼・伽羅館の最高位「紫雲の伽羅女」として、かつて久遠の前にいた。
彼の記憶の中の彼女は、白粉の香りと沈香を纏い、微笑みながら「またお会いしましょう」と言葉を残した。

それが十年前の話。

今、彼の前に立つ彼女は、果たして過去の面影そのものなのか、それとも久遠が生み出した幻想か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【夜、祇園】
久遠:(M)夜の祇園、白川沿いの橋のたもとに立つ私の心は、ひとつの幻影に囚われていた。
   月明かりに浮かぶ淡い影、かすかな三味線の音、そして、微かに漂う白粉(おしろい)と沈香の香り…。

   私は、幾度も夢のような記憶の中で、あの女を探し求めた。
   あの日、あの時、彼女は私の記憶の中に永遠に刻まれた。

   今もなお、祇園の夜は私に問いかける。

   「本当に、君はここにいるのか?」

   記憶か、幻か。
   真実は曖昧で、私の心は迷いの中にある。

 

 


(タイトルコール)
月虹渚:祇園×エンヴィ「文豪メランコリア」

久遠:残香幻夢(ざんこうげんむ)

(足音が近づく)


久遠:やはり、君だったのか。

  (M)その瞬間、目の前に現れたのは、月光に照らされた一人の女。
   高級青楼・伽羅館の最高位、紫雲の伽羅女——月虹渚。

   白い襟足が風に揺れ、彼女はまるで、遠い昔から続く記憶の欠片のようであった。

   その瞬間、彼女をかつて愛した記憶が鮮明に蘇るのを感じた。
   月虹渚は過ぎ去った時の残響のように、静かに、しかし確かに私の前に立っていた。


月虹渚:(微笑みながら、静かに)やはり、とは?

 

久遠:十年前、あるいは二十年前……いや、もっと遥か昔から、君を探していた。

 

月虹渚:うちを…なんで?

 

久遠:どこへ行っても、誰を見ても、君だけが映っていたんだ。
   君の声、仕草、微笑み…すべてが、昔の君そのもので、まるで時が止まったかのように。

 

月虹渚:先生は、うちのことをそないに?

 

久遠:覚えているとも。
   あの夜、君はここで「またお会いしましょう」と静かに言った。
   その言葉は、私の胸に深く刻まれて、消えることはなかった。

 

(彼の手が、袖の内から一つの小さな簪を取り出す。銀細工に細かく細工された、桜の意匠のものだった。)

 

久遠:(そっと指でなぞりながら)あの夜、君の髪に挿さっていた、この簪を覚えているか?

 

月虹渚:さあ、どうやろ。
    先生が覚えたはるんやったら、それでええんと違います?

 

久遠:覚えていないというのか?
   そんなはずはない。君は、確かにここで…!
   記憶の中の君は——
   いや……だが、私の心は今も過去に囚われ、
   あの輝きを取り戻そうとしているんだろうか。
   君が、今この場所に現れ、私の心の臓は揺れ動いている。

 

(彼は簪を握る手に力を込める)

 

月虹渚:記憶の中に、何を求めてはるんどすか?

久遠:(M)冷たく聴こえた、その問いに、私は答えなかった。

 

(風が吹き、柳の葉がざわめく)

 

久遠:(M)彼女の袖から漂う沈香が、まるで過ぎ去った時を呼び覚ますかのように、私の心に忍び寄る。
   その瞬間、私は自らの欲望と執着に気付いたのだ。

 

月虹渚:約束、そういえば、そんな事もありましたなあ。

 

久遠:そう。君はあの日、「またお会いしましょう」と。
   君のその一言が、私の全てを支配している。

 

月虹渚:(小さく笑い)そんなつもりはありまへんえ?

 

(月虹渚は手を伸ばし、そっと彼の手に触れる仕草をするが、指先は簪に触れることなくすり抜ける)

 

久遠:だが君は事実、私の心に刻まれた記憶そのものだ。

 

久遠:(M)自ら放ったその言葉が、己の心に深い闇を落とす。
   かつての君は、今や、私の執着そのものとなり、永遠に変わらぬ幻影として存在している。
   けれど、それならば…現実の君と記憶の君の境界は、どこにあるのだろう。

月虹渚:(M)いつからこの身が先生の中で幻となり、この方の記憶の中にだけで生きることになったのか…。
    夜の風、薄曇りの月の光、そして先生の深い瞳に映る私。
    その全てが、ただの幻影であれば、心はどうしてこんなにも切なくなるのだろう。
    この人はきっと最期までわかりはしない。


久遠:何故、そんな目で見るのだ。

 

月虹渚:そんな目…?

 

久遠:まるで全てを悟った哀愁を帯びた瞳で。

 

月虹渚:先生の瞳に映るんは昔の面影…もしくは幻なんや思て、寂しなったんどす。
    過ぎ去った時の残像のように、動かぬものなんやと。

 

久遠:動いているさ。
   君の微笑み、あの優しい仕草…すべては、消えることなく、私の中で永遠に刻まれている。

 

月虹渚:願望が生み出した幻影にいつまでも捕らわれたはるんやね。
    先生…どうか、現実を見ておくれやす。
    記憶に縛られた過去やなく、今ここにある、すべてを。

 

久遠:それになんの意味がある?

 

月虹渚:(M)その言葉に、私の心はかすかに震えた。
    過ぎ去った幻影に囚われ、今を見失ったあなたには私の本当の姿を見つけることなどできない。

 

久遠:君の手を取らせてくれ。

 

月虹渚:手を?

 

久遠:もし、君がここに実在するならば、確かめたい。
   だが、あの日の君は、記憶の中の幻影でしかなかったはずだ。

 

月虹渚:ほな、確かめてみとくれやす。

 

久遠:(M)その瞬間、私の指先は虚空を掴み、冷たい風だけが伝わった。
   まるで、愛していた記憶そのものが、今は消えかかっているようだった。

 

久遠:やはりか…

 

月虹渚:なにがどす?

 

久遠:君に触れることが出来ない。

 

月虹渚:そらそうでっしゃろ。触れようとするその手は、記憶の中のものを掴もうとしているだけ。

 

久遠:君は、ここにいるのか?

 

月虹渚:(微笑む)ここに、いますえ。

 

久遠:だが、触れようとすると……

 

(彼は手を伸ばすが、月虹渚の姿はゆっくりと揺らぎ、輪郭が曖昧になる)

 

月虹渚:先生の手が、うちを見失ってるだけや。

 

久遠:見失う?
   まるで私の目が曇っているかのように、君の輪郭が霞み、薄闇の中へ溶け込んでいく。
   私は、何を見ているのだ?

 

月虹渚:(静かに)先生が望む形に、うちはなれる。

 

久遠:馬鹿な…

 

月虹渚:ほな……先生の中で、うちはどんな姿どす?

 

久遠:十年前の君と、何も変わらない。
   白粉の香り、柔らかな声、微笑み……

 

月虹渚:せやろね。

 

久遠:(M)なぜ、そんな表情(かお)をする?
   彼女が記憶と同じであることに、私は安堵したはずなのに、その微笑みの奥に、なぜか深い翳りを感じる。

 

月虹渚:ほんまに……うちは、昔のまんまどすか?

 

久遠:…?

 

(沈黙。遠くで三味線の音が止まり、静寂が訪れる)

 

月虹渚:先生。

 

(ゆっくりと久遠に近づく)

 

月虹渚:うちは……先生の記憶の中でほんまに生きてるんやろか?

 

久遠:何を言っている?

 

月虹渚:(微笑みながら)先生の見てるうちは、ほんまにうちどすか?

 

久遠:(M)彼女の声は柔らかく、しかし、確かに胸の奥に突き刺さる

   私は、目の前にいる彼女を見ているのか。
   それとも、記憶の中の彼女を、ここに映しているのか。


 

(久遠はそっと手を伸ばす。彼女の頬に触れようとするが——)
(その瞬間、彼女の姿がふっと揺らぐ)

 

 

月虹渚:(ささやくように)先生の手は、うちに届かへん。

 

久遠:(M)なぜ、届かない。
   私は、何に触れようとしているのだ?

 

(手を伸ばし続けるが、彼女はまるで水の中に映る影のように、指先をすり抜ける)

 

月虹渚:先生が見てはるのは……

 

久遠:やめろ。

 

月虹渚:残り香どす。

 


(沈黙)


久遠:(M)その言葉を、認めることができない。

   私は、彼女に触れたかった。
   しかし、彼女は確かにそこにいるのに、
   私は彼女に手を伸ばすたびに、彼女を遠ざけているのかもしれない。

 


(風が吹き、障子が揺れる。月虹渚の姿が徐々に薄れていく)

 

 

久遠:待ってくれ。

 

月虹渚:(微笑みながら)先生。

 

(ふっと笑い、指先をそっと重ねる)

 

月虹渚:うちは、ここにおる。
    でも、先生の目にはもう映らへんのやろね。
    もう一度だけ…ほんまのうちを見て欲しかった。

 

久遠:(M)その言葉を最後に、彼女の姿は完全に消えた。
   残されたのは、わずかに残る白粉の香り。

   私は静かに座り込み、その香りだけを頼りに、記憶を探す。


(静寂)


久遠:…私は、何を見ていたのだろう。

月虹渚:(M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
     沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
     おごれる人も久しからず。
     ただ春の夜の夢のごとし。
     たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。

 

久遠:(M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
   しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
   「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
   表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。
   この街に…

 

​久遠:(M)朝が来た。
   窓辺から差し込む柔らかな光が、昨夜の残像を薄らげる。
   私は、今もなお、君を探し求める。
   だが、君はもう、どこにもいない。
   ただ、私の手の中には、あの幻のような簪が残っている。
   それは、君が実在した証か、それとも…私の狂気が生み出した幻か。

 

 

 

 

 

 


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