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祇園×エンヴィ
#Catharsis LIPS BL版

時間40分


比率(♂:♀)2:0

盤上 シュリ(ばんじょう しゅり)
相馬 伊吹(そうま いぶき)

 

 

 

 

 


伊吹  (M)ただ生きたい…という気持ちになった事があるだろうか。

    どんな姿になってもいい。

    人間らしい生活ができなくてもいい。

    だから…どうか愛する人と長く居させてくれと。

    愛する人との世界をもう少しだけ続けさせて欲しいと…。

    俺はそう願って。

    でも現実は残酷で…無情に時は過ぎていく。

    カウントダウンを止めることができるのなら、俺にできることはなんだってする。

    何を失ってもあの人さえそばに居てくれるなら、俺はなんだって…

    そう思って…気持ちを強く奮い立たせようとしてもなお、悲劇は繰り返される。

    自分がこの世界で"とても小さな存在"なんだと思い知らされて打ちひしがれる。

 


    そんな俺の本当の気持ちを、弱さを、醜さを、アンタにだけは見られたくなかった。

 

 

 

シュリ (M)あいつに出逢ったのは四条大橋の袂(たもと)だった。
    南座を横目に祇園の街に向かって、古びたギターを片手に歌っていた。

    祇園で生演奏の聴ける小さなバーを営んでいた俺に、いい演奏をする男がいると常連客が教えてくれたあの日。
    特に期待もせずに営業後ふらりと立ち寄った。

    その歌声に激しく惹かれたあの夜を、今でも鮮明に思い出す。

    ギターの弦を弾くその指に触れたかったこと。
    ボサボサの前髪に隠れた瞳が美しかったこと。

    その歌声ごと呑み込んで、その唇を絡めとって…すべてを俺のモノにしたかったこと。

 

伊吹  (M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
    沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
    おごれる人も久しからず。
    ただ春の夜の夢のごとし。
    たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。


シュリ (M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
    しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
    「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。


    表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。

    この街で歌うおまえが…好きだった。

 

 


(タイトルコール)
伊吹  祇園×エンヴィ


シュリ Catharsis LIPS(カタルシス リップ)

 

 

 


【一年前-祇園四条大橋-】
※アコギで歌える方は歌ってもらっても可


伊吹  (M)四条大橋の袂で歌うのが毎晩の俺の日課だった。
    客の顔は覚える方じゃない。
    だけど…ひとりだけ、ずっと気になる男がいた。
       物憂げで変わった…綺麗な男だった。


シュリ 朝までここで歌ってるつもりか?


伊吹  え…。


シュリ もう3時回ってる。


伊吹  ああ、もうそんな時間か……お兄さんこそ、こんな夜中まで何してんの?


シュリ そうだな…。


伊吹  帰らないの?


シュリ おまえが帰るなら。


伊吹  え?


シュリ その声をずっと聴いていたい気持ちもあるが…おまえが帰るなら…帰ろう。


伊吹  (微笑んで)俺のこと、誘ってるの?


シュリ そうだ…誘ってる。いけないか?


伊吹  ずっと観てくれてたの知ってる。


シュリ ああ、それも知っていた気がする。


伊吹  でも、あなたみたいな人がこういう誘い方をしてくるなんて思わなかった。


シュリ 嫌か?


伊吹  そういうわけじゃないけど、チープだなって思わない?


シュリ チープでも手段がこれしかないなら、馬鹿にでもなる。


伊吹  (M)こういう誘いは何度かあった。
    一夜だけのぬくもりと快楽で自分を誤魔化して、淋しさを紛らわせた。
    だけど、今夜は違う。
    今夜をきっと逃しちゃいけない。
    そう…思ったんだ。


シュリ …。


伊吹  …。


シュリ …帰る。


伊吹  待って。


シュリ 時間切れだ。俺にもプライドがある。


伊吹  なら俺から誘っていい?


シュリ …。


伊吹  ねぇ…だめ?


シュリ …それ。


伊吹  ん?


シュリ チープだなって思わないのか?


伊吹  (微笑んで)手段がこれしかないなら、俺も馬鹿になるよ。


シュリ おまえ…


伊吹  なに?


シュリ 歌ってる時の方が可愛げあるな。


伊吹  (噴き出して)あはは。はっきり言うね?


シュリ そういう性質(たち)だ。


伊吹  好きだよ。


シュリ は?


伊吹  アンタみたいな人を組み敷くの。


シュリ 本当に…可愛げのない…。

 

【間】

 

伊吹  (M)出逢いが劇的だったわけじゃない。
    でも俺たちは惹かれあって…求めあった。

    つよく…はやく…もっと……

    生き急ぐように。
    そう…今ならその理由がわかる。

    長い月日を共にしたわけじゃない。
    それでもその日々は…一日一日が密度の濃い、深い…時間だった。

 

 

【数週間後-東山三条高層マンション・伊吹の部屋-】
―ベッドでまどろむ二人。シュリは伊吹の肌に触れながら口を開く。

シュリ 歌…


伊吹  え?


シュリ 本気でやらないのか?すごくいい声してるのに…


伊吹  …。


シュリ …伊吹?


伊吹  若い頃はね?そういう夢を見てた時もあった。


シュリ そうか…まあ色々、あるよな。


伊吹  そうだね。


シュリ だから…意外とカタい仕事を?


伊吹  意外とって…


シュリ そんな見た目して、あんな風に歌って…まともな仕事してるなんて思わなかった。


伊吹  (笑って)ひどいな。


シュリ あんなにスーツが似合わない奴、久々に見たよ。


伊吹  堅気じゃないって言われたの根に持ってるよ、俺?


シュリ 言われたことあるだろ?


伊吹  …うるさいな。


シュリ 拗ねてるのか?


伊吹  拗ねてるよ。これでも会社で成績トップなのに。


シュリ 優秀な証券マンだもんな…。
    こんな高級マンションに住んでるなんて予想外だった。


伊吹  俺だけの力じゃないよ。親が…色々遺してくれたんだ。


シュリ そう言ってたな。


伊吹  シュリだって、祇園に素敵なお店があるじゃないか。


シュリ 小さな店だよ。


伊吹  大きさなんて関係ないよ。一人で立ち上げて、すごいと思う。


シュリ 俺はやりたい事をやりたいようにやってるだけ。


伊吹  それがすごいんだよ。やりたい事をやるって難しいんだからさ?


シュリ じゃあ、今度…歌ってみないか?


伊吹  アンタの店で?


シュリ 最初はそのつもりで声をかけたって…言っただろ?


伊吹  そうだったね。いいよ?俺の歌でよければ喜んで。


シュリ …。


伊吹  シュリ?


シュリ ホント…野良犬だと思ってたのに。


伊吹  拾って飼いたかった?


シュリ それもありかなって思ってた。


伊吹  アンタになら飼われてもいいけど…俺そんなに従順な犬にはなれないよ…?


(そう言って伊吹は彼に覆いかぶさり、唇を重ねる…そのキスはだんだん深くなる)


シュリ (吐息を漏らして)知ってる…そこが…っ。


伊吹  わかってるから…黙って。


シュリ (M)アイツの唇で溶かされるこの時がずっと続くと思っていた。
    歌声に惹かれて、その瞳から目が離せなくなったあの時から。

    肌を重ねて、ぬくもりを交わして…。
    でもいつからだろう…伊吹の心も欲しいと。

    ワガママな俺が顔を出し始めたのは…

 

 

【数週間後、祇園-BAR RINNE-】

シュリ いらっしゃい。時間通りだな。


伊吹  …。


シュリ どうした?


伊吹  思ったより人がいて…驚いてる。


シュリ おまえ意外と有名なんだよ。"南座に向かって歌ってるギターの男"だって。


伊吹  なるほど。


シュリ みんな待ってる、楽しんで。


伊吹  ああ。


シュリ 伊吹?


伊吹  ん?


シュリ 今夜は来てくれてありがとう。


伊吹  アンタの為なら。


シュリ ……。

    (M)ふわりと笑って、ギターを片手にステージへ向かうアイツ。
    古びたギターとセットのされていない無造作な髪、その奥の美しい瞳。
    弦を弾き、ふっと息を吐いてから伊吹は歌いだした。

    艶のある、聴き心地のいい歌声。
    客が聴き入っているのが背中越しにも伝わる。

    歌いながら時々バーカウンターに目を向けて来るその眼差しに胸が疼いた。


    『ねぇ…シュリさん、あの人って彼氏いるの?』


    現実に引き戻すように声をかけてきたのは、祇園でも有名なその筋のクラブの男。
    ああ、そう…おまえみたいな奴が現れるってわかってたから、アイツに歌わせるのは嫌だったんだ。

    “さぁ?知らないな。アイツに直接聞いてみろよ。”

    精一杯の余裕を見せたことには気づきもせず、嬉しそうに笑うと伊吹の元へ向かう。
    その背中を、俺は言いようのない気持ちで見つめた。

 

    そう…俺たちの関係に名前なんてついていなかったから。

 

【間】

 

伊吹  今夜は楽しかった。
    呼んでくれてありがとう。


シュリ こちらこそ。みんな喜んでくれてた。


伊吹  よかった。


シュリ …。


伊吹  もうみんな帰ったんでしょ?


シュリ ああ…。


伊吹  一緒に打ち上げしよ?


シュリ …。


伊吹  どうしたの?


シュリ 今夜は行くところがあるんじゃないのか?


伊吹  え…ないけど。


シュリ ない…のか?


伊吹  どういうこと?


シュリ なんでもない。


伊吹  え…


シュリ 打ち上げしよう。
    シャンパン開ける。


伊吹  ねえ、待って。ちゃんと言ってくれなきゃわかんない。


シュリ ……。


伊吹  シュリ?


シュリ アイツに声…かけられたんじゃないのか?


伊吹  え、どの子?


シュリ どの子って…


伊吹  今夜は色んな人に名刺もらったけど、どの子のこと言ってる?


シュリ お、おまえ…。


伊吹  なに?


シュリ はぁ…呑むぞ。グラス持って来るからこれ開けて。


伊吹  ああ…


(シャンパンをグラスにそそぐ)


シュリ 乾杯。


伊吹  なぁ、はぐらかさないでちゃんと言ってよ。


シュリ …。


伊吹  ?


シュリ …っ、嫉妬したんだよ。


伊吹  嫉妬…?


シュリ 聞き返すな…っ


伊吹  え…なんで?


シュリ なんでっ?!…てっ…(シャンパンを呑んでため息をつく)
    …そうだな。
    そう言うだろうなってさっきの態度で予想がついてた。


伊吹  そう…なの?


シュリ (シャンパンをあおって)……人の感情は積み木みたいだなって思う時がある。


伊吹  積み木?


シュリ 色々なカタチが積み重なって、不安定な積み木みたいに。
    ちょっと押されたら崩れて壊れる。
    限界ギリギリだなって感じる…
    どう重ねたら安定するのか…どう立つのが正しいのかわからない。


伊吹  どうした?何かあった…?


シュリ おまえといると、いつもの自分じゃなくなるんだよ。


伊吹  (微笑んで)なるほど、そういう事か。


シュリ なにがおかしい?


伊吹  ねぇ…シュリ?積み木なんて崩してしまえばいいよ。


シュリ え?


伊吹  壊して砕いて、砂にしてしまったっていい。
    感情を積み木みたいに固めて重ねる必要なんてないよ。


シュリ 元も子もないこと言うんだな。


伊吹  アンタはそうやってすぐ決めつけるから。


シュリ 砂の城は脆いよ?


伊吹  (微笑)そうやって意地悪を言うのは癖?


シュリ うるさいな。


伊吹  (M)そう言って少し膨れるシュリが可愛くて、愛おしくて…俺はそっと彼を抱き寄せる。


シュリ おい、なに急に…


伊吹  ねぇ…崩れてもいい、脆くたっていい、壊れてもいいんだよ。
    そんな自分を許してあげる事がシュリには必要なんだから。


シュリ …難しい。


伊吹  なら、俺がアンタを許す。シュリがどんな風になっても俺だけはずっとシュリを許し続ける。


シュリ 伊吹…


伊吹  一生…許し続けるよ。
   “許す”って最高の愛だと、俺は思うから。


シュリ (M)そう優しく笑って伊吹は俺に口づけた。


伊吹  ねぇ?


シュリ なに…


伊吹  もっと…ずっと、一緒にいよ?


シュリ …。


伊吹  シュリ?


シュリ どんな俺を見ても…幻滅しないって約束できるのか…?


伊吹  できるよ。だからもっと見せて、シュリの事…全部。


シュリ (M)そう言って唇を押し当ててくるアイツの肌が熱くて…
    不安な気持ちが全て流れていくのを感じた。

    許しあって、求めあって、愛しあって…

    俺たちの関係に名前がついたあの日…あの瞬間が…俺たちのゴールだった。

 

【間】

 

伊吹 (咳き込む)


シュリ おい、大丈夫か?風邪?


伊吹  多分?このあいだ病院行って薬もらったんだけどな…


シュリ もうちょっと大きい病院で診てもらえよ。


伊吹  ああ…


シュリ ちゃんと行けよ?


伊吹  (M)そう俺の顔を心配そうにのぞき込む彼。
    シュリの店で歌っている時もその顔をしていた。
    傍から見ていても違和感があるんだろう。

    ただ風邪をこじらせただけならそれでいい。
    そう思って色んな病院に行くが一向に良くならない。

    理由がわかったのは喉の奥の違和感が日に日に酷くなってきた夏の終わりだった。


シュリ (M)あの夏の終わり…伊吹は俺の前から消えた。

    電話にも出ない…メールに返信もない…突然の事になにが起こったのか理解できなかった。

    "コイツだ"と思った。

    これが最後の恋なんだと思った。
  
    これから二人で優しい時間を過ごすんだと信じて疑わなかった。

    でも間違いだった。

    勘違いだった。

    泡沫の遊戯(あそび)。

    所詮アイツとの関係はその程度なんだと納得させようと俺は日々を必死に過ごした。

 

    ――数ヶ月後、俺は客の一人から耳を疑うような話を聞くことになる。

 

 

【数か月後-東山三条高層マンション・伊吹の部屋】

伊吹  シュリ…


シュリ ごめん、押しかけるような真似して。


伊吹  まちぶせなんてするタイプだとは思わなかった。


シュリ 俺もだよ。


伊吹  …連絡もせずに消えたことは謝るよ。


シュリ その事はもういい…


伊吹  そう。


シュリ 確かに…理由もなく居なくなるなんて納得できなかったけど。


伊吹  納得してくれなくてもいいよ。


シュリ そう言うだろうなって…思ってたから。


伊吹  そう。ならもういいだろ?帰ってくれ。


シュリ 待てよ…


伊吹  迷惑だ。


シュリ …っ


伊吹  悪いけど…いくら傷ついた顔を見せても、もう優しくできない。


シュリ …。


伊吹  …。


シュリ 喉…


伊吹  え?


シュリ どれくらい悪いんだ?


伊吹  なんのこと?


シュリ うちの常連の父親が、おまえと同じ病院に入院してる。
        おまえが定期的に診察受けてるの見かけるって。


伊吹  …。


シュリ どういう病気の人たちがそこに行くのかは…だいたい聞いた。


(ドアを開けて)


伊吹  ……入って。


シュリ ああ…。


伊吹  適当に座って待ってて、お茶入れる。


シュリ …。


伊吹  (お茶を渡しながら)まあ…京都も狭いもんな。
    あんな所で顔さすなんて思わなかったけど…
※顔さす…どこかに出かけて、知り合いに見つかること(京都でよく使われる言葉)


シュリ そうだな…お客もびっくりしてた。


伊吹  ……。


シュリ ……。


伊吹  悪性の腫瘍が喉の奥から頸動脈まで広がってるって


シュリ なんで――


伊吹  (被せるように)こんなになるまで放っておいたんだって言われたよ。
    でもどこの医者に診せても"こう"なるまでわからなかったんだから…仕方ないよな。


シュリ …。


伊吹  この歳でここにできるなんて稀だって…。
    "何万人に一人"なんて確率…引き当てなくても良かったのに。


シュリ 手術…するのか?


伊吹  ……。


シュリ 伊吹?


伊吹  手術は…しない。


シュリ え?どうして?


伊吹  父親も同じ病気で死んだ…だから俺は、ああはなりたくない。


シュリ ああって…?


伊吹  人間らしい生活ができなくなる。


シュリ なんだよそれ…


伊吹  カラダを切り刻まれて、声も失って、食事もまともにできなくなる。
    痩せて、体力もなくなって、起きてるよりも眠ってる時間が多くなって…そしていつか目覚めなくなる。


シュリ …


伊吹  それがあの人の最期だった。


シュリ そんな…


伊吹  そんな俺を、アンタにだけは見せたくない。
    こうやって悩んで、迷って、怖がってるところも見せたくない。
    だから何も言わずに消えた。


シュリ 伊吹…


伊吹  もういいだろ…わかったら帰ってくれ。


シュリ 待てよ、ちゃんとこれからの事、話し合おう――


伊吹  (被せ気味に)話すって何を?もう俺に明るい未来なんてないのに?!


シュリ っ…


伊吹  あたりまえに叶えることが出来たはずの幸せも…
    アンタと歩いて行くはずだった日々も!
    …一瞬で無くなった。


シュリ 無くなってなんか…ない。
    俺は、どんなおまえも受け止めたいって…


伊吹  そんな綺麗ごと聞かせないでくれ。


シュリ 綺麗ごとじゃ…ダメなのか?


伊吹  は?


シュリ どんな事があっても一緒にいたいっていう綺麗ごとは許されないのかよ。


伊吹  …許せない。


シュリ …。


伊吹  帰ってくれ。


シュリ 帰らない。


伊吹  シュリ…お願いだから――


シュリ かっこつけるなよ!
    わかるよ…おまえのプライドも…俺が同じ立場でもきっと…
    だからって勝手に孤独を選ぶなんて納得できない。


伊吹  アンタを…幸せにできない。


シュリ ふざけるなよ。


伊吹  …?


シュリ どうして、幸せにしなきゃいけないって思うんだ?


伊吹  え?


シュリ どうして一緒に幸せになってくれないんだよ!


伊吹  それは…


シュリ 勝手に背負って…自分には無理だなんて決めつるな…


伊吹  ……。


シュリ  もうこうやって人を好きになる事なんてないと思ってた。


伊吹  それは…!


シュリ こんなに大切になるなんて思わなかった…。


伊吹  っ…。


シュリ おまえが溶かして温めてくれたこの気持ちを思い出になんかしたくない。
    絶望して、俺を拒絶するなよ…幸せになるのを諦めるな。

伊吹  ……。


シュリ どんな姿になっても、伊吹が伊吹である事に変わりはない。
    一緒に悩んで、迷っても傍にいて、怖い気持ちも吐き出せよ…。
    おまえが自分を許せなくても…俺がずっと許し続けるから。


伊吹  シュリ…。


シュリ 俺はそんなに弱くない…


伊吹  …。


シュリ …。


伊吹  …ありがとう。


シュリ だから――


伊吹  でも、ごめん。


シュリ 伊吹…


伊吹  もう、帰ってくれ…お願いだから。


シュリ どうして。


伊吹  アンタがどう思ってても、何を言ってくれても……


シュリ …


伊吹  終わりだ。


シュリ そんな…


伊吹  行ってくれ…


シュリ 伊吹…待って…


伊吹  帰れよ!!


シュリ っ…………(部屋を出る)

 

伊吹(M)“許す”ことが最高の愛だと思ってた。
    許せなくて…壊れる俺を見せたくなくて…アンタを壊してしまいそうで。

    こんな風に踏みつけるくらいなら…傷つける未来しかないのなら…

    いっその事、出逢わなければよかったのに。

 

【間】

 

【数日後-東山三条高層マンション・伊吹の部屋-】

シュリ (M)拒絶された俺が出来ることなんてもう何もない。
    きっとこのまま引くのがアイツの為なのに。
    俺は我がままで…自分勝手。
    こんな往生際の悪い自分がいるなんて知らなかった。


(インターホンを鳴らすが反応がない)


シュリ (M)伊吹のマンションに何度も足を運んで、インターホンを鳴らす。
    ドア越しに呼吸を感じる気がして、少しホッとする。
    迷惑を承知で、彼を心配する店の常連からの差し入れを扉の前に置く。
    次に来る時にはそれが無くなっているのを確認して、律儀で優しいアイツを思う。

    そんな日々が続き、いつの間にか祇園の街に寒々しい冬が訪れた。

 

 

【数週間後、祇園-BAR RINNE-】

(ドアの開く音を聞いて)

シュリ すみません、今日はもう終わりなんです……っ。


伊吹  ごめん…こんな遅くに。


シュリ 伊吹…


伊吹  久しぶり。


シュリ どうした?


伊吹  …歌わせてくれない?


シュリ …。


伊吹  勝手なのはわかってるんだけど―――


シュリ いいよ。


伊吹  ありがとう。


シュリ 準備するからステージあがれよ。


伊吹  (M)突然来た俺に、何も聞かず優しく笑顔を向ける彼。
    久しぶりに会ったシュリは少し痩せた気がした。
    音響の準備が出来たのを確認して、俺はギターの弦を弾(はじ)く。

    喉は痛い。
    声もきっと前みたいには出ない。

    でも、この思いを…アンタへ。

    愛なんて信じてなかった。
    そうやって自分をごまかしてた。

    シュリに出逢って。

    その手に、その心に触れて…この一瞬が永遠のようだった。

    アンタの涙も、笑顔も、その表情のひとつひとつが愛しくて。

    俺のありふれた日常が、アンタで染まって。
    ずっと探していたのは…きっと…。

    ただ愛おしくて、でも怖くて、消えてしまうのが、壊してしまうのが。
    そばにいても、温もりが伝わってきても、遠くて、夢のようで。


    アンタといる一秒一秒を残らず…からめとりたい。


シュリ (M)絞り出すように歌う彼を見て涙が止まらない。
    響いて、締め付けて、目が離せない。
    歌い終わった彼は、そっとステージから降りて俺の前に立った。


伊吹  ありがとう。


シュリ 行くな…。


シュリ (M)アイツが消えてしまう…そんな予感がして、俺は伊吹に縋(すが)り付いた。
    みっともなくたっていい。
    絶対に伊吹を離したくなかった。


伊吹  シュリ…こんなのアンタの為にならない。


シュリ それは俺が決める…(伊吹に口づけして)行かせない…もう、離さない…。


伊吹  (M)彼の手が震えている。


シュリ (M)彼の唇が震えている。


伊吹  (M)鼓動が共鳴する。


シュリ (M)耳の奥で音が響く。


伊吹  (M)彼の唇が強く…俺の肌に吸い付く。


シュリ (M)彼の綺麗な肌を愛撫する唇に…熱が伝わる。


伊吹  (M)だらしなく吐息が漏れる羞恥心も…


シュリ (M)みだらにぶつける征服欲も…


伊吹  (M)膨れ上がって。


シュリ (M)締め付け合って。


伊吹  (M)弾けて。


シュリ (M)混ざって。


伊吹  (M)溶けて。


シュリ (M)無くなる。

 

【間】

 


    
シュリ (M)あの日、どれだけ触れても伊吹の心を掴めた気がしなくて…
    目覚めて、アイツが居ないことに妙に納得した。
    ふと、体を起こした指先に何かが触れる。


シュリ これ…ギター…(ギターにそっと触れるシュリ、涙があふれてくる)
    …どうして…こんな…こんなの……伊吹…


シュリ (M)おまえがなにを覚悟していたのか、俺にはわかってやれなかった。

    それでも、独りでいることを選んで欲しくなかった。

    せめて、どんなおまえになっても…生きていてくれ。

    俺の事を少しでも覚えていて欲しい。

    おまえを待ってしまう俺を、おまえを忘れることのできない俺を…許して。

 

 

 

【現在-祇園四条大橋-】
―南座を背に四条大橋を見つめる伊吹。片手にはどこかへ向かうチケットがある。


伊吹  あの夜、アンタを感じて…心を…カラダを…溶かされて、混ざりあって。
    どうしてもこの時を止めることはできないから…俺は……。

    もっと…ずっと…一緒にいたかった。
    アンタを大切に…したかった。

 

 

シュリ (M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
    沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
    おごれる人も久しからず。
    ただ春の夜の夢のごとし。
    たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。

 


伊吹  (M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
    しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
    「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。


    表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。

 

 

伊吹  この街でアンタと…居たかった。

 

 

 

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