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#紅雨、秘する花鳴る
(Crimson Rain/クリムゾンレイン)

こちらの台本は性的表現もあるためR15とさせていただきます。

※補足1・紅雨とは※
春、花に降りそそぐ雨
赤い花の散るようすを雨に例えた語


※補足2・月が綺麗ですね、雨が止みませんね※
かつて文豪の夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と訳したというエピソードがあります。
それと似た言葉に「雨が止みませんね」というフレーズがあり『もう少しあなたのそばにいたい』とういう意味なのだとか。

 


時間30分(演者様の間のとり方によって時間が変動します)
比率(♂:♀)1:1
 


注意事項
・人数比率は守ってください
・性別の改変/過度なアドリブはNGです

【登場人物】
入江遥/(いりえ はるか)

祇園近郊の百貨店をはじめとしたグループ企業のコミュニケーションおよびプロモーションプランニング部門の課長。
PR企画、広告宣伝の制作ディレクションイベント企画・実施及び進行管理をしている。

オフィスで『能面サイボーグ』『疲れ知らずの鉄の女』だと呼ばれている。


久賀夕葵/(くが ゆずき)
遥の部下のプランニング兼デザイナー。久賀暁仁(蠱惑的ポイズン参照)の弟。
クライアントの要望を元に、ターゲットを踏まえた企画やコンセプトを打ち出し、紙媒体・WEBページなどのデザインを考案し制作業務を行っている。

​遥にずっと恋心を抱いていた。

 

 

 

遥:(M)幼い頃から、自分に自信がなかった。
  母は私をいつも誰かと比較し、その度に心が抉られて、傷ついた。
  認めて欲しくて、ぬくもりが欲しくて、愛が欲しかった。


夕葵:(M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
   沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
   おごれる人も久しからず。
   ただ春の夜の夢のごとし。
   たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。


遥:(M)はじめて恋をした人は、私の『ハジメテ』が欲しかった。
  二番目に恋をした人には、奥さんと子供がいた。
  三度目の恋をした人に殴られた時、自分の見る目のなさを悟った。


夕葵:(M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
   しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
   「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
   表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。


遥:(M)紅い雨が降ったあの日、この祇園の街で…私の中で、ナニカが死んだ。

 

 

 

 


(タイトルコール)
夕葵:祇園×エンヴィ

遥:紅雨(クリムゾンレイン)、秘する花鳴る

 

 

 

【夜の会議室、明朝にある重要な会議のプレゼン資料を一人、準備する遥】

夕葵:失礼します。
   課長、こちらの資料、部長に持っていくように言われて…


遥:そう、お疲れ様。


夕葵:あと、こちら、来月に予定している企画のプレゼン用のデータ、まとめておきました。


遥:助かる。


夕葵:(彼女が一人なことに気づいて雰囲気が変わる)…あれ?ひとり?


遥:そうだよ。


夕葵:みんな席はずしてるの?

 

遥:うん、そんなとこ。

夕葵:…はい、これ。


遥:ありがとう。


夕葵:明日の会議、相当重要なんだよね?
   準備…結構かかる感じ?


遥:もう少しかな。


夕葵:俺も手伝う。
   何すればいい?この資料まとめんの?


遥:大丈夫だよ。
  あんたも疲れてるんだから先に帰ってな?


夕葵:いいから、ぱっと終わらせて帰ろ?
   最近、仕事忙しくてゆっくりできてないじゃん。


遥:…わかった。ごめんね?


夕葵:いや…別に謝って欲しいわけじゃないんだけど。


遥:うん…。


夕葵:何すればいい?
   あ、このデータ整理しようか?


遥:お願い。


(パソコンの音がカタカタと鳴り響く)


夕葵:みんな、帰って来ないな。


遥:…実はみんなには帰ってもらったんだ。


夕葵:え…なんで?


遥:ここの所、残業続きだったし。後は私一人でもできるから。


夕葵:一人でできるって…。
   あ、これもさ?俺できるからやっていい?


遥:いや、でも―――


夕葵:ふたりでやった方が早く終わるでしょ?


遥:そう…だね。


(ふたりは作業に戻る。室内ではパソコンの音がカタカタと鳴り響く)


夕葵:よし…できた。確認してくれる?


遥:うん。


夕葵:…どう?大丈夫?


遥:ん、完璧。


夕葵:よかった。


遥:お疲れ様。


夕葵:俺、コーヒー淹れてくる。


遥:いいよ、そんな。


夕葵:いいの。遥、頑張ったんだし、ゆっくりしてて?


遥:うん…。


(コーヒーを淹れて戻ってくる夕葵、遥は会議の資料を何度もチェックしている)


夕葵:なんか資料に不備あった?…はい、コーヒー。


遥:ありがと…ううん、不備はないよ。


夕葵:明日、不安?


遥:少し。


夕葵:そっか…でもこれだけ頑張って準備したんだから大丈夫だよ。


遥:うん…そうだね。


夕葵:そうだよ。


遥:ごめん。


夕葵:……。


遥:夕葵?


夕葵:いや、なんでもない。
   片付けて早く帰ろ?


遥:うん。あ、なんか食べて帰る?
  お腹空いたでしょ?


夕葵:俺作るよ。なんかあっさりしてて旨いの。


遥:疲れてるのに?


夕葵:大丈夫。俺、若いから。


遥:へぇ?意地悪言うくらい元気なら作ってもらおうかな。


夕葵:よし、じゃあ…俺この辺の資料片付けるね。


遥:夕葵。


夕葵:ん?


遥:本当にありがとう。


夕葵:いや…


遥:じゃあ私、こっち片付けるから。


夕葵:(M)そう言って黙々と片付け始める彼女を横目で見ながら、俺はなんとも表現しがたい気持ちになる。

   入江遥(いりえはるか)は会社の上司で、いわゆる『仕事のできる女』だ。
   なんでも一人で手早くこなして行く。


   部下である俺たちも彼女のスピードについて行くのに必死だ。

   俺たちが疲弊している横で涼し気に飄々と業務をこなす彼女を、

   《能面サイボーグ》だの、
   《疲れ知らずの鉄の女》だの言う奴もいるが、

   彼女はそれを知ってか知らでか淡々と成績を上げ、結果を出していく。
   そんな遥と俺がこんな関係なったことは、彼女にとって想定外だったに違いない。

 

 

 

【数か月前、祇園-BAR RINNE-】

遥:っ…どんだけ馬鹿力で殴ってんのよ。
  ごめんね、お店で暴れたりして。
  え、ああ…大丈夫。
  シュリが居たらめちゃくちゃ怒ってただろうね。
  もうすぐ来るの?まーじか、絶対に叱られるなぁ。
  あ、ねえ?他のお客さんに一杯ずつ、私からって出しといてくれる?
  うん、ありがと。あ、あと…もう少しきついお酒もらえない?


夕葵:入江課長?


遥:っ…久賀?!あんたなんでここに…


夕葵:いや、俺、よくここ来るんです。


遥:そうなんだ…よく今まで会わなかったな。


夕葵:そうですね…っていうか!どうしたんですかその顔!
   服も…襟元、ボタン取れてますよ…


遥:ちょっと…ね。


夕葵:いや、"ちょっと"ってあんた、馬鹿なんですか?


遥:え?


夕葵:女の子が顔に傷つくっちゃいけませんってお母さんに言われませんでした?!


遥:…ふふ、そっか。


夕葵:なに笑ってるんですか?!


遥:え、私、笑ってた?


夕葵:ちゃんと笑ってましたよ、なんなんですかもう。


遥:いや…久賀のお母さんは良い人なんだろうなって思ってさ。


夕葵:え…そりゃ、うちの母親は口うるさい所ありますけど飯は旨いし、いつも俺たちの心配して…って、は?!


遥:あはは、それは素晴らしい方だね。


夕葵:いや、もう母親の話はいいですよ!


遥:そう?


夕葵:それより…顔もですけど、身体は大丈夫なんですか?


遥:んー、あぁ……ちょっと痛くなってきたかな。


夕葵:病院は?


遥:そこまでじゃないよ。
  骨も歯も無事だし、明日から連休だからなんとかなるでしょ。


夕葵:なんとかって…。
   課長、なにがあったんですか?


遥:そうだな…


夕葵:……。


遥:久賀っていつもどんなお酒飲むの?


夕葵:え?


遥:これ以上の深い話はアルコールでも入れないとできないなって。
  酒の付き合いがハラスメントになるなら断ってくれていいよ?


夕葵:なるほど。


遥:どうする?


夕葵:ブラッディメアリー、ウォッカ強めで。


遥:じゃあ、それ二つ。

 

 

【間】

 

 

夕葵:そんな男、別れて正解ですよ。


遥:だろうね。


夕葵:そもそもなんで付き合ったんですか?


遥:月が綺麗だったから?


夕葵:どこの漱石だよ。


遥:あ、よく知ってるねぇ。


夕葵:そんなに好きだったんですか?


遥:今はよく分からない。
  私の月はもう無くなったからさ。


夕葵:……女ってよくわかんない生き物ですよね。


遥:その言葉、熨斗つけて返すよ。


夕葵:俺の兄貴って、そのよくわかんない生き物の扱いが上手いんです。


遥:へえ?


夕葵:歳、そんなに変わらないのに、なんでも器用にこなすんですよ。


遥:久賀も、その血をしっかり受け継いでると思うけど?


夕葵:そうですか?


遥:男女問わずバランスよく付き合ってるし、仕事も確実に仕上げて来る。
  しかも独りじゃなく、周りの協力もしっかり取り付けて。
  次に繋がるし信頼も得てる。


夕葵:なんですか、それ。


遥:久賀は良くできた部下だなって話。


夕葵:……。


遥:どうした?


夕葵:俺は…褒められたいんじゃない。


遥:え?


夕葵:俺は…あんたをちゃんと知りたい。


遥:ふうん?


夕葵:ずっと憧れてた。


遥:そう。


夕葵:尊敬してた。


遥:過去形?


夕葵:(即答)過去進行形。じゃなくて!


遥:んー?


夕葵:俺はそれ以上に女として…人間として…


遥:飲ませすぎた?


夕葵:あんたに興味があるんだよ。


遥:……。


夕葵:なんか言ってよ…。
   ほんと…表情変わらないから気持ち読めないんですよ。


遥:能面サイボーグだっけ?


夕葵:え、知ってたんですか?


遥:あはは、知ってるよそりゃ。
  上手いこと言うなあって感心してる。


夕葵:プライベートだとよく笑うんですね。


遥:今日はそうみたいだね。


夕葵:今日は?


遥:ねぇ、うち来る?


夕葵:…は?


遥:このままここに居ても埒が明かないからさ?
  うちに来る?


夕葵:行ったらなにするか、わかんないですよ?


遥:いいよ。


夕葵:いいよって…


遥:私のこと知ったら、その気持ちが冷めるかもしれないけどいい?


夕葵:冷めない。


遥:最初はみんなそう言う。


夕葵:そんなこと言ってたら何も始まらない。


遥:そうだね。だから、私のこと知ってみる?って聞いてる。


夕葵:本当に、俺…今、本能むき出しで優しくできないかもしれない。


遥:へぇ?どんな事したいの?


夕葵:あんたを無理矢理、鳴かせる。


遥:意外とサディスティック。


夕葵:ダメなの?


遥:ダメじゃないよ。
  …出ようか。


夕葵:ねぇ、俺さ、こういう"なし崩し"みたいなの嫌なんだけど―――


遥:肉欲に溺れたい夜もあるの。


夕葵:え…


遥:行くよ。

 

 

 

【烏丸御池、高層マンション一室】

夕葵:脱がないの?


遥:うん。


夕葵:なんで?


遥:嫌だから。


夕葵:最後までしたくないって事?


遥:それとこれとは別。


夕葵:別?


遥:最後までする。まずはどうしたい?


夕葵:っ……。
   キス…したい。


遥:いいよ…っ。


(激しくむさぼるように何度も口づけする)


夕葵:っハア……舌、出して。


遥:……久賀ってこういうのが好きなの?


夕葵:うるさいなっ…。


遥:っ…んン。ねぇ、待ってゆっくり…。


夕葵:無理……っ。


遥:余裕ないの?可愛いな。


夕葵:さっきから、なんなの…お願いだから黙ってよ。


遥:あはは、ごめん。


夕葵:嫌?


遥:え?


夕葵:俺とするの嫌になった?


遥:嫌じゃないよ。
  おいで…?


夕葵:課長ってさ――


遥:ん?


夕葵:俺の事、からかってる?


遥:そう思うならやめる?


夕葵:それは…え、ちょっ、なに?!


遥:カラダは正直だなぁと思って。


夕葵:オッサンみたいなこと言うのやめてもらえます!?


遥:そう?じゃあさ…(夕葵を押し倒す)。


夕葵:っ…。


遥:からかってないって、教えてあげる。


夕葵:入江課長……。


遥:遥。


夕葵:ハル…(言い終わる前に唇を塞がれる)

 

 

【間】

 

 

遥:水…飲む?


夕葵:うん。


遥:……はい。


夕葵:ありがとう…。


遥:シャワー先に使って?


夕葵:一緒に入らない?


遥:ダメ。


夕葵:肌、見せるの嫌だから?


遥:そうよ。


夕葵:なんでか聞いてもいい?


遥:それもダメ。


夕葵:ダメなことばっかり…


遥:(おでこにキスをして)そんな顔してないで、シャワー浴びて来な。


夕葵:…わかった。


遥:(M)彼の少し拗ねた顔が可愛くて、私の壊死した感情がくすぐられる。

  鈍い痛みの残るカラダを擦りながら、セブンスターに火を灯す。
  こんな姿を見たら、彼はきっと『オッサンだ』と怒るんだろうなと思うと、自然と口元が緩んだ。

  しかし、部下とこんな関係になるとはとんだヒューマンエラーだ。

 

遥:(星がきらめく、透き通った空を見上げて)雨がやまないからかな…

 

 

 

【現在、烏丸御池、高層マンション一室】
(キッチンで料理をする夕葵)

遥:パスタ?あれ…変わった匂いがする。


夕葵:ベジタブルパスタ。野菜とか豆とか木の実とかで作ってるんだってさ。
   幼なじみの試作品。


遥:嵐山の?


夕葵:そう。小麦粉使ってないから糖質オフ。


遥:なんでそう…女心くすぐってくるのよ。


夕葵:さぁ…遺伝?


遥:ご両親に感謝するわ。


夕葵:それ最近よく言ってるよな。


遥:そう?


夕葵:自覚なし?


遥:あ、お家の方、心配してない?ちゃんと連絡してる?


夕葵:それも耳にタコ。


遥:でも―――


夕葵:俺、成人済み、おーとーな。 


遥:っ……。


夕葵:旨いの作るから、風呂入ってきな。


遥:おーらい。

 

 

【間】

 

 

 

夕葵:遥、出来たよ。


遥:これ塗ってすぐ行く。


夕葵:ゆっくりして。


遥:すぐ行く。


夕葵:ソース冷めたら温め直せるから。


遥:す・ぐ・い・く。


夕葵:可愛い。待ってるね。


遥:……はぁ。アラフォーにその甘さは反則なのよ。


  (M)思えば私は愛情に飢えた人間だった。
  私を見ない母、私の本質に触れない男たち。
  期待も虚しく裏切られ、心もカラダも傷つけられて信じることに疲れた私は、自分を見せることが怖くなっていた。

  なのに、あの子は躊躇なく触れてくる。
  私の柔らかい所になんの迷いもなく…。

  私のために、私との時間のために。

  けれど私は、彼になにも答えられていない。
  いつ答えることができるかもわからない。

  本気でぶつかって来る彼に、この壊れた自分自身をさらけ出すことが恐ろしいのだ…。

 

夕葵:味、合わなかった?


遥:え、ううん。美味しいよ。


夕葵:ぼーっとしてるからさ。


遥:そう?


夕葵:明日の会議なら絶対うまく行くって。


遥:うん。


夕葵:それとも別の悩み?


遥:……。


夕葵:俺には言えないこと?


遥:そういうわけじゃない。


夕葵:…そんなに頼りない?


遥:え…。


夕葵:ごめん、なんでもない。
   それ冷める前に食っちゃって。
   俺、風呂入って来るから。


遥:……潮時なのかな。

 

 

 

【翌日、夕方のオフィス】
(エレベーターに乗り込む夕葵、中に荷物を持った遥がいる)

夕葵:あ、お疲れ様です。


遥:お疲れ様、帰り?


夕葵:いえ地下二階に。


遥:あれ?資料室?


夕葵:はい。ああ、課長もですか?大荷物ですね。


遥:今日の会議で使った昔の資料。紙媒体でしか残ってなくて、こういうのもデータ化しなきゃね。


(エレベーターが1階に止まり、二人を残して同僚たちが出ていく)


夕葵:お疲れさまでした…(雰囲気を変えて)ね、それ持つよ。


遥:大丈夫よ?


夕葵:いいから貸して?重いでしょ。


遥:ありがと。


夕葵:ごめん、すぐに持ってあげれたらよかったんだけど。


遥:あはは、気にしないでよ。みんないたしね?


夕葵:まあ、そうなんだけどさ…。
   ねえ、これいつまで隠すの?


遥:ん?


夕葵:俺、そろそろ限界かも…


(エレベーターが地下二階にとまる)


遥:それどういう意味―――


夕葵:(遮って)ほら、着いたから先出て。
   ドア開けてくれる?


(資料室のドアを開ける遥、少し不機嫌そうな夕葵の後姿を見つめる)


夕葵:これ、どこ運べばいいの?


遥:……。


夕葵:なあ?


遥:もしかして怒ってる?


夕葵:……。


遥:夕葵?


夕葵:…なんでいちいちそういうこと聞いてくんの?
   俺が怒ってるかどうか聞いて、もしそうだったら、なんとかしてくれる?

   遥が俺たちの関係、隠したいみたいだから俺ガマンしてるよね?
   なに?言うこと聞いてるのに、ちょっと不機嫌になったくらいでそういう感じになんの?


遥:そういう感じ…ねぇ。
  わかった、帰ってから話そ?


夕葵:(彼女に詰め寄って)待てよ。俺、機嫌悪いよ?
   俺の機嫌直してくれないの?


遥:…甘えんなよ。


夕葵:は?


遥:てめぇの機嫌くらいてめぇで直せって言ってるの。


夕葵:っ…。


遥:そんな顔してもダメ。


夕葵:(ため息をついて)…なぁ、なんで隠したいの?
   俺は遥のこと、俺のものだってみんなに言いたいんだけど?


遥:ガキみたいなこと言わないで。


夕葵:…もしかして俺だけ?…俺だけが本気なの?
   俺と遥の『好き』はこんなに違うの…?
 

遥:……。


夕葵:こんな時まで『能面』なんだね。
   俺、遥のこと全然わからない。


遥:……失感情症(アレキシサイミア)って知ってる? 


夕葵:アレキシ…なに?


遥:アレキシサイミア、失感情症。自分の感情に気付きにくかったり、言語化できないの。
  感情と表情がリンクしないのも主な症状。
  これが『能面サイボーグ』の正体。


夕葵:……。


遥:その資料、その辺りに置いといて?それじゃ…。


夕葵:帰らないの?


遥:雨に歌うのも素敵だから。


夕葵:え?


(遥、夕葵を振り返らず資料室を後にする)


夕葵:雨なんて…降ってないだろ。

 

 

 

【烏丸御池、高層マンション一室】
(夜、ノートパソコンの画面を見つめる夕葵)

夕葵:失感情症とは、アレキシサイミアの日本語訳で、感情の認知や表現がうまくできない障がいのことを言う。
   この傾向がある人は、つらい状況に置かれても感情を表に出せないため、周囲から「我慢強い人」「ポーカーフェイス」と見られる傾向がある…。
   逆に、自分の感情を認知できないがために、行動と感情にずれが生じ、相手にネガティブな印象を与えることもある。

   失感情症という名前だが病気ではなく、実際に感情を失っているわけではない。
   この傾向がある人は、抑圧された感情やストレスに気づけないため、対処することができず、どんどん心に負荷がかかって、突然うつ病や心身症を発症してしまうケースが多く見られる。

   心身症ってなんだ…(別の検索画面を開く)
   えっと…心理的ストレスが原因で臓器の機能に障害が生じて、胃潰瘍や十二指腸潰瘍、アトピーや喘息などの身体的な症状を発症すること―――


遥:まだ起きてたんだ。


夕葵:っ…!おかえり。


遥:居ないかと思ってた。


夕葵:…飲んで来たの?


遥:シュリの所で少しだけね。


夕葵:そっか。飲み直す?


遥:ううん。


夕葵:水入れようか?


遥:うん。


夕葵:(水の入ったグラスを渡す)はい…。


遥:ありがとう…(パソコンの画面を見て)調べてくれてたの?


夕葵:あ、これは……


遥:真面目だよねぇ。


夕葵:……。


遥:もう潮時なのかなって思ったんだけどね…シュリに怒られた。


夕葵:シュリさんに?


遥:命があればなんとでもなる。
  でも、明日どうなるかは誰にもわからない。
  女のプライドも課長の立場もひとまず捨てて、夕葵にぶつかって来いって。


夕葵:……。


遥:会社で私たちの関係が知られて、もしもなにかあった時、立場的に辛くなるのは夕葵だから…。


夕葵:そんなの――


遥:っていうのもあるんだけど。


夕葵:え?


遥:ねぇ、これ見て?(おもむろにシャツを脱ぎだす)


夕葵:っ…や、ちょっと、は?


遥:なに、今さら照れることないでしょ。ヤることヤってんだから。


夕葵:だからオッサンみたいなこと言うなって…(シャツを脱いだ遥の腹部にある手術痕を見て)え、それ。


遥:これは腹腔鏡手術の痕、心身症調べてたならわかるでしょ?
  悪化させてやっちゃったの。
  そしてこれは……元彼に殴られて内蔵が損傷した時の。


夕葵:元彼ってあの日、店で言ってた…


遥:違う。もっと前…十代の頃。


夕葵:十代…?


遥:さて、どっから話そうかなぁ。


夕葵:(そっと手を取る)


遥:え?


夕葵:震えてる。


遥:あー、ごめん…気づいてなかった。


夕葵:大丈夫。ゆっくりでいいから…。


遥:……うちの母親、私が物心ついた時にはシングルマザーでね。
  私が小学校にあがる前、再婚したの。


  再婚は正直嬉しかった。


  母は不安定でヒステリックな人で、なんでもない事でよく私を叱りつけてたから。
  父と付き合うようになって、それが落ち着いた気がしたの。

  父にも連れ子がいてさ。
  2つ上の姉。


  姉さんは優しくて、頭も良くて、要領も良くてね。
  父娘(おやこ)揃って気分屋の母の扱いも上手で。

  4人で楽しく暮らして行けるんだろうなぁって思ってたんだけど…。

  あの人は結局、変わらなかった。

  父や姉の居ないところで私を叱りつけるの。
  "なんであんたはお姉ちゃんみたいにできないの"って。
  私は姉より成績も良くなかったし、姉のように母をあしらうこともできなかった。


夕葵:……。


遥:ずっと姉と比べられて、見えないところで罵声を浴びせられて…

  私は、男に逃げた。
  家にあまり帰らなくなって、母だけじゃなく父や姉も避けるようになった。

  守ってくれる男がいるから私は大丈夫だって、自分に言い聞かせて。
  でも、捕まえる男はみーんなクズ。
  自分の欲望が満たされればいい奴ばっか。

  それに気づいたのは高校生の時。
  浮気性なあの男が他の女といる所を見つけてね。
  雨の中、祇園の往来で問い詰めたの。
  私もどうかしてたけど、アイツも常軌を逸してた。

  顔を一発殴られて。
  脳みそがグラって揺れて。
  お腹が切り裂かれるような痛みを何度か感じて……。

  気がついたら病院のベッドの上だった。

  そこには、父と姉が居た。
  泣いてるの…赤の他人が……。

  あの人たちが居なかったら、今、私は生きていなかったかもしれない。


夕葵:お母さんは…?


遥:母が来たのは、何日か後だったかなあ…父に連れて来られたんだと思う。
  動けない私に"ご近所になんて説明するんだ"だの"恥ずかしい子"だの…言われたっけ。

  父がそんなあの人を見るのは初めてだったはずだけど、彼も察しのいい人だったから…私にこのマンションをくれた。
  『お母さんと離れた方がいい』って。


夕葵:それって。


遥:ていよく追い出されたって言う人も居るけど…あの時の涙は本物だったから。
  私のためだって信じてる。
  別の高校に編入して、希望の大学にも行かせてもらったし。
  本当に感謝してる。

  でも…あの雨の日に私の感情はどうやら壊れてしまったらしくてね。

  なにも感じない。

  どう思えばいいかわからないことが増えていったの。
  ずっとそうじゃないんだよ?
  笑ったりすることもできる。
  でも辛いとか、悲しいが…時々わからなくなる。
  ましてや、自分の本心をさらけ出すなんてとても……。

  だけど…(ふと夕葵の顔を見ると彼は泣いている)え、夕葵。泣いてるの?


夕葵:あ、ごめ……俺、なんで泣いてるんだろ。


遥:……あんたと居ると、ほっとする。


夕葵:え……。


遥:素直で、優しくて、よく笑って。
  私のために怒って泣いてくれる。

  ……ねぇ、夕葵。
  こんなに追い詰められるまで覚悟が決まらなくて…ごめんね。

  私、夕葵が好き。
  本気で好き…誰よりも大切なの。


夕葵:っ……俺も、遥が好きだよ。
   誰よりも大切で……あぁ、もう、なんで泣いてるのか…わかんなくなって来た。


遥:ふふ。ねぇ…夕葵?


夕葵:なに?


遥:泣いてるあんたってソソるね…。


夕葵:っ…!ほんっと、オッサンみたいなことばっか言う…!


遥:あははは!

 


夕葵:(M)高らかに笑う彼女を抱き締めて、唇に触れる

遥:(M)頬を伝う涙が愛おしくて、舌でなぞる

夕葵:(M)初めて見る彼女の肌が綺麗で

遥:(M)熱のこもった視線に溶かされそうで

夕葵:(M)壊れてしまわないよう、傷つけないよう

遥:(M)優しく落とされる愛撫に、心がぬくもる

夕葵:(M)幾度も交わしたはずなのに

遥:(M)何度も繋がったはずなのに

夕葵:(M)熱に浮かされたように

遥:(M)無我夢中で

夕葵:(M)紅く染まった花弁に

遥:(M)優しい雨を打ち付ける

 

 

【間】

 

 

(深夜、雨音が響いている。少し体を起こし窓の外を見つめる夕葵)
夕葵:……。

遥:ん…夕葵……

夕葵:あ、起きちゃった?

遥:…雨?

夕葵:うん、きっと月も綺麗だよ。

遥:…ねえ、その意味わかってて…

夕葵:(口づけて)その話はまた明日…寝よ?

遥:うん…おやすみ。

夕葵:おやすみ…。

 

 

 

遥:(M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
  沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
  おごれる人も久しからず。
  ただ春の夜の夢のごとし。
  たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。


夕葵:(M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
   しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
   「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
   表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。

 

 

 


遥:(M)この街の雨は止まない。

 

 

 

【完】

クリムゾンレイン.png
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