祇園×エンヴィ
祇園×エンヴィ
#蠱惑的メディスン
時間30分(演者様の間のとり方によって時間が変動します)
比率(♂:♀)1:1
注意事項
・人数比率は守ってください
・性別の改変/過度なアドリブはNGです
【登場人物】
新垣アラタ(にいがき あらた)/萌笑の後輩、祇園近郊の百貨店の紳士服ブランドの販売員をしてる。
設楽萌笑(したら もえみ)/祇園近郊の百貨店の子供服ブランドの販売員をしている。
【放送用】
祇園×エンヴィ
#蠱惑的メディスン
新垣アラタ:
設楽萌笑:
アラタ:(M)とかく、いい女はダメな男に惚れるもの。
男たちは巧みに飴と鞭を使い分け、穏やかな日常を刺激する。
女たちは予測不可能な態度に振り回され、脳内ではドーパミンが暴走する。
いつしか神経伝達物質は“快”を感じ、より深く、激しく、刺激を求める。
「目を覚ませ」と再三言えど聞く耳を持たず、相手への愛は深まるばかり。
理性では計り知れない女心の綾。
昔日(せきじつ)のアトリビュート。
萌笑:どうしてあんな奴、好きになっちゃったんだろう…。
アラタ:(M)設楽萌笑(したら もえみ)もそんな女のひとりだった。
彼女はダークカラーのストレートヘアを揺らし、ため息をつく。
萌笑:頭ではわかってるの…わかってるのに……。
アラタ:(M)眉間(まゆあい)を歪ませ、忘れることの出来ない男を想い、毒を吐き捨てながらワインを煽る。
俺は楚々とした彼女が乱れ過ぎないよう、いつものように嗜める。
脳裏に咲く『あの人』の言葉を聞きながら。
萌笑:本当に付き合ってたって言えるのかな…。
アラタ:(M)今思えば、あの人との関係は一場春夢(いちじょうしゅんむ)のようだった。
別れを告げられて数ヶ月。
あの時、言われた言葉を反芻しても、その真意は未だわからない。
萌笑:泣いたって何も解決しないのに…勝手に涙がこぼれてくるの。
アラタ:(M)彼女が最後に見せた涙は、俺の心をえぐった。
強いと思っていたその瞳が揺らぎ、肩が震え、唇を噛みしめながら涙を堪える姿が心底“いとおしい”と思ったその時。
俺たちは終わった。
萌笑:遊ばれてただけなんだろうな…。
アラタ:(M)遊びのつもりなんてなかった。
真剣に彼女を幸せにしたいって…そう…本気で。
本気で?
彼女は俺の心を見透かすように言葉を放つ。
俺の思いも寄らない方向から。
とても攻撃的に。
ひどく挑発的に。
その言葉がこんなにも刺さるのは…こんなにも胸が疼くのは…正鵠(せいこく)を得ているからか。
本能的に押し黙る俺を許さない彼女の情動。
あの瞬間を思い出す度、煩悶(はんもん)する日々。
だから俺は…ただ、待って…この気持ちが風化するのを…。
口に含むワインの味が沁みる。
もっと強くなりたい。
この街で生きていくために…。
(タイトルコール)
萌笑:祇園×エンヴィ
アラタ:蠱惑的(こわくてき)メディスン
【烏丸室町ワインバー QUATTRO CAT(クワトロキャット)】
アラタ:(M)オフィス街を抜けて路地裏に入ると、そこには京都では馴染みの町家(まちや)を改装したワインバー『QUATTRO CAT(クワトロキャット)』がある。
店内は和モダンな雰囲気で、いつもゆったりとジャズが流れているのが心地いい。
カウンターから横目で見えるところにライトアップされた箱庭があり、情緒あふれる雰囲気をかもしだしている。
その店で彼女とワインを呑むのがここ最近の夜の日課だった。
彼女…萌笑は俺が働くブランドのチルドレン部門で店長をしている。
学生の頃から見ていた彼女は絵に描いたような"仕事のデキるかっこいい女だった"。
まぁ、その化けの皮も数年後、見事に剥がれることになるのだが…
萌笑:はぁ…。
アラタ:もしかしてもう酔ってる?
萌笑:え、酔ってないわよ。
アラタ:ふーん。
まあ、最近また情緒不安定だもんな。
店で接客してる時は“萌え萌えキラースマイル”炸裂してるみたいだけど。
萌笑:情緒不安定って失礼な。
っていうか、何よその“萌え萌えキラースマイル”って。
アラタ:どんなお客様の心も和ませ、財布の紐を緩ませるキラースマイル。
『あの笑顔はマジで萌える。いやエモい』って山田が言ってた。
萌笑:なお美の奴、そんな事言ってたの?
ていうか、何に“萌える”のか理解できない。
そもそもエモいってなに…?
アラタ:萌笑は黙ってると美人だからきつく見えるんだよね。
なのに笑うと急に可愛くなって親しみやすさ5割増し。
つまりはギャップ萌え?エモいっていうのは…
萌笑:あーわかった、わかった。
そんなこと解説しないで。
アラタ:え、わからないって言ったから丁寧に教えてあげたのにそういう事言う?
萌笑:言うわよ?(ワインをあおる)
アラタ:こら、飲み方が荒い。
呑まれに行ってるみたいで心配になるからやめて。
萌笑:へえ?アラタもそういう事言うようになったんだ?
アラタ:年下だからって馬鹿にしてるだろ?
萌笑:年上を敬ってからそういう事言って。
アラタ:あー言えばこう言う。
萌笑:こう言えばああ言う?
アラタ:ったく…なぁ?香月和也(こうづきかずや)から連絡でも来た?
萌笑:ちょっと、なんでフルネームで呼ぶのよ。
アラタ:なんとなく。
東京本部に栄転してから音沙汰ねーし、そこまでお世話になった先輩でもない。
何より俺はあいつが嫌い。
萌笑:それ、昔から言ってるよね?
アラタ:会ったその時から嫌いだもん。
萌笑:『チビ太』って命名されたから?
アラタ:はぁ?!違げーよ、ばーか。
萌笑:図星つかれるとすぐ“ばか”って言う。
アラタ:だいたいもう“チビ”じゃないし。
萌笑:確かにね?大学1年のアルバイトのアラタはこーんなに小さかったのに。
アラタ:そんなに小さくねーわ。
萌笑:あはは、でも本当そんな歳からでも身長って伸びるんだって関心した。
アラタ:俺は安心したよ。
チビで一生終わるのかと思ってたからな。
萌笑:昔は昔で可愛かったよ。
アラタ:男に可愛さはいらない。
萌笑:そうかな?わたしは可愛い人好きだけどな。
アラタ:そうやってダメンズを育てていくんだろ?
無駄に母性本能強いからな。
萌笑:うるさいな、ほっといて。
アラタ:無理。
萌笑:え…?
アラタ:ほっとかない。
萌笑:な…
アラタ:トキメくな(頭を軽くはたく)。
萌笑:いたーい。いいじゃない、少しくらいトキメキ頂戴よ。
アラタ:1回千円な。
萌笑:ホントに取られそうで怖いわ。
アラタ:で?
萌笑:ん?
アラタ:香月和也から連絡来たんだろ?
萌笑:うん。視察で京都に来るから『よかったら飲まないか』って言われた。
アラタ:おー、あいつマジでクズだな。
萌笑:ね。ホント何考えてるかわかんない。
結婚適齢期の女あっさりポイ捨てしといて、何もなかったみたいに連絡してきてさ?
わたしが行くとでも思ってるのかな?
アラタ:え、まさか行かないよね?
萌笑:多分?
アラタ:それ…行く可能性あるってこと?
萌笑:…だってさ。
アラタ:だってじゃない。おまえマジでバカだろ。
萌笑:いきなり音信不通にされてそれっきりで、何考えてるのか知りたいっていうか。
アラタ:知ってどうするの?
萌笑:どうするんだろう…。
アラタ:何も言わずに消えた男が考えてる事なんか知って得ある?
萌笑:得は…ないだろうけど。
アラタ:その許容量の広さどうにかした方がいいと思うよ?
萌笑:え?何よそれ。
アラタ:包容力ありすぎ。押しに弱すぎ。
無理してる自分に気づくのが遅すぎ。
都合のいい女になりすぎ…続ける?
萌笑:言うわね…。
アラタ:これくらい言わないとわかんないでしょ?
萌笑:尼寺にでもいこうかな。
アラタ:行ってどうなる。いや、行ってどうするんだよ。
萌笑:えー……写経?
アラタ:あー…それならありか。行ってこい。
写経かまして心頭滅却してこい。
萌笑:かますとか言わないで。
アラタ:あ、ボトル空きそうだな。次も白でいい?
萌笑:次、スパークリングワインにしない?喉に刺激が欲しい。
アラタ:いいね。じゃあ、えーと…タルターニでもいい?辛口。
萌笑:うんうん。
アラタ:すみません、タルターニをボトルで。あと、マルゲリータ。
萌笑:あ、わたしも食べたいって思ってた。
アラタ:だろ?
萌笑:さすが、アラタ。
でもこんな時間に糖質摂ったらやばいよねぇ。でも食べたい。
アラタ:危ない組み合わせだよな。
スパークリングワインとマルゲリータ。
萌笑:ひと切れだけにしよう。
アラタ:好きなだけ食べればいいのに。
萌笑:だめ、最近腰周りやばい。
アラタ:そう?
萌笑:アラサーは肉の付き方変わってくるって聞いてたけど…本当だった…はぁ。
アラタ:なにそれ。
萌笑:ぼうやにはまだまだわかんないわよ。
アラタ:“ぼうや”って言うな。
(ボトルを受け取りながら)ありがとう。はい…。
萌笑:(グラスをかたむけて)ありがとう。
アラタ:(ワインをつぎながら)なあ、そんなに歳って気になる?
萌笑:気にはなるわよ。学生の時とは違うもん。
短大卒業して、何していいのかわからないまま、何となくバイトの延長でアパレルの仕事してさ。
アラタ:それは俺だってそうじゃん?
萌笑:“ココ”には“年齢の差”があるでしょう?アラタにはまだまだ色んな可能性あるもん。
アラタ:萌笑にないわけじゃないだろ?
萌笑:ないわけじゃないけど…。
周りはどんどん結婚して、お母さんになってる子もいる。
嬉しいけど淋しいし、嫉妬しないかって言ったら嘘だしね…。
じゃあキャリアつむ?って言ってもそこまで仕事に情熱注いでるわけでもないし。
知っての通り結婚したい相手がいるわけじゃない。
もやもや、うだうだ悩むけど、時間って平等でしょ?
焦りはつのるばかりだよ。
アラタ:ちゃんとキレイだし若いのに?
萌笑:あんたまで馬鹿な事言わないで。
そりゃ汚くなるわけにはいかないから気は使うわよ。
でも内臓はどうしたって衰えていくの。
アラタ:内臓って…。
萌笑:とにかく。女には色々リミットがあるんだって、ちゃんと覚えておかないと痛い目見るわよ?
アラタ:なんか…耳が痛いな。
萌笑:どうしたの?彼女と何かあった?
アラタ:彼女って?
萌笑:『1階のコスメ売り場の美魔女』と付き合ってるんでしょ?
アラタ:え……
アラタ:それ、なお美から聞いた?
萌笑:そうだけど。駄目だった?
アラタ:いや?まぁ、そう“だった”…けど。
萌笑:過去形?
アラタ:そう。“アラタにはもっと若くて可愛い人があってる”ってフラれた。
萌笑:へえ。彼女みたいな人でもそういうこと言うのね。
アラタ:彼女みたいなって?
萌笑:キャリアもあって、キレイで、無敵オーラ半端ない美魔女。
アラタ:なんかトゲあるな。
萌笑:だってあの人、性格キツくて苦手なんだもん。
休憩室で挨拶しても無視されるし。
アラタ:んー…でもまあ、あいつも可愛い所あるんだよ?
強がってるだけでさ…。
萌美:……。
アラタ:なに?じっと見て…
萌笑:アラタもそういう顔するんだ。
アラタ:え?
萌笑:オトコの顔。
アラタ:そりゃ、男だよ俺。
萌笑:そうじゃなくて…本当に彼女の事、好きなのね。
アラタ:さすがにもうあきらめついてるよ。
萌笑:そんな顔しといて?嫉妬しちゃうくらいイイ顔してたよ。
アラタ:なんだよそれ。
萌笑:(ぽつりと)もったいな。
アラタ:え?
萌笑:あー、いいのいいの。
ねえ、フラれた理由って、さっき言ってたそれなの?
アラタ:そうだけど?
萌笑:“アラタにはもっと若くて可愛い人があってる”って、歳の差なんてわかってて付き合い始めたんでしょ?
アラタ:まあ…うん。俺は年齢の事気にしたことなかったよ。
あいつもそうだと思ってたから本当にびっくりした。
萌笑:そっか…ふたりっていつから?
アラタ:一昨年くらい。
同じバーでよく顔合わせるようになって。
そこから連絡先交換して。
何度も一緒に飲むようになって。
…向こうから誘ってきてそのまま。
萌笑:彼女からアラタに惹かれたんだ。
アラタ:いや、どうだろ…。
んーでも、俺が相手にされるわけないって思ってたし。
誘われた後も、付き合おうとか明確に言われたことないから…。
萌笑:なるほどね…イマドキ。
アラタ:絶対、今の言い方馬鹿にしてるだろ。
萌笑:してないわよ、素直な意見。
わたしは時代錯誤な人間かもねって思っただけよ。
アラタ:なんの自虐だよ。
まあ…でも、今となったら俺たちどういう関係だったかわかんないけどね。
今時かはわかんないけど…『好き』って言われたことなかったな俺。
萌笑:え、嘘?
アラタ:ホント。でも最後にあいつ“嫌いになったわけじゃない”って言ってたから。
好きあってたと信じてるよ。
萌笑:そっか…。
アラタ:その後に“アラタが悪いわけじゃない”って…“だけどもう終わりにしたい”って続くんだけどね。
で…まあそこからは何言っても答えは同じだった。
萌笑:全然知らなかった。
アラタ:だって、おまえ大変そうだったし…。
俺に彼女いる事知ったら絶対『飲みに行こう』って言ってこなくなるって分かってたから。
萌笑:…ごめん。
アラタ:いや、別に謝る事じゃないよ。
萌笑:うん…。
アラタ:ねえ。大人の女ってさ、何と戦ってるの?
萌笑:重力?
アラタ:マジメに。
萌笑:(笑って)マジメだよ。
でも、そうだな。大人の女はいつも…自分と戦ってるんだよ。
アラタ:ひとりで?
萌笑:ひとりで戦いたいわけじゃないとは思う。
でもひとりでいる自由を大切にしたいのもわかるし、守るものが増える怖さもわかる。
アラタ:ふうん。
萌笑:だんだん歳重ねていくとさ、色々シガラミが増えるんだよね。
アラタ:だから俺を切り捨てるの?
萌笑:こんな優良物件なかなかないのにねえ。
アラタ:馬鹿にして…
萌笑:馬鹿になんかしてないってば。
アラタ:(ワインをあおる)おかわり。
萌笑:はいはい。(ワインをつぐ)アラタ、明日も休みだよね?
アラタ:うん。だから誘ってくれたんでしょ?
萌笑:うん、あんたのとこの店長君にシフト聞いた。
アラタ:同期だっけ?
萌笑:ううん、一個下。
アラタ:あー、だから萌笑“さん”って言ってたのか。
萌笑:あんたぐらいよ?わたしの事呼び捨てしてくる後輩。
アラタ:いやー、だって香月和也と付き合ってる時にさんざん夜中に呼び出し食らって。
病める時も健やかなる時も酒に付き合ってたらこうなってたよね。
萌笑:…(アラタをにらむ)。
アラタ:ごめんって。
萌笑:いいわよ、事実だし。
先輩のくせに弱み見せまくって申し訳ないって思ってるわよ。
アラタ:全然申し訳なくないよ。
吐き出せるなら吐いた方がいいもん。
萌笑:あんたって本当に優良物件。
アラタ:人を物件に例えんなっての。
萌笑:ほめてるんだしいいじゃない?
アラタ:ふーん?じゃあ香月和也はいわくつき物件?
萌笑:まさしくそうね。
アラタ:なんであいつとつきあう事になったんだっけ?
萌笑:一緒に仕事してたの。
あの人がわたしたちの百貨店の営業担当になる前。
アラタ:販売やってたんだ、あの人。
萌笑:内勤になる前に一通りの業務はこなさなきゃいけないからね。
1年半くらい一緒に仕事してたのよ。
アラタ:あいつ接客うまそうだもんな。
萌笑:それがその逆。
なかなかうまくお客様に話せなくて、店の空気にも溶け込めなくてね。
結構ツライ思いしたんじゃないかな。
アラタ:へえ…ざまあないな。
萌笑:(笑って)こら。でも彼、ああ見えて努力家なのよ。
慣れるためにシュミレーション何度もこなして、本部の会議やセミナーには休み返上して通って。
アラタ:幹部以外は自由参加だろ?
萌笑:うん。それでも毎回行ってた。
その努力に結果がついてきて、半年後には売上が全国トップになった。
上司の推薦で営業に変わるまでずっと成績保ってね。
そういう負けず嫌いで偉そうなあの人に、いつの間にか惹かれてたんじゃないかなあ。
アラタ:で、付き合ってみたらクズだったと。
萌笑:身も蓋もないわね。
アラタ:でも事実だろ?
萌笑:わたしも悪かったのよ。
あの人とはそういう関係じゃなかったのに将来の事なんて…焦りすぎてた。
東京で自分を試したかった彼に、わたしは重かったんじゃないかな。
アラタ:将来の事マジメに考えてつきあっちゃいけないの?
萌笑:タイミングが合わないなら負担でしかないんだろうね。
同じ方向を見てなかったらすれ違うばかりだよ。
アラタ:…でも音信不通は納得いかない。
萌笑:うん…でも、会いたいって思ってる自分もいる。
アラタ:本気で言ってる?
萌笑:……どうだろう。
アラタ:マジで尼寺行ってきた方がいいかもな。
萌笑:ね…。
アラタ:なんでいい女なのに、男を見る目ないの?
萌笑:わたし、いい女じゃない。
アラタ:いい女だよ。
萌笑:そんな事ないってば。
アラタ:だって、俺…
萌笑:ん?
アラタ:(M)口から出そうになったその言葉に驚いて、思わず口をつぐんだ俺を、彼女がのぞき込む…。
ああ…きっと、あの人はこうなることをわかっていたんだろう。
“アラタにはもっと若くて可愛い人があってる”その言葉の本当の続きは…
“例えばよく一緒に飲んでる子供服売り場のあの子”。
そう言って揺れた瞳…震えた肩、噛みしめた唇…。
いとおしいと思った…でもそれはどんな感情だっただろう。
あの人は俺を好きだと言わなかった。
…それは俺も同じだった。
俺の奥底にある気持ちをあの人はわかっていたのか。
萌笑:ねぇアラタ、どうしたの?
アラタ:俺…。
萌笑:うん…。
アラタ:萌笑の事、抱きたい。
萌笑:…は?
アラタ:なぁ…
萌笑:っ…何言ってるの?酔った?
アラタ:酔ってない。いや…酔ってるのかも。
でも本当にそう思うから言ってる。
萌笑:な…あーわかったわよ、ちゃんとドキッとしたから後で千円ね。
アラタ:真面目に聞いてよ。
萌笑:嫌よ。わたしは時代錯誤な女なの。
動物的な感情にふりまわされるのはもうたくさん。
アラタ:怒った?
萌笑:怒った。
アラタ:俺の事嫌いになる?
萌笑:…嫌いになってないからここにいる。
アラタ:ならよかった。
萌笑:うん。
アラタ:…なぁ。
萌笑:なあに?
アラタ:香月和也の所…絶対行くなよ。
萌笑:……。
アラタ:萌笑のその気持ち、全部俺が受け止めるから。
俺がおまえの事、満たしちゃダメ?
萌笑:…ダ、ダメ。
アラタ:…。
萌笑:…。
アラタ:あーあ。振られた。
時代錯誤な女だって言うからちゃんと俺頑張ったのに。
あーあ。呑も。食お。
萌笑:え?いや、振ってない。振ってないわよ?
アラタ:…ダメって言ったその口で何言ってんの?馬鹿なの?
萌笑:ちが…だって…。
アラタ:何?
萌笑:……ダイエットするから待って。
アラタ:…は?
萌笑:どれだけしてないと思ってるの?女にだって色々準備あるわよ。
脱毛だってまだ途中だし、可愛い下着付けてきてないし、お腹のお肉やばいし…
アラタ:……やばい、すげーかわいい。
萌笑:え…
アラタ:その顔見ながら一生酒飲める。
萌笑:あんた、酔った勢いなら何言ってもいいと思ってるでしょ?
アラタ:酔った勢いで言ってるかもしれないけど、言ったことは全部本気。
萌笑:っ…。
アラタ:あ、トキメいたなら千円くれてもいいよ?
萌笑:馬鹿にして…。
アラタ:してないって。ほら、のも?
萌笑:はぁ…ホントにもう。
アラタ:…。
萌笑:なに?
アラタ:ねえ、俺さ…
アラタ:(M)彼女の頬が薄桃色に染まっている。
これはきっとワインのせいじゃない。
小指同士がそっと触れて感じる熱。
この言葉を伝えたら…俺たちはどうなるんだろう。
萌笑:祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。
ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。
アラタ:京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。
俺はこの街が…おまえが――――
【エピローグ】
アラタ:(M)百貨店。東棟屋上の喫煙スペースは古参の社員しか知らない秘密の場所だ。
ここを教えてくれたのは"あの人"だった。
懐かしい背中を見つけて、声をかける。
数ヶ月ぶりに会う彼女は相変わらず綺麗だった。
メヴィウスの煙を吐き出しながら「どうしたの?」と俺に微笑みかける。
こんなこと伝えたって彼女をまた傷つけるだけ。
身勝手な独りよがり。
そんなこと、わかってる。
でも…
アラタ:俺…本気で好きだった。
アラタ:(M)少し傷ついた顔をして「彼女と上手くいったのね?」と。
「良かったじゃない……おめでとう。」と彼女は笑顔を向けてくる。
"違う。萌笑は関係ない"
そう言いたかった。
でもきっとこれ以上は伝えるべきじゃない。
少し吹っ切れた表情(かお)をした"あの人"に俺は笑顔を返すしかなかった。
俺たちがそれぞれ前に進めると信じて。
完