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祇園×エンヴィ

#片脚に刻まれた輪舞曲(ろんど)

※この台本の女性役のセリフは【京言葉】です。

時間20~22分

比率(♂:♀)1:1

 

登場人物

柴本はな(しばもと はな)/為政者専門の娼婦。実は公安の刑事。

謎の男・J/片脚に傷のある、謎の多い不思議な男。

 

 

【老舗ホテル最上階・はなの部屋】

J:(M)京都祇園にある老舗ホテルの最上階の一室。
  肌触りのいいガウンを羽織り、シャンパンを片手に窓辺に腰掛ける女。
  名を柴本はなと云う。
  彼女の後ろ姿をベッドから眺めるのが俺……名前は言えない。

  はなは俺を『J(ジェイ)』と呼ぶ。

  何故“J”なのか尋ねると“名無しの権兵衛だから”と、艶やかに笑って言った。

はな:祇園の朝は早い。ネクタイの似合う通勤途中のおじさま。
   料亭の仕込みのために走る可愛い少年。
   朝帰りとは思えないほど凜とした祇園のお姉さん方。
   ホテルの最上階からそんな祇園の街を見下ろし、あたしは目覚めのシャンパンをあおる。
   そんなあたしを後ろからJが抱きしめる。
   名前も名乗らない、素性も言おうとしない不思議な男。
   片脚にひどい傷跡があり、ずっとプロテクターをしている。
   まぁ、そんな事はあたしの知ったことじゃないけれど…。

 

 

(タイトルコール)

J:祇園×エンヴィ

はな:片脚に刻まれた輪舞曲(ろんど) 

 

J:朝っぱらからシャンパン?


はな:せやで、あかん?


J:誰も駄目とは言ってない。


はな:J、あんたも飲む?


J:いい、仕事もあるし。


はな:そんなん、あたしかてそうやで?


J:ほどほどにしとけよ?


はな:こんなん食前酒みたいなもんや。


J:メインディッシュは?


はな:あんた。

 

J:(M)はなは優しく微笑むと俺をそっと押し倒す。
  ガウンをするりと脱ぎ、しなやかに腰を曲げ、しっとりした白い肌をすり寄せてくる。
  そんな彼女に、俺はお決まりのセリフを言う…。

 

​J:メインディッシュは夜にしない?


はな:昨日もそう言うてた。


J:そう?


はな:明日にしようて言うたやない。


J:…忘れた。


はな:ほんま、約束を守らへん男やな。据え膳食ぬは男の恥と違うん?


J:武士は食わねど高楊枝(たかようじ)?


はな:(溜息)帰りよし。


J:行くとこないよ。


はな:ほな仕事行きよし。


J:まだ時間ある。


はな:あたしをなんやと思てるの?


J:…どう答えたら正解?


はな:もうええ。


J:(M)彼女は俺の上から降りると、身支度を始める。可愛い顔が歪んでいるのが見えた。


はな:(M)Jは私を抱こうとしない。唇も合わせない。
   いつも優しく抱きしめて、髪に触れて、頬に軽くキスを落とす。                        
   眠る時もそう…ただ、優しく、ぎゅっと抱きしめるだけ。
   …それがどれほど私を傷つけているか、この男はわかっているのだろうか。

​J:はな?


はな:…。

 
J:怒ってるの?

 
はな:(M)ああ…そんな瞳で見つめないで欲しい。
   悲しそうな、こちらが放っておけなくなりそうな不思議な瞳で…。
   そうやって数多の女を虜にしてきたんでしょう?
   それを計算じゃなくて、本気でやってるから質が悪い。

 
J:はな?

 
はな:…怒らへんとでも思う?


J:怒らないでよ。


はな:無理な相談やな。

 
J:ごめん。


はな:なんに対して?

 
J:それは…


はな:ええわ、忘れて。

 
J:はな…。

 
はな:それと…もう謝らんといて?しんどくなる。

 
J:…わかった。

 
はな:ちょっと出てくるわ。


J:え、朝ごはんは?

 
はな:いらん。

 
J:そう…。

 
はな:そのまま仕事に行くかもしれん。
   わかってると思うけど鍵は勝手にかかるから。
   好きにしといて。


J:はな…

 
はな:ん?

 
J:今の仕事いつまで続けるの?

 
はな:……それ、あんたに関係ある?

 
J:それは……ご(めん)

 
はな:(掻き消すように)せやから…聞きとうないって言うてるやろ?

 
J:……。

 
はな…あかんな、なんや調子狂うわ…ほなね。

 
J:(M)怒っているような…笑っているような、それとも泣いているような…
  なんとも言えない、そんな表情を残して、彼女は部屋を出て行った。

はな:(M)仕事で時折、祇園を訪れるというあの男…。
    片脚の大きな傷に驚かなかったと言ったら嘘になるけれど、もっとやっかいなのは心の方だった。
    掴めそうで掴めない。
    掴んだと思ったら逃げていく。
    手に入らないならばと思って突き放すと、淋しそうにあたしを見る。
    出会って随分経つけれど、今だに何を考えているのかわからない。

    今朝のアレは失敗だった…私らしくもない。
    いや…あれが本来の姿なのかもしれない。
    わがままで、余裕もなくて、それでも理解して欲しいと…。
    自分のことを語ろうとしない彼に、一体何を期待しているんだろう。

はな:愚かやわ…

はな:(M)不意にそんな言葉が口をついて出た。
   自分の声に驚いて顔を上げると、鏡に無防備な女の顔が映る。
   こんな顔で客の前には出られない…今日は少し明るい色で肌を染めよう。
   金を持て余した寂しい男たちの欲求を満たす。
   人間の欲望に忠実でシンプルな私の仕事。
   “為政者専門”なんて枕詞が付いたって、やっていることに変わりはない。
   他の女たちと少し違うのは、その男たちから『金以外にも貰う物』があるという事。
   それが私の本当の目的…勿論、肉欲にまみれた彼らは知る由もない…。

 

 

 

 


【祇園、花見小路】

J:(M)夜。祇園、花見小路の石畳をゆっくりと歩く彼女の姿が見えた。
  声を掛けようかと思ったがなんとなくできず、そっと彼女の背中を追った。

はな:(M)仕事を終えて行きつけの店へ寄るこの道のり。
   石畳の冷たさが私を現実に引き戻す。
   …普段紳士面している男ほど、質の悪いものはない。
   表の顔と裏の顔にギャップがあればある程、普段のストレスを私達にぶつけてくる。
   抱き方がいちいち乱暴だ。


はな:今日はほんま…ろくでもない日やな…。


J:(M)大きな溜息をつく彼女…よっぽど疲れたのだろう。
  もともと細い肩がやけに小さく見える。
  ふいに、彼女に初めて会った時感じた匂いがした。

  淋しい匂い。

  抱き寄せないと、今にでも消えてしまうのではないか…そう思って近づいた時、はなの携帯電話が鳴った。


はな:(電話に出て)はい。お疲れ様です。…ええ、データはいつもの所に。


J:(M)彼女の京訛りが消えたことにはすぐに気がついた。
  表情も、何もかも、初めて見る彼女。


はな:…え?どうしたんです急に。
   (微笑)問題ありません。もう2年ですよ?
   あそこのしきたりや作法にも慣れました。

   娼婦の真似事も板についてるかと。


J:(M)電話の相手との距離の近さが、はなの表情を見ていると手に取るようにわかる。
  胸にチリチリとした痛みが走った。


はな:はい…あの、それあの人が?
   そうですか…あの、伝言をお願いしても?…ありがとうございます。
   では、『私はなにも後悔していない。心配もいらない』
と…はい、失礼しいます。


J:(M)電話を切り、深く深呼吸をしている彼女。
  気持ちを切り替えているのだろうか…いつものはなに戻ると、またゆっくりと歩いて行った。
  不思議と先ほど感じた淋しい匂いが消えている気がした…。

 

 

 

【老舗ホテル最上階・はなの部屋】

はな:…居ない…か。仕事だって言ってたし……ん?


はな:(M)ホテルの部屋の片隅にJの鞄が置いてある、こんなことは初めて。
    私はそれにそっと触れた。


はな:ご丁寧に鍵が掛かってる…。


はな:(M)髪に差していたピンを取ると、ぐにゃりと形を変えて鍵穴に差して動かす。
    他人の荷物を勝手に漁るなんて…けれど罪悪感よりも好奇心の方が勝っていた。


はな:“開(あ)かない鍵はない”ってね…


はな:(M)ふと、あの人の言葉を思い出していると、カチャリという音が響いた。


はな:大したものは入ってない…か。…写真?


はな:(M)ボロボロになった何枚かの写真。
   家族写真らしきものと…なんだろうこれは、ピントがずれていてわかりにくいが…美しい女性の写真。


はな:隠し撮りでもしたの?

 
J:そうだよ。

 
はな:(M)振り向くとそこにはJが居た。
   いつもの不思議な瞳と一緒に銃口を私に向けている。


J:でもね…俺が隠し撮りしたわけじゃない。


はな:(M)彼はゆっくりと近づいて、私の手から写真を取った。


J:もらったんだ…彼女の写真はこれしかなくて。

 
はな:J…。


J:いい趣味してるね?


はな:……。


J:どうしたの?


はな:謝らへんよ。

 
J:どうして?


はな:…わざとなんやろ?

 
J:え?

 
はな:この写真、わざとあたしに見せたんやろ?
   あたしがこの鞄を開ける事もわかってた。

 
J:そう思う?

 
はな:どうやって入って来たん?

 
J:どうやって?

 
はな:鍵を渡した覚えはない。


J:ああ、窓をね?開けておいたんだ。

 
はな:窓から…入ってきたって言うの?


J:京都は建物が低いから助かる。

 
はな:あんた…何者なん?

 
J:……。

 
はな:……。

 
J:知ってると思ってた…それともお得意の駆け引き?

 
はな:何が言いたいん?

 
J:高級青楼“伽羅館(きゃらかん)”。
  為政者(いせいしゃ)専門の娼婦の館。
  伽羅女(きゃらめ)と呼ばれる女性達は高貴で美しい容姿と妖艶な魅力で、政界人や権力者を虜にしてる。
  でも本当の君は…。


はな:…ほんまのあたし…?

 
J:公安の人間なんだろう?

 
はな:…いつからわかってたん?

 
J:ついさっき。


はな:?


J:たまたま…はなが電話で話してるの聞いちゃってさ?

 
はな:あの時、近くに居(お)ったってこと?


J:盗み聞きするつもりはなかったんだ。
  声かけようか迷ってたんだけど…なんとなくできなくて。
  迷ってるうちに君に電話がかかってきてそのまま。

 
はな:…ほんま、なんてろくでもない日なんやろう。

 
J:無理に京言葉なんて使わなくていいのに。


はな:は?


J:それも偽装でしょう?

 
はな:あほ抜かせ、あたしは京都の生まれや。

 
J:あれ?データには関東って…

 
はな:戸籍だけな。生まれも育ちもこの京都祇園。
 

J:そうなんだ。

 
はな:で…あんたの目的は何?

 
J:聞きたいのは俺の方。

 
はな:何を?

 
J:何故、俺に構うの?

 
はな:祇園に来る度にここに来てるんはあんたやないの。

 
J:その前の話だよ。どうして俺に近づいた?

 
はな:…仕事は…関係ない。


J:…。

 
はな:2年前にこっちに戻って来て、あたしはあのサロンに潜入した。
   いつまでたってもカラダを売るやなんて慣れへんからね。
   何度洗い落としても感触が消えへんくて…なんや落ち着かん。
   酒を煽らな寝れもせんかった…せやから、いつも花見小路のあの店で飲むんが習慣やった。
   …その馴染みの店に、あんたがたまたま居(お)っただけの話や。

 
J:初めて出会った時、なんで俺の隣に座ったの?


はな:…匂い。


J:?


はな:同じ匂いがした。あんたからは「秘密」と「後悔」と「憎しみ」と…「悲しみの匂い」がした。

 
J:匂い…。

 
はな:そう…あたしと同じ『淋しい匂い』…。

 
J:…本当に俺の事は知らない?

 
はな:知ってたら、その拳銃で撃つんか?
   それとも、そのプロテクターに仕込んでるなんかで…?

 
J:…。

 
はな:片脚の大きな傷に巻かれたプロテクターの下に、なんかあるんは知っとったよ?
   裸になってもそれだけははずさへん。
   はずしたんは一度だけ…その傷見せられたら、誰もはずせなんて言わへんやろ。


J:そうだね。

 
はな:J…あんたが何者かなんて管轄外や。
   あたしが今追ってるんは政界絡みの厄介ごと。

 
J:…知ってるよ、もう調べはついてる。

 
はな:知ってるならなんで?
   あたしの事、全部調べてわかったんやったら…殺すつもりもないんやったら、なんでここにおるん?
   名前も名乗れへんようなあんたが…なんでなん?


J:何も知らない男の来訪を受け入れ続ける、本当の目的が知りたかった。
  公安の仕事以外何か請け負ってるのかと思って。


はな:せやから鞄を?


J:ああ。でもはなは写真にしか興味がなかったみたいだから…アテは外れたよ。


はな:…あほやな。

 
J:え?


はな:あんたはあほや。


J:何でだよ。


はな:なぁ…気づいてるんやろ?


J:…。


はな:あたしがあんたを受け入れてたんは、ずっと…ほんまはずっと…


J:…言うな。


はな:あんたが、好っ(唇をふさがれる)…ん。


J:(M)自分の唇で無理やり彼女の言葉をふさいだ。
  はなは抵抗することなく優しく俺を受け入れる。
  彼女の柔らかい唇と甘い香りに眩暈がした…。


はな:女を黙らせるのに、えらい古風な手…使うんやね。


J:うるさい。


はな:(M)そう言って彼は私を抱きしめる。強く…優しく…そして耳元で囁く。


J:約束、初めて守るよ。

 
はな:え?それってどういう(唇をふさがれる)っ…

 
J:もう…黙って。


【間】

 
はな:(M)朝、シャンパンを片手に私は最上階から祇園の街を見下ろしている。
   ふと、携帯電話が鳴った。

 

はな:はい。おはようございます。
   …ええ……お久しぶりです、長官。
   彼は……もうここには来ないと思います。
   申し訳ありません。お孫さんがご心配でしょうが…お力には…。
   はい……失礼します。


J:(眠たそうにベッドから体を起こして)…誰?


はな:誰でもない。


J:そう…。


はな:シャンパン、飲む?


J:うん…ありがと。(シャンパンを飲む)


はな:なあ、後悔してへん?


J:してない。


はな:……あんな?


J:ん?


はな:最後に、聞いて欲しい話があるんよ。


J:最後って…意地悪だな。


はな:嘘やん、優しいやろ?


J:……。


はな:J?


J:おいで。
  話、聞かせて。


はな:(Jの胸に擦り寄って)あたしの人生ってな、めっちゃ歪んでんねん。


J:うん…


はな:調べたんやし、わかってるやんな?
   両親のことも…『あの人』のことも…


J:…ああ。


はな:あたしな……


J:(M)彼女は俺の胸元でゆっくりと語り出す。
  俺はそれを聞きながら色んな思いを巡らせる。
  自分の過去のこと…これからのこと、彼女のこと…。

 

 


はな:(M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
   沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
   おごれる人も久しからず。
   ただ春の夜の夢のごとし。
   たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。

 

J:(M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
  しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
  「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。

 


はな:(M)表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。
   この街をあたしは心から…

 

 

 

J:愛してる。

 

 

 

 

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