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筆獄幻縛(ひつごくげんばく)

​霊と現の狭間

【登場人物】

斎宮 炉香(さいぐう ろか)
文士、美しき殺人鬼
美しいものを手放せない男。
彼にとって愛とは所有であり、永遠とは閉じ込めること。
生身の女は移ろい、裏切り、消えてしまうが、筆の中に封じ込めれば永遠に彼のものである。
愛する女たちを物語に閉じ込めることで、その美を守ろうとするが、次第に彼自身が創り出した幻想に絡め取られていく。

 

 

名無(ななし)
物語の中に閉じ込められた女
かつて炉香に殺され、彼の物語の中に封じられた女。
だが、彼女は単なる被害者ではない。
物語の中で炉香が彼女を描くほどに、その存在はより強く、鮮烈に生き続ける。
もはや彼の手を離れ、自らの意志を持ち、炉香を絡め取る檻となる。
彼の支配下にあるようでいて、実は彼こそが彼女に囚われている。炉香が筆を握る限り、彼女は消えない。
彼女が存在し続ける限り、炉香は書き続けねばならない——その狂気の輪の中で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炉香:灯の落ちた書斎。
   硯に揺れる月の影。
   墨の香りが静謐な空気を支配している。
   風が障子をかすかに揺らし、遠くで柳の葉が落ちる音がする。
   机の上に筆と紙。
   筆先から落ちる墨が静かに紙を汚す。

(炉香、筆をとる)

 

炉香:女は、儚い。
   生きているうちは、好き勝手に微笑み、嘘をつき、ふいに背を向ける。
   言葉ひとつでこちらを狂わせながら、何も知らぬ顔をして去っていく。
   まるで、風のように。

 

(硯に筆を浸し、白紙に滲ませる)

 

炉香:……ならば、私は彼女たちを閉じ込めるしかない。
   この筆の先に、物語の中に。
   彼女たちはここで息をし、ここで微笑み、ここで私を見つめる。
   誰にも奪われることなく、誰にも穢されることなく、永遠に、ここにいる。

 

(筆が震える)

 

炉香:だが、これは——愛なのか?
   彼女たちはここで「生きて」いるのか?
   それとも、私は彼女たちの魂をこの檻に閉じ込め、ただ私のために舞わせているのか?


 

(タイトルコール)

名無:祇園×エンヴィ「文豪メランコリア」
 

名無:筆獄幻縛(ひつごくげんばく)

 

(障子の向こうから、かすかな声がする)

名無:先生、また私を物語の中に閉じ込めるのですね。

 

(振り向くと、そこに白い着物の女が立っている。月明かりに照らされ、ふわりと袖が揺れる)

 

炉香:……君に、以前、会ったことがある。

 

名無:それは前世かもしれませんね。

 

炉香:前世……? では、私は何度生まれ変わっても君に会うのだろうか?

 

名無:先生がそう望むなら。

 

炉香:望む……か。

 

名無:先生は、いつも現(うつつ)よりも夢を見ておられる。

 

炉香:現は、私を捨てるからな。
   夢の中にいれば決して消えない。

 

名無:だから、あの時——?

 

(沈黙)

 

炉香:あの時……?

名無:先生は、私を、書いた。

 

炉香:……そう、書いた。

 

名無:私が生まれたのは、その瞬間。

 

炉香:私が筆を執ったとき、君はそこにいた。

 

名無:そして、今もここにいる。

 

炉香:では、私が筆を止めたら……?

 

名無:私は消えます。

 

炉香:……恐ろしいことではないのか。

 

名無:先生の筆が止まることが、私にとっての終わり。
   だから、先生が決めてください。私は存在するべきなのか。

 

(書斎。名無は静かに畳の上に座る。筆の音がわずかに響く)

 

名無:ねぇ先生。先生は私を……殺したのでしょう?
   だから私が生まれた。

 

(筆が止まる)

 

炉香:何を言う……

 

名無:先生の指は、覚えていないのですか?
   この首に絡みつき、静かに、ゆっくりと……まるで愛撫のように。

 

炉香:違う。私は——

 

名無:私は、息ができなくなったのです。
   先生の手が、柔らかく、それでいて確かに……私をこの世から隔てたのだから。
   優しかった……そう、とても。まるで抱擁のように。

 

炉香:それは……夢だ。

 

名無:夢? では、先生の指先に残るこの感触も?
   先生の掌に染みついた、あの夜の温もりも?
   ここに滲む赤い痕も……?

 

炉香:(M)彼女はまるで血の匂いを確かめるように……瞼を閉じる。

 

名無:あの夜、先生の筆は止まった。けれど、私は止まらなかった。
   先生の手の中で、最後の息を震わせながら……
   私はまだ、生きていた。

 

炉香:私は、君を閉じ込めただけだ。

 

名無:それが先生の愛?

 

炉香:愛……? 違う。
   これは、支配だ。
   美しいものは、この手の中でなければならない。

 

名無:先生がそう思う限り、私は消えません。
   先生……私を、書いてください。
   もっと……鮮やかに。
   私の指先まで、髪の一本一本まで——。

 

炉香:……筆を置いたら……君は、どうなる?

 

名無(微笑む):消えます。

 

炉香:それは、君にとって恐ろしいことではないのか?

 

名無:先生の手が止まること。
   それは……私の終わりです。
   それが恐ろしいかどうかは先生が決めてください。

(沈黙)

炉香:私は……筆を置けないのか。
   書き続けなければ、君は消えてしまう?
   けれど、書くことで、君を閉じ込めているのではないか?

名無:いいえ。
   先生が私を想う限り、私はここにいます。

   書き続けてください。
   先生が私を閉じ込めたように。
   私も先生を——閉じ込めるのですから。

炉香:私は……

名無:先生は、筆を持つ手が美しいですね。
   それで幾人もの女を閉じ込めたのでしょう?
   一文字ずつ、彼女たちの息を紙の上に溶かしながら。

炉香:……私は、ただ書いただけだ。

名無:書いただけ?
   いえ、違う。
   先生は私…私たちに手をかけて殺した。
   その指先で、ゆっくりと、首を締めたでしょう?

炉香:(沈黙)

名無:忘れてはいませんよね?
   私たちの喉が鳴った音。
   最後の息が先生の掌に染み込んだ瞬間を。
   先生の指が私たちの肌を離れるとき、まだ、温もりが残っていたことを。

 

炉香:……違う。

 

名無:違わない。
   先生の目には、今も私たちが映っている。
   生きている私たちが——。

 

炉香:違う……違う、私は君を——。

 

名無:書き続けた。
   だから私たちは消えない。
   先生が筆を動かす限り、私たちはここにいる。
   先生の心の中に、物語の中に。

 

(名無が炉香の手を取り、指を絡める)

 

名無:先生の指は冷たい。
   あの時のように。
   けれど、今は——震えている。

 

炉香:筆が、止まらない。

名無:そう。
   止めたら、先生はどうなるのでしょう?
   私たちと同じように——消えるのかしら?

 

(筆の音が激しくなる。紙の上に、黒い線が乱れるように刻まれる)

 

炉香:私は——私は——。

 

名無:書きなさい、先生。
   私たちがもっと、鮮やかに生きられるように。
   私たちの髪の流れを、爪の先を、肌の熱を。
   もっと、もっと深く——刻みなさい。

 

(炉香の筆が激しく紙をなぞる。墨が滲み、滴る)

 

炉香:君は…君たちは一体…。

 

名無:(囁く)私たちはここにいる。
   先生の指の間に、先生の喉元に。
   先生の心の奥底に——私たちは。

 

(名無がゆっくりと、炉香の首筋に指を這わせる)

 

名無:先生は私たちを閉じ込めたけれど、私たちも先生を——。

 

(炉香の筆が止まる。静寂。名無が炉香の耳元で囁く)

 

炉香:(息を呑む)

 

名無:筆を止めたら、どうなると思います?
   先生が閉じ込めた女たちが、みんな、蘇るかもしれない。
   先生の手の跡が、全ての首に浮かび上がるかもしれない。
   ねえ、先生?

 

(名無の指が炉香の首筋をゆっくりと締める。炉香の体がかすかに震える)

 

炉香:……私は……。

 

名無:もう先生は、私たちの檻の中にいるのですよ。

 

炉香:(嗚咽のような笑い)そうか……そうか、私は——。

 

名無:(唇を寄せ)書きなさい、先生。
   私たちをもっと、美しく、もっと深く。
   私は——先生の手の中でしか生きられないのだから。
   先生の指は、今、私たちのものでしょう?
   先生の筆も、今、私たちのものでしょう?
   先生の心も——私たちのもの。

 

炉香:いや……違う……。

 

名無:違わない。
   先生が書けば書くほど、私たちは先生の中に根を張る。
   先生が私たちを閉じ込めたように——私たちも先生を閉じ込める。

 

(名無の影が無数にゆっくりと広がる。炉香の筆が止まらない)

 

名無:もう、逃げられませんよ、先生。

 

 

 

炉香:(M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
    沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
    おごれる人も久しからず。
    ただ春の夜の夢のごとし。
    たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。

 

 

名無:(M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
   しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
   「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
   表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。

 

 


​炉香:(M)この街で…私は書き続ける。
   彼女たちが、消えぬように。

 

 

 

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