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仮面幽宴(かめんゆうえん)

変態的欲望の迷宮

黒瀬 燿一郎(くろせ よういちろう)
文士
探求心と好奇心に満ちている。虚と実の境界を求め、祇園の奥深くへと足を踏み入れる。
彼の眼差しは、美の裏に隠されたものを暴くことに飢えている。

——だが、その視線の先にあるのは、本当に他者の秘密なのか、それとも己の仮面なのか。
彼が暴こうとする真実は、果たして外の世界にあるものなのか、それとも、ずっと自身の中に潜んでいたものなのか。

 

 

伽璃音(かりね) – 高級青楼 伽羅館の娼婦
祇園の隠れた名妓「仮面の伽羅女」。
白い能面の微笑みの裏に、何を秘めているのかは誰も知らない。
彼女の舞台は、伽羅館の“幽隠の間”。

客の心を惑わせ、覗く者に気づかぬまま己を暴かせる。
彼女は誘う——真実を知りたければ、まず己の仮面を剥がせと。

だが、彼女の仮面を剥がした者は未だにいない。
なぜなら、その瞬間、剥がれるのは相手の心の方だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【深夜、京都祇園】

黒瀬:(M)——夜の祇園は、美しい。
   だが、その美は、どこか虚ろだ。
   私は足を止め、雨に濡れた路地の先を見つめる。
   暗がりの奥に、骨董屋が見える。
   私はあの地下に何があるかを知っている。

(彼の指先が震え、雨に濡れたコートの襟を握る。)

 

   ——私は、なぜここにいる?
   いや、答えは分かっている。
   私は、見たいのだ。

   高級青楼で今一番話題の女……
   仮面の伽羅女を……。

   仮面の下には何がある?
   その下に隠されたもの——

 

   それを暴きたい。
   いや……覗きたいのだ。

 

   ゆっくりと暖簾をくぐる。
   雨音が遠のき、空気が一変する。
   重たい沈黙。
   仄暗い地下階段、奥から甘美な白檀の香が漂ってきた。
   そして……

伽璃音:——そして、迷宮の夜が始まる。


(タイトルコール)
黒瀬:祇園×エンヴィ「文豪メランコリア」

 

伽璃音:仮面幽宴(かめんゆうえん)

 

 

 

 

黒瀬:(M)伽羅館の奥座敷。赤い帳が揺らめき、仄暗い蝋燭の光が幽玄な影を作る。
   中央に、ひとりの女が座している。
   白い仮面——能の翁を思わせる、不気味な微笑みを湛えた顔。
   黒髪がなめらかに流れ、薄い衣の奥に、白い肌が透ける。

 

(黒瀬は、帳の外に佇む。)

 

   私は、何を求めてここに来た?
   この女の素顔が見たい。
   いや、それだけではない。

 

伽璃音:ようこそ、おこしやす…先生。

 

(彼の喉が渇き、唇を微かに舐める。)

 

黒瀬:……君の顔が見たい。

 

(女はゆるりと扇を開き、仮面を撫でる。)

 

伽璃音:先生は、毎度懲りまへんなあ。
    覗くことに、なんの悦びがあるんどす?

 

黒瀬:知りたいのだ。
   君の仮面の下に何があるのか……
   いや、何が潜んでいるのかを。

 

伽璃音:それを知って、先生は満足なんどすか?

 

黒瀬:仮面の下には、素顔がある。
   人はそれを隠すために、仮面をつけるのだから。

 

伽璃音:では、先生は?

 

黒瀬:(眉を寄せる)私……?

 

伽璃音:先生の仮面は、どんな仮面なんどす?

 

黒瀬:私は仮面などつけていない。

 

伽璃音:ほんまどすか?
    先生が覗きたいんは私の素顔なんか、それとも……

 

黒瀬:何が言いたい?

 

伽璃音:先生はうちの仮面を剥がそうと躍起になったはりますけど、先生自身はどうするつもりなんどす?

 

黒瀬:私の仮面を剥がせと?

 

伽璃音:それがええわ。
    まずは、先生の仮面の下を見せとくれやす。

 

(黒瀬の喉が、かすかに震える。)

 

黒瀬:私の仮面の下——?
   それは……何だ?

 

(蝋燭の灯が揺れ、黒瀬の顔に影が落ちる。)
(彼は唇を舐め、じっと伽璃音を見つめる。)

 

黒瀬:…仮面を持たぬ者は、仮面を剥がす資格がないとでも?
   伽璃音:先生は、持ったはりますよ。
   えらい、綺麗な仮面を。

 

黒瀬:ならば、君がそれを剥がしてみるか?

 

伽璃音:(ゆっくりと立ち上がり、彼に近づく)
    ええ。
    でも——その前に、鏡を見て。

 

黒瀬:(M)鏡に映るのは、私自身——。
   だが、なぜだ? この顔は。
   この皮膚の滑らかさは。
   この瞳の奥の、空洞のような深淵は。

 

黒瀬:(震える声で)これは……?

 

伽璃音:先生の“仮面”どす。

 

黒瀬:私の、仮面……?

 

伽璃音:(ゆっくりと頷く)そうどす。
    先生は、ずっと自分が覗く側の人間だと思ったはったんでしょ?

    でも、ほんまは違う。
    先生こそが、覗かれる側なんどすえ。

 

黒瀬:(息を乱しながら)……覗かれる側? どういう意味だ?

 

伽璃音:先生は、いつも誰かの秘密を暴こうしてはる。
    それはなんでなんどすか?

 

黒瀬:それは……。

 

伽璃音:先生自身が、秘密を持つ存在やから……とか。

 

黒瀬:(M)秘密——私が?
   私は探る側、暴く側、見破る側。
   だが、私自身が暴かれることは……。

 

黒瀬:(鏡を睨みつける)違う。こんな顔ではない。

 

伽璃音:ほんまに?先生が知っている自分の顔は、ほんまの顔なんどすか?

 

黒瀬: ……。

 

伽璃音:先生は、ご自分の仮面を剥がす覚悟はあるんどすか?

 

黒瀬:私は君の仮面を…覗きたいのであって……

 

伽璃音:(仮面越しに微笑みながら)先生がほんまにそれがお望みなら……どうぞ。

 

黒瀬:(迷いながらも、ゆっくりと手を伸ばす)
   ……望んでいるとも。

 

伽璃音:ふふふ…そうどすか。

 

黒瀬:(M)触れる——
   この仮面に——
   剥がすのだ、暴くのだ。

 

(蝋燭の灯が、一瞬にして消える。)

 

黒瀬:っ……どこだ……?

 

伽璃音:先生は覗きたあて、しゃあなかったんやろ?

 

黒瀬:どこにいる?

 

伽璃音:(近くで囁く)ずっと、ここに。

 

黒瀬:君の姿が……見えない。

 

伽璃音:先生が、仮面を剥がす覚悟を決めはったら…

 

黒瀬:何を言っている?

 

伽璃音:触れてみておくれやす。

 

黒瀬:(指先が何かに触れる)これは……?

 

伽璃音:(甘く、囁く)先生の顔。

 

黒瀬:(M)触れたもの——
   それは仮面ではなく——
   柔らかく、冷たく、それでいて確かに——
   私の顔だった。

 

黒瀬:な……何をした……!?

 

伽璃音:うちはなんも?先生が剥がしたんどすえ。

 

黒瀬:私が——?
   だが、私の手が触れたものは……?
   それは、私自身の顔で——。

 

(蝋燭の灯が一斉に灯る。)

 

黒瀬:(目を見開く)っ……!!

 

黒瀬:(M)目の前に立つ伽璃音——。
   その顔には仮面はない。

 

黒瀬:……違う。

 

伽璃音:やっと、気づきはりましたか?

 

黒瀬:違う、そんなはずはない!!

伽璃音:せやけど先生の目に、うちの顔は——。

 

黒瀬:(M)映る……映っている。
   確かにそこにある、その顔は——。

 

黒瀬:(震える声で)私……?

 

伽璃音:(笑みを深め)ええ。先生どすえ。

 

黒瀬:(震えながら、自分の頬を撫でる)冷たい……。

 

伽璃音:(艶やかに囁く)まるで、仮面のように。

 

黒瀬:これは……。

 

黒瀬:(M)そこにあるのは、私自身。
   だが、その唇は、微笑んでいる。
   私の知らぬ、私の顔で——。

 

黒瀬:(唇を震わせながら)私は……?

 

伽璃音:先生の仮面は、ほんまに美しおすなあ。

 

黒瀬:(涙が滲む)仮面……? これは仮面なのか……?

 

黒瀬:(M)いや、私は——。
   私は、何者だ?
   仮面なのか、顔なのか、それとも……。

 

黒瀬:私は、私なのか?

 

黒瀬:(M)紅い絹の帳が揺れる。
   遠くで三味線の音が微かに響く。
   それが現実なのか、幻なのか——もはや、私にはわからない。

 


 

 

【間】

 

 

 


伽璃音:おはようさんどす。

 

黒瀬:っ……!

 

伽璃音:先生、苦しゅうおへんか?

 

(黒瀬は静かに息を整え、伽璃音を見つめる。彼女はゆるりと扇を撫でながら、仮面越しに微笑んでいる。)

 

黒瀬:……実に興味深い時間だったよ。

 

伽璃音:(ゆるりと微笑む)よろしゅうございました。
    先生、満足できはった?

 

黒瀬:(唇を舐め)満足、か……。いや、むしろ——また、覗きたくなった。

 

伽璃音:ふふ、そうどっしゃろ?
    伽羅館、幽隠の間はそういうところどすえ。
    ここは、知りたい者が覗き、覗いた者が惑う場所——
    ほんまに満足して帰る人なんて、おらしまへん。

 

黒瀬:(目を細める)つまり、それが……“仮面の伽羅女”の醍醐味というわけか。

 

伽璃音:ふふふ。先生の“覗きたい”が尽きるまで、楽しんどくれやす。

 

黒瀬:(M)彼女はゆるりと立ち上がり、仮面を撫でる。
   その指先の動きは、まるで何かを誘うようで——私は喉を鳴らした。

   帳の奥から、微かに三味線の音色が響く。
   甘美な白檀の香がゆらめき、どこまでも続く迷宮のような余韻を残す。

   私は静かに立ち上がり、鏡に映る自分をふと見つめる。
   指先で頬を撫でるが、何かが僅かに違う気がする——いや、何も変わらぬはずだ。

黒瀬:いや、これは……。

 

黒瀬:(M)私は微かに笑い、首を振る。
   暖簾をくぐり、静かに外へ出ると雨の匂いが、鼻先をかすめる。
   背後で、伽璃音の声がふんわりと響く——


 

 

 

伽璃音:(M)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。
    沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらはす。
    おごれる人も久しからず。
    ただ春の夜の夢のごとし。
    たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。

 

 

 

黒瀬:(M)京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。
   しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。
   「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
   表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。
   この街で…私は…

 

 

伽璃音:また、おこしやす。先生。

 

黒瀬:暖簾がふわりと揺れ、元の位置へ戻る。
   青楼の奥で蝋燭の炎がひとつ、音もなく消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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