top of page

祇園×エンヴィ
#まぼろし虚ろな四重奏(カルテット)


時間30分~40分
比率(♂:♀)3:1 or 2:2 ※マスター役は不問可

 

登場人物
男(純)/人生に疲れた男
何かしらで絶望してて欲しい、諦めてて欲しい、ちらっと希望が見えても叶わないで欲しい


雪羽都(ゆきはねみやこ)愛称は“ゆき”/妖艶な蜻蛉茶屋の男娼
優しい、なのに基本的に報われない、儚く散って欲しい


マスター/BARスオーノ・デ・フーモのマスター
基本的に表には出さないけど、熱いものを秘めてる、少し狂い気味


美牧(みまき)/男がフーモで出会う謎の女
艶のある美しい人で、年齢不詳。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 

マスター:祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 

美牧:沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

 

ゆき:おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。

 

男:たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。

 

マスター:京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。

 

美牧:しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしている。

 

ゆき:「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
   
男:表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。

 

 

 

マスター:(M)その花街を目的もなく歩く一人の男がいた。
     惰性で日々を過ごして…何をやってもうまくいかない。
     男の頭を心を…淀んだ感情が侵食していく…。

     ただなんとなく生きて。
     ただなんとなく死ぬのだろうか。

     そんな男の前を颯爽と歩く一人の女がいた。
     良い香りのする…綺麗な女だった。

     男はふらふらと彼女の背中を追う。
     "俺は一体なにをしているんだろう…"そう頭の片隅で思いながら。

     繁華街を少し抜け、静かな通りに入ると女はBARへと入って行く。
     男も誘われるように、その扉に手をかける。

 

 

男:スオーノ・デ・フーモ…

 

 

男:(M)扉の横にそっと置かれた看板の文字を口にすると、なんだか不思議な気持ちになった。

  少し緊張しながら扉に手をかけると…ガチャリと重たい音が響く。

  中に入ると煙がかった店内にブルースがかかっている。
  カウンター席とテーブル席が二つ。
  先ほどの彼女はカウンター席で酒を注文していた。

 


ゆき:あれ?見たことない顔、お兄さん初めてでしょ?

 

男:え…ええ。

 

マスター:いらっしゃいませ。

 

美牧:ああ、あなたやっぱり入ってきたのね。

 

男:やっぱりって…

 

美牧:私の後についてきてた人でしょ?

 

ゆき:ふふふ、彼女の色香に誘われたってこと?可愛い人だね。

 

男:いや…その、すみません。

 

ゆき:別に謝ることないよ。ねぇ?

 

美牧:ええ。

 

ゆき:ねぇ、ほらこっちに座りなよ。

 

男:あ…はい。

 

ゆき:マスターこの方に俺の奢りで一杯作ってよ。

 

マスター:(笑って)かしこまりました。

 

男:え、そんな…俺、自分で―――

 

ゆき:いいから、いいから。出逢った記念に奢らせてよ。ね?

 

美牧:あんた、ちょっといい男だと思うとすぐそれね。

ゆき:えー?そうかなぁ?でもお兄さんの顔…あと声も好きだなぁ…俺。

 

美牧:気を付けてね?この子、本気で口説こうとしてるわよ?

 

ゆき:ふふふ、それはどうかなあ?

 

男:え…?

 

ゆき:あーでも、本気で口説いてもいいなら…一回試してみる?
   後悔させない自信あるよ?俺。

 

美牧:ゆき、本当にタイプなんでしょ?

 

ゆき:ねえ?男と寝たことある?

 

男:いや…

 

ゆき:ふふ、可愛い…戸惑ってるね。

 

美牧:からかって楽しむの"悪い癖"よ?

 

ゆき:からかってなんかないよ?

 

美牧:へえ?

 

ゆき:なあに?

 

美牧:(艶っぽく笑って)なんでもないわよ?

 

男:あ……。(呆然とふたりの様子を眺める)

 

マスター:お客さま、どうぞこちらへおかけください。

 

男:は、はい。

 

マスター:ベースなどのお好みはありますか?

 

男:強めの…もらえますか。辛口で。

 

マスター:炭酸は使っても?

 

男:はい。

 

マスター:かしこまりました。

 

男:(M)店主であろうその人は骨ばった美しい手でシェーカーを振る。
  俺はその手に見とれた。
  それに気づいて彼(彼女)は妖しく微笑む。

 

マスター:どうかされましたか?

 

男:…いえ。

 

美牧:子供みたいな顔してる。

 

ゆき:可愛いじゃない。
  
マスター:どうぞ…ギムレットハイボールです。

 

男:これが俺と彼女たちとの出逢い。そして不思議な数ヶ月のはじまりだった。

 

 

 

 

(タイトコール)

 

男:祇園

ゆき:エンヴィ

マスター:まぼろし虚ろな

 

美牧:四重奏(カルテット)

 

 

 

 


【間】

 


(スオーノ・デ・フーモへ入ってくる男)
男:こんばんは。

 

マスター:いらっしゃいませ。

 

男:ギムレットハイボールを。

 

マスター:かしこまりました。

 

男:今日は誰も来てないんですね。

 

マスター:そうですね、美牧さんやゆきはもう少し遅い時間に来るんじゃないでしょうか…。

 

男:ああ、そうか…俺、仕事終わってそのまま来ちゃったから。

 

マスター:それは、お疲れさまです。
     (ギムレットハイボールを出しながら)どうぞ、ギムレットハイボールです。

男:あ、どうも。

 

マスター:もう何か召し上がりましたか?簡単なモノで良ければ作りますが。

 

男:マジっすか。ありがとうございます。

 

マスター:(カウンターで包丁を取り出しながら)苦手なのモノはありますか?

 

男:魚があんまり得意じゃなくって…。

 

マスター:いい鴨のスモークが入ったんです。
     チーズとバケットと一緒にお出ししますね。

 

男:ありがとうございます。
  まともに飯食うの久しぶりかも…

 

マスター:(微笑んで)軽くサラダもつけておきましょうか。

 

男:嬉しいです。

マスター:普段は何を召し上がるんですか?

 

男:あー、適当にコンビニ飯とかカップラーメンですかね?
  仕事が日雇いの肉体労働なんで、終わったら体力削られて自炊する気力もなくて。

 

マスター:なるほど…(料理を出しながら)。
     最近、暑さも増したので大変でしょう。

 

男:そうっすね。
  わぁ…美味(うま)そう。

 

マスター:お口に合いますように。

 

男:いただきます。
  (料理を口に運んで)ん…めちゃくちゃ美味い…!

 

マスター:よかった。ギムレットハイボールとも相性がいいと思いますので、ごゆっくり。

 

(美牧が入って来る)

 

マスター:いらっしゃいませ。
     ああ、美牧さん。

 

美牧:マスター、スティンガーもらえる?

 

マスター:おや、今日はお疲れですか?

 

美牧:そうね、ちょっと強いのを飲みたい気分なの。

 

マスター:それはそれは…。

 

美牧:明日はオフだし…(男に気づいて)あら、最近よく会うわね。

 

男:こ…こんばんは。

 

美牧:こんばんは。
   ねえ、それ美味しそう。

 

男:あ、すげぇ美味いっすよ。
  食べます?

 

美牧:(微笑んで)じゃあ、それ一口ちょうだい。

 

男:え…

 

美牧:(指でつまんで口に運ぶ)ん…美味しい。

 

男:…。

 

マスター:お行儀悪いですよ美牧さん。
     もう一つお出ししますから。

 

美牧:嬉しい。
   あ、私のも一口食べる?

 

男:いや…あの…

 

ゆき:(美牧に後ろから抱き着いて)そうやってすぐ美牧は男をたぶらかすぅ。

 

美牧:ゆき、お疲れ様。

 

ゆき:おつかれっ。
   マスター俺もそれ食べたい!

 

マスター:かしこまりました。

 

ゆき:ねえ、シャンパン飲める?

 

男:え、ああ…

ゆき:じゃあ一緒に呑もうよ?
   マスター、おすすめのシャンパン!辛口でー!

 

美牧:良い事でもあったの?

 

ゆき:えへへ、あった~。

 

美牧:そう、じゃあお祝いしなきゃね。

 

ゆき:うん!

 

男:……。

 

ゆき:どうしたの?ぼーっとしちゃって。

 

男:え?

 

ゆき:(グラスを差し出して)ほら、一緒に飲もう?

 

男:あ…ああ。


 

 

男:(M)俺はそれから足しげくスオーノ・デ・フーモへと通った。
  なんの衝動に駆られていたのかはわからない。
  美しい美牧(みまき)に逢いたいからか。
  優しくしてくれる雪羽都(ゆきはねみやこ)に甘えたいからか。
  ギムレットハイボールが飲みたいからか。


 

 

マスター:(M)数か月後、彼らの関係に変化が生じる。


 

 

ゆき:(M)俺たちの憩いの場へ足繁く通う彼。
   最初から美牧に…“美しい俺の親友”に彼が惹かれているのはわかった。そう…すぐに。
   美牧が来ていないとわかると少し拗ねた顔が可愛くて、悪戯っぽく声をかけると困った顔に胸が高鳴って。
   月日を重ねるごとに、深みもない他愛のない話をしているだけなのに…俺はひどく彼に惹かれていった。
     
   この気持ちをどう消化しようか迷っていたある夜の帰り道、不意に彼は俺にたずねた。


 

 

男:なぁ…ゆきってさ?普段どんな仕事してるの?

 

ゆき:え…

 

男:なに、聞いちゃいけなかった?

 

ゆき:そういうわけじゃないけど…。

 

男:どうした?

 

ゆき:……。

 

男:ゆき?

 

ゆき:(M)祇園の街には知る人ぞ知る為政者(いせいしゃ)専門の青楼(せいろう)がある。
   俺はそこで男娼として働いている。家族のため、夢のために…。
   あそこでどこかの社長や政治家のお眼鏡にかなって、夢を叶えたあの子たちのように…。
   でも…これを彼にどうやって伝えたら…。

 

男:おい、どうした?そんな思いつめた顔して。

ゆき:俺さ、あなたの事…本気になりそうなんだ。

 

男:え?

 

ゆき:迷惑だよね?

 

男:…俺、おまえのこと好きだよ?

 

ゆき:え…

 

男:いつも優しく笑うおまえの顔も可愛いって思う…あれ、俺、酔ってるのかな…

 

ゆき:そう…だね、今日は早く帰って寝た方がいいよ。

 

男:(行こうとするゆきの肩を掴んで)待てよ。

 

ゆき:っ…

 

男:酔って、こういうこと言う男はダメ?

 

ゆき:本気じゃないでしょ?

 

男:本気にさせてみればいいじゃん…

 

ゆき:え?

 

男:初めて会った時、おまえ“後悔させない自信あるよ”て言ってたろ?

 

ゆき:それと今の状況は…っ(突然、唇をふさがれる)

 

男:…試してみてよ?(そう言ってまた、ゆきの唇に吸い付く)

 

ゆき:(M)本気じゃない。
   一夜限りになる…そうじゃなかったとしても絶対に傷つくことになる。
   頭ではわかってるのに…この唇で溶かされたくて…
   ひと時だけでも混ざり合いたくて…俺は彼を受け入れた。

 

【間】

 

(ベッドで達したふたり、息はまだ荒い)

男:っ…はぁ…はぁ…まじか……

 

ゆき:はぁ…はぁ…

 

男:ゆき…俺さ―――

 

ゆき:(被せるように)蜻蛉茶屋(かげろうぢゃや)って知ってる?

 

男:え?

 

ゆき:為政者(いせいしゃ)専門の青楼(せいろう)…俺そこで働いてるんだ。

 

男:……

 

ゆき:軽蔑した?

 

男:いや?

 

ゆき:ほんと…?

 

男:なぁ…もう一回シよ?

 

ゆき:え…ちょっ…(男はゆきに馬乗りになる)

 

男:俺…今はおまえが欲しい…

 

ゆき:…うん…いいよ……

 

 

 

 

【間】

 

 

 

 

【数週間後‐BARスオーノ・デ・フーモ‐】

美牧:後悔したって遅いのに…

 

マスター:え?

 

美牧:あの子はいつもそうやって辛くて悲しい道を選ぶんだなって…。

 

マスター:ゆきのことですか?

 

美牧:そう。情に熱くて、涙脆くて、優しくてキレイな雪羽都のこと。

 

マスター:珍しく感傷的ですね。

 

美牧:色々思い出しちゃってね。

 

マスター:あれから何年経ちましたか…

 

美牧:どうだったかしら。

 

マスター:あの会社もよく持ち直しましたね。

 

美牧:そうじゃなきゃ困るわ。

 

マスター:新しく就任した社長が敏腕なようで。

 

美牧:そう…よかった。
   あの子のお父様も報われるわね。
   冤罪が晴れるまで生きてて欲しかったのがあの子の本音でしょうけど。

 

マスター:秘書をしていた社長の横領や違法賭博の罪を擦り付けられ、実刑判決を受け獄中で自殺。
     冤罪だとわかってからは"悲劇の人"として一層ニュースになっていましたね。

 

美牧:ねぇ。

 

マスター:なんでしょう?

 

美牧:その件、マスターも関わってるんでしょう?

 

マスター:どうしてそう思うんですか。

 

美牧:ゆきがマスターに詳細を話してから、随分と色んな事が起こったじゃない。

 

マスター:私にそんな力はありませんよ。

 

美牧:そうは思えないけどね。

 

マスター:確かに…母親と小さな兄弟を支えている健気な彼の力になりたいと思ったのは事実です。

 

美牧:出逢った頃のあの子、今とは別人だったものね…。

 

マスター:(ドアの開く音を聞いて)いらっしゃいませ。

 

ゆき:なんかキツイの作って。

 

マスター:ベースはどうします?

 

ゆき:任せる。とにかくキツイの。

 

マスター:かしこまりました。

 

ゆき:はぁ…。

 

美牧:男を見る目が滅法無い上に、クズばかり引くのは変わらないけど。

ゆき:ん?なに、なんの話?

 

美牧:ゆき…あんた、あの男となにかあった?

 

ゆき:え?

 

美牧:仕事終わりに、あいつのこと部屋に連れ込んだりしてないでしょうね?

 

ゆき:……。

 

美牧:仕方のない子ね…自分が傷つくことになるってわかってるの?

 

ゆき:わかってる…でも、俺…彼のことが――

 

美牧:だめ、その続きを聞かせないで…あの男を殺したくなるから。

ゆき:美牧…

 

美牧:ねぇ…ゆき?私はあんたの事がとても大切なの…それを忘れないでいて?

 

ゆき:…ごめんね。

 

美牧:どうして謝るの?

 

ゆき:美牧はそうやって、いつも俺の心配をしてくれるのに…俺はいつも同じ過ちを犯すから…

 

美牧:本当にバカな子ね…でもいいの、そんなあんたが好きだから。

 

ゆき:ありがとう…美牧。


美牧:(M)綺麗なあの子の心を奪ったあの男は、いつも私を物欲しそうに見ていた。
   その眼差しが可愛く思えた時もあったけれど、あの子をもて遊ぶつもりなら許さない。
   そう思って…『その時は覚悟していなさいよ』と言わんばかりに微笑みかけていたのに…。

   ああ、私のろくでもない勘は…必ず当たるのね。

 

 

 

 

 

 

 

【数か月後‐BARスオーノ・デ・フーモ‐】

マスター:いらっしゃいませ。

 

男:どうも。あれ…今日、美牧さんは?

 

ゆき:まだ来てないよ。

男:そうか…

 

ゆき:ねぇ、俺と呑もうよ。こっちに座って?

 

男:…ああ。

 

ゆき:ねえ、ここんとこ、なんでそんなに不機嫌なのさ。

 

男:別に?

 

ゆき:最初に出逢った時はあんなに可愛かったのに…

 

男:…マスター、ギムレットハイボール。

 

マスター:かしこまりました。

 

ゆき:好きだね、それ。

 

男:まあな。

 

ゆき:なんか嫌なこと…あったの?

 

男:別に?惰性で毎日生きてんのに特別“嫌な事”なんかねーよ。

 

ゆき:…。

 

男:俺はきっとただなんとなく生きて…ただなんとなく死ぬんだろうな。

 

ゆき:そんな…悲しいこと言わないでよ。

 

男:は?

 

ゆき:俺、あなたがそんな風に生きていくの見てるの辛いよ…

 

男:じゃあ見なきゃいーじゃん。

 

ゆき:でも俺…あなたの事、本気なんだ…だから…好きな人のそんな顔、見たくないよ。

 

男:…(大きくため息をついて)おまえさ?なに勘違いしてんの?

 

ゆき:え?

 

男:そりゃ優しくしてくれたことは感謝してるし、別におまえのこと嫌いじゃねーけどさ。

 

ゆき:うん…。

 

男:ちょっと寝てるってだけで…どの目線で俺にモノ言ってんの?

 

ゆき:…。

 

男:所詮カラダ売って稼いでるおまえがさ?本気ってなんだよ?おまえにとってソレって仕事と変わんねえだろ?

 

ゆき:それは――

 

男:(被せて)俺はおまえが可哀想だから抱いてやってただけだから。

 

ゆき:っ…そっか…そんなに可哀想かな…俺。

 

男:男にそんな顔されても困るわ…マスター、チェックしてもらえます?

 

マスター:かしこまりました。

 

男:ごちそうさま。

 

(乱暴に出ていく男の後姿を切なそうに見送る雪羽都)

 

ゆき:(涙ぐんで)俺…バカだよね…。

 

マスター:いや。彼は少々勘違いをしているようだね。

 

ゆき:(我慢できなくなって涙があふれる)男娼って言ってもあそこは俺にとって勝負かけてる場所なんだ。
   あそこに来る客は男を抱きたいだけの色欲にまみれた大人ばかりじゃない…。

   俺は…プライド持ってこの仕事を…彼のことだって本気で…本気でさ…

 

マスター:(美牧が入ってくる)ああ、美牧さんいらっしゃいませ。

 

美牧:どうしたの?なにがあったの…

 

マスター:実は…

 


ゆき:(M)マスターから事の経緯を聞く彼女の美しい顔が歪む。
   なんだか嫌な予感がする…俺の嫌な予感って当たるんだ。

 

【間】

 

 

 

 

美牧:(M)あの男がいつも来る時間に店の前に立つ私。
   からかい甲斐のある男だと思っていたけれど、何を勘違いしているのか…。
   苛立ちを隠し切れず唇が歪んだ。

 

 

 

男:…美牧さん?中に入らないんですか?

美牧:あなたを待ってたの。

男:え…俺を?

美牧:あなた…私と寝たい?

 

男:え…

 

美牧:物欲しそうな顔して、いつも私の事見てたの知ってるわ。

 

男:すみません。

 

美牧:その顔…嫌いじゃないわよ?

 

男:え…(口づけされ、舌をからませられる)んっ…

 

美牧:…ついてきて、続きをしましょ?


男:(M)そう言って彼女は俺の手を引いた。
  その細腕に力強く掴まれてる事に、俺は何故か高揚した。
  これからどこへ連れていかれるのか。

  甘い期待を胸に、俺は彼女の背中を見る。

 

 

 

 

【間】

 

 

 

 

美牧:ここは仕事で使ってる部屋なの…入って。

 

男:はい…あ、美牧さんってお仕事、何してるんですか?

 

美牧:心理カウンセラー。

 

男:ここで患者さんと?

 

美牧:そうよ。

 

男:俺も美牧さんにカウンセリングして欲しいな。

 

美牧:カウンセリングよりもイイ事しましょう?

 

男:え…

 

美牧:ねえ、これ試してみない?

 

男:それ…薬ですか?

 

美牧:そう、気持ちよくなるお薬。
   嫌?こういうの。

 

男:い、いえ。飲みます…。

 

美牧:(妖しく微笑んで)はい。あとこれお水ね。

 

男:ありがとうございます。(薬を飲む)…っ。ふう。

 

美牧:ベッドルームはないの。ソファベッドがあるから…こっちに来て?

 

男:はい…(美牧に触ろうとして、手を取られる)え?

 

美牧:触りたかった?そんなに急がないで…。
   ゆっくり…女はゆっくりされるのが好きなの。

 

男:すみま…(口づけされ押し倒される)んっ…!

 

美牧:謝らなくていいから…ね?
   私が教えてあげる…

 

男:美牧さん…ん…あれ…俺……

 

美牧:あ、効いてきた?良かった。

 

男:え、なんですか…これ…力が入らな…い

 

美牧:大丈夫。眠るだけよ?
   お楽しみはこれから…だからゆっくりお眠りなさい?

 

男:っ……

 (M)彼女の甘い声を聴きながら、俺は正気を手放した。
  どれくらい経ったのか…気が付くと俺は…俺は…

 

 

 

 

【間】

 

 

 

 

男:ん…え、なにこれ…なんで俺繋がれて…?

 

美牧:おはよう。

男:美牧さん…これなんなんですか?
  両手両足に手錠って…しかも…え、これ点滴……?

 

美牧:さすがに男相手だからね。
   拘束しておかないと危ないでしょ?

 

男:な……え?

美牧:惰性で毎日生きて。
   なんとなく日々を過ごして。
   つまらなさそうに生きてる?
   じゃあ殺しちゃおっかなって。

 

男:は?

 

美牧:それに…私のゆきを傷つける権利、あなたなんかにあると思う?

 

男:っ…

 

美牧:なんとなく生きてきたあなたの人生。
   最期くらい刺激的にシてあげる。

 

男:なんだよそれ…

 

美牧:なにが?

 

男:なんなんだよ!これ!はずせ…はずせよ!!

 

美牧:だーめ。

 

男:俺…俺は!死にたいなんて言ってない!

 

美牧:退屈だって言ってたじゃない?

 

男:だからって死にたくない!

 

美牧:はあ…うるさいなあ。

 

男:死にたくないんだよっ!!!

 

美牧:そんなの私には関係ないわよ。

 

男:なあ!お願いだからやめてくれよ!

 

美牧:つまんない男。
   命乞いしかできないなら、最初から懸命に生きなさいよ。

 

男:っ…

 

美牧:この薬入れたらもう最期だから…ね?ゆっくり逝って。

 

男:やめ…やめて…うわああああああああああああああああ。

 

 

 

 

【間】

 

男:ん…?

 

マスター:おはようございます。
     お目覚めですか?もう朝方ですよ。

 

男:マスター…え?…あれ?俺…夢見て?

 

マスター:夢?

 

男:あの美牧さんは…

 

マスター:“美牧さん”…?どなたですか?

 

男:え?マスターなに言ってるんですか、ここの常連ですよね?

 

マスター:いえ…申し訳ありませんが、そのようなお客様はここにはいらっしゃいませんが。

 

男:そんな…じゃああいつは?ゆきは?蜻蛉茶屋(かげろうぢゃや)っていう店で働いてるって。
  俺あいつにひどいこと言っちゃって…謝らなきゃ。

 

マスター:失礼ですがお客様。
     “ゆき”という方も“蜻蛉茶屋(かげろうぢゃや)”も私は存じ上げません。

 

男:どういうこと…なんだ。

 

マスター:相当お疲れのようですね。

 

男:え…あ、いや…頭は混乱してるんですけど…なんだか身体はスッキリしてて…不思議な気持ちです。

 

マスター:そうですか。では…どうぞお帰り下さい。そしてここへはもう来てはいけません。

 

男:どうしてですか?

 

マスター:ここはあなたのような方が来る場所ではない。

 

男:理由も教えてくれないんですか?

 

マスター:ええ。その必要がないので。

 

男:でも…っ

 

マスター:お帰り下さい。

 

男:…わかりました。今までありがとうございました…。

 

 

 

男:(M)俺はそう言って店を出た。
  彼女たちは存在しなかったのだろうか…本当に…?
  狐につままれたような…不思議な…
  でもなんだか嫌悪感は無くて…
  例える事もできなくて…
  言葉も見つからない。

  俺は今日からどうやって生きて行こう…。
  

 


 

 

ゆき:祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 

マスター:沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

 

男:おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。

 

美牧:たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。

 

ゆき:京都、祇園…伝統が凝縮された明媚(めいび)で雅な美しい街。

 

マスター:しとやかな空気とは裏腹に、毒々しくも艶(あで)やかな場所である事は誰もが知っていて、知らないふりをしてい

る。

 

男:「おこしやす。」と、にこやかに微笑むその笑顔を信じてはいけない。
   
美牧:表と裏、本音と建て前、白も黒も多様な色もすべてが混ざり合って混沌としたかつての花街。


男:俺はこの街で…生きていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆき:帰った?

 

マスター:ああ。もう彼はここへは来ないよ。

 

ゆき:そっか…

 

美牧:あんなに酷いこと言われたのに、まだ好きなの?

 

ゆき:好きじゃないよ。あんな男…

 

美牧:嘘が下手ね。

 

ゆき:彼、随分スッキリした顔してたね。

 

マスター:とっておきの栄養剤を点滴に仕込んでおいたからね。

 

美牧:出所は聞かないでおくわ。

 

ゆき:マスターはやっぱり、謎に満ちてるね。

 

マスター:さあ…どうだろう。

 

ゆき:ねえ?祝杯あげない?

 

美牧:祝杯?

 

ゆき:惰性で生きてきた人間に光を灯した祝杯。

 

美牧:おめでたい子。あんなことで前向きになれるかなんてわからないじゃない。

 

ゆき:いいじゃない?少しくらい希望を持ったって。
   ねぇ、マスター?何か作ってよ。とっておきのやつをさ!

 

マスター:(妖しく笑って)かしこまりました。

 

 

 

 

 

 

 

quartetto.jpg
bottom of page